上司と部下
ガチャガチャとチェーンが外されるまでの時間に
トムは一瞬で血相を変え、ドアから離れるために身を翻そうとする。
静雄も何かを感じ取ったのかトムの方へ一歩近づいた。
だがその瞬間、ゆっくりとドアが開かれる。
トッ
部屋から一歩踏み出した男が
トムに体ごと静かにぶつかる。
「・・・これでいいですか?代金。」
・・・クソ野郎。
焼けるような痛みが下腹部に広がる。
鉛のように重くなった下半身に膝をつく。
やっぱ、調子に乗るもんじゃねえなこんな仕事・・・。
「・・・・・・・・・・・テメエッ!!!!!! 何してんだアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
咆哮にも近い怒声に、静雄の姿を初めて知覚した男が
驚愕の表情と共に更に危害を加えようと静雄にも刃物を向けた。
だが静雄に切っ先が向かうその前に
ものすごい衝撃を全身に受け、男は廊下の天井に叩きつけられるとともに
そのままの勢いでアパートの端の壁まで吹っ飛んだ。
尚も相手に追撃を加えようと相手に近づこうとする静雄だったが
「・・・おいおい・・・・。それ以上やるとさすがに死ぬべ。・・・つーか、俺。俺が死ぬ・・・。」
「!!トムさん!」
声のしたほうを見やるとトムは上半身を起こしたまま壁にもたれ掛かっている。
これ以上ない程凝縮していた怒りを一瞬で吹き飛ばし
トムに駆け寄ると静雄は真っ赤に染まった腹部を見た。
「大丈夫っすか!?」
「・・・なんとかな。たぶん。・・・わり・・・あんましゃべれねぇ・・・。」
苦悶の表情を浮かべながら、トムは上着を弄ると携帯を取り出し静雄に渡す。
「119頼むわ・・・。」
静雄が見舞いの品を持って病室を訪れると、窓際のベットの上でトムが暇そうに外を眺めていた。
「おー!静雄きたか。わりいな、色々頼んじまって。何せいきなりの入院じゃ準備のしようもねえからよ。」
トムはどこか他人事のように話し始める。
「全治3週間ってな。まぁ、正面からグッサリって割には深く刺さってねーんだよ。
あの兄ちゃん、力無さそうだったもんな。まぁこれくらいで済んで不幸中の幸いだな。
色々聞かれてめんどくさかったけどな。まぁ、うちんとこはグレーもグレーだけど
ちゃんと税金も納めてるからな。警察と話出来る機会もあんまないわな。」
つらつらと話し続けるトムだったが、聞いているのかいないのか
静雄は頭を下げたまま椅子に座っている。
そんな静雄の様子に気づいてふと口を閉ざす。
「どうした?何か元気ねーな?」
そこで静雄は静かに頭を上げると
「・・・・すんませんでした!!!!!!!!!!!!」
今度は勢い良く頭を下げるのだった。
「・・・は???」
「・・・俺が居たのにトムさんにこんなケガさせちまって・・・
俺だったら刺されても大丈夫なんで・・・。あの時俺がドアの前にいりゃ・・・。」
尚も謝罪の言葉を紡ごうとする静雄だったのだが。
「・・・や、やめろよ静雄。」
トムが声を震わせながら呟く。
「・・・いや、やっぱ俺のせいっす。・・・マジ責任取ります・・・・。」
「や、やめろ・・。やめろ静雄・・・。」
ますます声の震えが大きくなるのを聞きながら
静雄は下げたままの頭をより深く下げて叫ぶ。
「ホントすいませんでしたッ!!!」
「や、め、ろ・・・・!!! は、ハラに・・・・腹に響く・・・!!!わ・・・・笑わすな・・・・!!!!」
・・・?笑う???
思わず静雄が顔を上げると刺されたわき腹を抱えながら
笑いを必死に我慢しているトムの顔があった。
「お、お前・・・!!静雄がお前・・・!!謝るって・・・!!せ、責任取る・・・!!
あ、いてえ!!いってえ!!いてえけどやべえ!!笑いが・・・!!」
涙を浮かべながらベットの上でヒーヒーと笑いこけるトムの姿に
さすがの静雄もポカンとした表情を浮かべる。
「・・・あーーー。お前怪我人に何つうことすんだ。
笑い死ぬかと思ったわ。」
やっと落ち着くと笑いを顔に貼り付けたまま静雄に話しかける。
「いや、俺は・・・。」
「おい!もういいからな!!もうお腹いっぱいだからな静雄。」
とっさに静雄の言葉を遮ると、おもむろに真剣な表情になる。
「・・・いや、わりぃ。お前がそうやって謝ってくれんのは素直に嬉しいけどな。
ちょっと勘違いしてんじゃねーかと思ってな。」
「・・・勘違い・・・・すか?」
どういうことかと思いながらトムの顔を見つめる。
「静雄お前さ、この仕事手伝ってくれっつってお前に頼んだのは、
確かにお前を見せて相手びびらせるためだけどな。
俺にケガさせちゃいけねー。俺を守んなきゃいけねーなんて、一回でも頼んだか?」
真剣に静雄を見つめたままトムは言葉を紡ぐ。
「・・・いや、お前自身はさ、用心棒みてーな気持ちで付いてきてくれてたのかもしれねーし、
それはある意味間違ってねぇ。キナ臭い仕事だしな。いつだって、今回みたいなトラブルに
巻き込まれてもおかしくないような仕事してるからな。
だけどよ、今回のことははっきりいってただ単に俺のミスだわな。
いつもなら頭んどっかで働かせてる警戒を解いちまった。
お前には責任は一切ねえ。テメエのミスで腹刺されといて全然責任もねえ部下に謝られてみろよ。
そりゃお前笑うしかねーだろーが。」
「・・・すんません。」
「だーから。謝るなっつーの。テメエの身位テメエで守れねぇでどうすんだよ。
お前は指さして笑っときゃいいんだよ。気にすんな。ハハッ! あ、いてえ!笑うといてえ!」
表情を歪める上司を見ながら静雄は自分の気持ちがあっと言う間に軽くなっていくのを感じる。
それが目の前にいる上司のおかげであることを感じながら静雄はそれでも
・・・二度とトムさんにこんなケガはさせねー。
今度は潰す。どんなヤツだろうと先に潰す。
と心の中で固く誓うのだった。
「・・・まぁ、こうやってゆっくりできんのも久しぶりだからな。せっかくだから
ゆっくりさせてもらうわ。・・・それにな。ここの看護師、美人が多いんだよ・・・。
女医さんがかなり巨乳でな・・・。」
急に声を潜めてそんなことを語りだす上司に
呆れる事もなく静雄は真剣に話を聞く。
「・・・ところで静雄、お前は巨乳なのとそうじゃないのだったらどっちがいい?」
「・・・巨乳っすか?」
ここぞとばかりに踏み込んだ、と言っても方向性の間違った突っ込み方をした質問を投げかける。
「・・・そうっすね・・・あんま考えたことないっすけど・・・・。俺はどっちかっつーと・・・。」
どさくさに紛れて突っ込んだ質問をする上司相手に嫌な顔もせずに答える部下を見るうちに
段々と罪悪感に似たものを感じてトムが謝るのは、もう少し先の話。