褒美
「…猗窩座、」
黒死牟に名を呼ばれ、顔を上げる。懐に何やら手を突っ込み、黒死牟は取り出したものをすっとこちらに差し出してきた。
「これを…」
「…?」
わからないながらに何かを渡そうとしている意図は伝わったため素直に手を出すと、手のひらにぽとんと落とされたのは小さな巾着袋。
深い紫色をしたそれは手のひらに収まってしまうほどの大きさで。
「わあ!祝いの品だね、黒死牟殿!どれどれ、何が入っているのであろうな?」
「寄るな。お前には見せない」
「えー、そんな狭量なことを言わないで欲しいものだなぁ猗窩座殿。減るものでもあるまい」
ずいっと手元を覗き込んでくる童磨の胸を肘で押しやるが、絡みつくようにこちらの肩や腕に手を這わせてくる。前々から思っていたが、こいつは人との距離感が異様に近い。あと三歩は下がって欲しいところだ。
鬱陶しい相手に無理矢理背中を向けて猗窩座は巾着の紐を緩める。肩口に顎を乗せられるが、構うのも面倒でそのまま袋の口をひらいた。
「?」
…なんだこれは。
赤くて丸い。一見果物か何かかと思ったが、それにしては生々しい。表面にはひびが入ったような亀裂が走っている。
巾着からそれを摘み出してみて、猗窩座は動きを止めた。動きどころか呼吸も止まった。
「んん?…えっ、これ…」
こちらの手元に顔を近づけた童磨もそれが何かを察したのか、言葉をぶち切って固まる。
揃って指先に摘んだそれを凝視している二人の耳に、呆れ気味の声が届いた。
「私は止めたぞ。」
勢いよく顔を上げると、別の空間から来たらしい無惨がポケットに両手をしまったままこちらに歩いてくるのが見えて、咄嗟に床に膝を突こうとすると「そのままで構わん」と短く制された。
「黒死牟。何故再考しなかった?貴様の目玉なぞ猗窩座にくれてどうする」
…そう。
はじめは認識できなかったが、これは黒死牟の眼球だ。
いやそもそも誰が予想できるだろう。祝いの品だと横から言われて渡された巾着の中に眼球が入っているなんて。正直ドン引きだ。
至極もっともな無惨の問いに、黒死牟は俯く。
「猗窩座の…居場所が掴めない。…何かあれば……私が出向くことが…できるように…」
「あー、なるほど。身体の一部があれば居所の感知はできる。お守り代わりに持たせようということだね?ならば俺も目玉をやろう!その巾着、もうひとつくらい入るだろうか」
「いらん!取り出そうとするな、気色悪い!」
「気色、悪い…」
愉快そうに本当に眼球を抉り出し始める童磨に猗窩座が噛み付くと、黒死牟がやや衝撃を受けたようにぽつりと呟いた。「道理だな」と頷く無惨のひと言に更に肩を落とす黒死牟。
「しかしだよ猗窩座殿、万が一のときに俺や黒死牟殿が猗窩座殿のもとに揃えば、もはや無敵というものではないか?多少の気持ち悪さは仕方ないというものだ」
「ふざけるな。何故俺の身に何かあることが前提となっている?壱のは持っていてもいいが、お前のは陽光の下に投げ捨ててやる」
「うーん。なら仕方ない。琵琶の君、例のあれを頼むよ!」
握り込んだ拳を戦慄かせながら猗窩座が吐き捨てるように言うと、童磨は立てた人差し指をあざとく顎に当てがって声を上げた。
べん、と弦が弾かれる音がすると、ひとつの部屋が現れる。そこには何かが鎮座しているようだった。
「俺からの品だよ。猗窩座殿の寝倉に持っていくといい」
「…なんだあれは」
不信感たっぷりに訊ねると、童磨はそれに歩み寄って猗窩座に手招きして笑う。
「ふかふか座布団だね」
「!」
童磨からは何も受け取る気はなかったが、ふかふか座布団という単語は猗窩座の耳に魅力的に響いた。
招かれるままに歩いていき、分厚いそれに思い切り座ってみるととんでもなく身体が沈み込む。尻を中心に背中や四肢まで埋もれて少し焦るほどだ。
「あはは、猗窩座殿が使うと全身埋まりそうな勢いだ。俺が寺院で使っているものより大きいんだぜ?どうかな、気に入ったかい?」
「…まあ、悪くない」
不機嫌を装って答えるが、内心とても楽しい。包み込まれる感じがなんともいえない気持ち良さを齎している。
なんならずっと溺れていたい。が、さすがに無惨様の御前でこんな醜態を晒し続けるわけにもいかない。
と思ったそのとき、思いきり本人と目が合った。
「童磨。私にも同じものを用意しろ」
「畏まりました!無惨様にも気に入っていただけるとは光栄至極にございます!」
黙って眺めていた無惨の言葉に嬉々として応じる童磨。
猗窩座が難儀しつつ座布団から身体を起こすと、黒死牟が音もなく歩み寄ってきて。
「…手合わせ、するか」
何故。
本日三度目の疑問だったが、答えは明白である。猗窩座は即答した。
「する!」
「じゃあ俺もー!」
「お前とはしない」
元気よく手を挙げる男を猗窩座がばっさり斬り捨てると童磨はぶうたれていたが、そのやり取りに無惨は僅かに口元を和らげた。
「猗窩座、私からも褒美をやろう」