褒美
鬼になってからというもの、各地を巡って青い彼岸花を探してきた。
最早日本中歩き尽くしたと思うが、どんな頻度で、どんな条件で咲くかもわからない為、一度訪れた場所も何度でも足を運んだ。
しかし人に擬態し、目撃情報を集めてみるが遅々として進展しない。
彼岸花は球根であることから、群生する植物である。一輪だけぽつんと生えている可能性は低いと思うのだが…
情報がないということは人里から離れた場所にあるのだろうと、今回は山の標高が高いところまで足を伸ばしていた。
獣道ですらないようなところまで隈なく目を配っていると、不意に悍ましい気配を感じて猗窩座は背後を振り返る。
久しく会っていないが、間違いない。この圧倒的な闘気。全身の細胞が沸き立つ。
直後、誰もいなかった空間に人影が現れた。
「…猗窩座」
のっぺりとした喋り方は緩慢で、嫌でも耳にこびりつく。
外に跳ねる長髪を頭の高い位置でひとつにまとめた、武士然とした男。その顔には、大きく見開いた眼が六つ。そして内のひとつの瞳には、壱の文字。
「黒死牟…」
童磨ならともかく、この男が訪ねて来ることなどこれまで数えるほどしかなかったと思う。目的もなく来る人物ではない。
一体何事かとやや気を引き締めて長身の相手を見上げると、表情を変えずに黒死牟は小さく口だけを動かした。
「支配を抜けても……花を…探しているのか」
「それとこれとは関係ないだろう」
「…感心なことだ」
無惨様の支配から抜けたとしても、与えられた任務に変わりはない。人は食わなくなったが、それだけだ。
強いて言えば、週に一度程度の割合で特定の人物に会いに行っていることから、遠方の捜索頻度が減っただろうか。
「なんの用だ」
じっと見つめられる気まずさを紛らわすようにぶっきらぼうに訊ねると、徐に右手が差し出された。
「……」
「…?」
まるで握手でも求めるかのようなその手の意図がわからない。
それきり黙っている黒死牟に訝しげに視線を投げると、何故伝わらないのかわからないとばかりに六つ目の顔が小首を傾げた。
「…掴まれ」
「……」
何故。
腹の中ではそんな問いが当然のように渦巻いたが、この朴念仁に説明を求めていたら朝になるだろう。
顔を合わせて触れ合うような仲でもなし、理由もなくそんな発言はしないはず。
相手の頭の中が理解できない不気味さを飲み込みつつ、猗窩座が軽く右手で黒死牟の指先を掴むと、一拍のきょとんとした間のあとにふっと小さく笑われた。
え、笑っ…?
猗窩座が己の目を疑った瞬間、べんっと小気味良い琵琶の音が聴覚を叩いた。
+++
瞬きのあいだに、草木を踏み分けていた足の裏は板張りを踏み締めていた。
異空間。
ここでは昼も夜もない。鬼の根城である無限城だ。
「さっすが黒死牟殿!こんなに早く猗窩座殿を連れて来てしまうとは、少々妬けてしまうなぁ」
わざわざ顔を見なくてもわかる。
小走りにこちらに近づいて来る相手につい脊椎反射で拳を握り込む。裏拳で顔を吹き飛ばしてやろうとすると、先回りをするかのように黒死牟が釘を刺してきた。
「殴るな…猗窩座。序列を、守れ…」
「ちっ…」
奥歯を噛み締めて衝動をやり過ごす努力をしていると、童磨がにこやかな笑顔でこちらの正面に回り込んでくる。
「やあやあ猗窩座殿!息災だったかい?」
「……」
「今日の主役は猗窩座殿だぜ?そんな嫌そうな顔をしていないでおくれ」
「…お前が視界から消えれば笑ってやる」
「あっははは!冗談が上手いなぁ」
悪気がない様子で声を上げて笑う童磨に背を向けて距離をとり、立ち尽くすばかりの黒死牟に半眼で問う。
「無惨様からの召集か?」
支配下にない己では鳴女にも居場所が伝わらず、空間操作をしたくてもできなかったのだろう。
他の鬼と接触することで現在地を感知し、その鬼を飛ばすことで諸共移動させたといったところか。
そしてわざわざそんなことをしてまで上弦の鬼をひと所に集めるということは、無惨様からの命令に他ならないはず。
自己分析を簡潔に済ませる猗窩座に、黒死牟は小さく頷いた。
「無惨様は…お喜びだ…」
「……」
何故。
再びの疑問である。
破滅的に言葉が足りない上弦の壱には、苛立ちを通り越して諦観すら抱いてしまう。
猗窩座が眉を潜めると、童磨が懲りずに眼前に回り込んできた。
「猗窩座殿が無惨様の血を自分のものにしたからだよ。多少の不安定期はあったが、今となっては自我も保ち立派に使いこなしている」
「……」
「一番の親友としてこれ以上の喜びはない!我らで祝おうというご提案だ!」
感情などないくせに本当に嬉しそうににこにこと笑顔を貼り付けている童磨から顔を背ける。
祝いだなどと白々しい。こんな胡散臭い男に祝われたとしても迷惑でしかない。しかし発案者が無惨様となると不用意なことは言えまい。