連理の枝
食事・更衣・洗面などの日常生活動作を自力で行える様に訓練をし、つまずき、失敗をしながらも自分のものにしていった。病室内の歩行に際してはシャアが側に付き添っていたが、テーブルや洗面台までの距離を歩数で数えると、頭の中に地図を描く様にしている為か、1週間程で危なげなく移動出来る様になった。
食べ物の好き嫌いの多さには、シャアもセイラも驚いたが、体力回復の為と言われてしまえば我慢するしかなく、盛大なしかめっ面をしながら食べていた。
そのかいがあってか、半月で外出が出来るまでに体力を回復させていた。
病院の庭に出て、木の下のベンチに並んで腰を掛けながら、アムロはずっと気になっていた事をシャアに尋ねた。
「あの…さぁ、俺たちの扱いはどうなっているわけ?この病院の治療代にしても…」
「私は死亡扱いだな。アクシズから脱出する時にνガンダムでサザビーの脱出ポッドを破壊したからな。
君は『行方不明』のままだ。νガンダムの残骸が見つからないわけだから」
シャアはそこまで告げると、アムロの手を取り自分に引き寄せて肩を抱いた。一瞬、身体を硬くしたアムロだが、直ぐにシャアの胸に頭を預けた。
互いのぬくもりが心地良い。
「貴方が乗ってきたνガンダムは?」
「海溝深く沈んでいる。そしてここでの私は、通称エディ。エドワード・C・マス。つまりセイラの身内になっている。君はアレク・R・マス。同じくセイラの親戚だよ。治療代はセイラが出してくれているから心配しなくていいさ」
「そっかぁ…。でも、このまま甘えっぱなしはまずいだろ?何か出来る事を探して、返していかないと…」
「私がセイラの事業の手伝いをしているから、君は気にしなくていい!」
幾分苛立った様な言葉を述べながら、シャアは抱いていたアムロの肩をより強く自分に引き寄せるが、アムロはシャアの胸に手を当てると、少しだけ身体を離した。アムロの態度をシャアは拒絶と捉えたのか、傷ついた表情を見せた。
アムロは手探りでシャアの頬を両手で挟むと、見えていない視線をシャアに向ける。
「貴方に寄りかかって生きるのは、俺が嫌なんだよ。同じ立場で、一緒に歩いて行きたいから…。貴方がこの眼の事で負い目を感じているのは解っているよ。常に感じるからね。でも、それを言うなら俺だって貴方からいろいろな物を奪ったよ。最初は友人。次はララァ…。エウーゴの時には『クワトロ大尉』としての自由。そして今回はネオ・ジオン総帥として寄せられていた、大きな信頼と地位。そのすべてがこの眼だけでチャラになるなんて思わないよ。だから、貴方は俺に対して全面的に守ろう、庇おうとしなくていい。一緒に同等の立場で歩いていこう」
そう言うと、額をシャアの額にコツンと付けた。
途端に二人の思念は共鳴を起こした。
十四年前の様に・・・・。
アムロには、シャアの傷付いた心が映し出される。全身から血を流しながら、それでも立ち尽くす孤高の獸。
そのあまりの痛々しさと寂しさに、アムロは堪らなくなり、両手をおもい切り広げてその獸を包み込んだ。
シャアには、アムロの姿は白い翼を背におった白い虎、というより神話の世界のヒエラコスフィンクスの様に見えた。その姿が己の前まで羽ばたいてくると、白い大きな翼で全身を包み込み、痛む場所を優しく撫ぜててくれる。包み込まれる感触は、翼から暖かい水となり、胎児が羊水の中で漂う様に穏やかで安らげ、癒されていく。
二人の睫が少しだけ触れ合っていた。そのシャアの金色の睫が細かく揺れた後、涙が頬を伝って頬を包むアムロの手を濡らした。
「二度目だね、貴方が泣くのは。胸の中の色々を、涙と一緒に出しきっちまえよ。そして新しく歩き出そう?!一緒なら何とかなるさ、貴方も俺も」
「そうだな。君と居られれば、私は心穏やかに過ごせそうだ。正直な所、君という存在を手に入れる為に戦ってきたのかもしれない。君がこうして側に居て、私に触れてくれる。それだけで、私は心の安定を得られる。独りで立つ事は出来ても、常に不安だった。しかし、君が寄り添ってくれるだけで、足元が堅固になっていく気がする」
「実際の俺の歩みは、不安定だけどね」と、冗談めかして笑うアムロの手に、シャアは自分の手を重ねた。
幾分冷たいシャアの大きな手がアムロの手を握り締め、何かに誓う様に告げた。
「共に歩いていこう。二度と離れる事が無い様に、常に手を携えて」
アムロはシャアの手から自分の手を抜くと、そのまま相手の背中に廻し、シャアを抱きしめた。
シャアはそれ以上の力でアムロをしっかりと抱きしめて、紅茶色の癖毛に顔をうずめた。
胸いっぱいにアムロの香りを吸い込むと、心の中にホンワカとした灯火が灯る。
そのぬくもりに、シャアは三度(みたび)涙を流した。幸せから溢れる涙だった。
離れる事無く、共に立つ。
それは、連理の枝。
長い戦いの末に、ようやくたどり着いた幸福の時。
2006 03 27 脱稿