風の隣
「……、」
ふと意識が浮上して、鳥飼羽李は微睡から覚醒した。
周囲は暗闇に呑まれているが、座り込んだ己の尻と背中にあたる固く冷たいコンクリートの感触に、ここが取り壊し途中の工場の中だったことを思い出す。
窓から射し込む青白い月明かりだけが、頼りない唯一の光源。
夜目が効きにくい鳥飼は、じっと目を凝らして辺りを探った。
すぐ近くには思い思いの体勢で身体を休めている仲間たち。しかしその中に、いつも無意識に一番に求めている男の姿はない。
膝に手をついて、そっと立ち上がる。軍靴の底が埃混じりの砂利を踏んで、微かに鳴いた。
「蛭沼さん」
窓辺に立ち外を注視していた男に歩み寄り、控えめな声をかける。見張りは交代制で、今夜は蛭沼が担当だった。
呼ばれた蛭沼は視線だけをこちらに寄越して小さく微笑み、ある方向をつい、と指差す。
「大将なら外ですよ」
「え…、あ、そう、ですか。」
何も口にしないうちからこちらが訊ねようとしていたことの答えが返ってきて、虚を突かれぎこちなく頭を下げた。
いつだって冷静沈着で、一歩下がったものの見方をするこの人にはなんでもお見通しな気がして。
気恥ずかしさをおしておずおずと質問してみる。
「あの…俺ってそんなにわかりやすいですかね?」
「ふふ。大将に関しては、確かにわかりやすいですね」
「……」
…そうなのか。
それは、どこまでバレているのだろう。
怖くてその先は訊くことはできなかった。
ちょっと様子を見てきますと言い残し、踵を返し外に出る。
廃工場の周りにはぐるりと林が聳えており、まるで周囲の闇を吸収しているかのように真っ黒に塗り潰されていた。
その圧倒的な暗闇に目が眩みかけたが、探す必要もないほどすぐ近くに目当ての金色の頭が目に入って安堵する。
弱々しい月光を集めるように、青みを帯びて輝く金髪。
こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる男の後ろに立ち、声をかけた。
「…大将」
「ん。どうした」
呼びかければ、こちらを振り仰ぐその顔に翳りはない。
普段は意志の強さをそのまま表したような頼りがいのある表情も、今は穏やかに凪いでいる。
等々力颯。
鳥飼をはじめとした隊員たちが所属する、鬼國隊の大将である。
そんな彼の手元に視線を移す。
…暗闇が苦手な鳥飼の目にはほとんど映らなかったが、予想はついていた。
「…また、墓つくってんのか」
目を凝らしてもよくわからないが、おそらく等々力の手元には小石が積まれた簡素な墓がいくつも並べられているのだろう。
「ああ。今日の戦いで、またひとつ増えてしまったな」
摘んだ小石に白い指を優しく這わせて、等々力が長い睫毛を伏せる。
鬼國隊の目的は桃太郎の完全抹消。
各地に散らばっている大小様々な桃太郎機関の支部を落とし、そこから得た情報をもとに次の目的地を定めていた。
今回の標的は比較的小さな支部ではあったが、一人の桃太郎が苦し紛れに持ち出した爆弾により、鬼國隊からも死者が一名出ていた。
残された自分たちが、死んでいった仲間たちの無念を晴らす。
叶わなかった願いや想いを、未来に繋げるのだ。
「…一人で背負うなよ」
「…うん。そうだな」
口ではそう言うが、こいつは自分の責任だと己を追い込むのだろう。大将たる自分が不甲斐ないからと。
俯いて墓をつくる作業に戻る男の背に、鳥飼は開きかけた手のひらを握り込んだ。
本当は後ろから力いっぱい抱き締めてやりたい。月明かりが降り注ぐ背中は青白くて、冷たそうで見ていられない。
どれだけ強い覚悟に塗り固められた心だって、大切な仲間を失えば傷がつく。
しかし、傷ついた心を悟られないように、またみんなの道標としてこの男は一番前に立って駆けるのだ。
「……。」
この墓作りの行為を止めることはできない。
死んだ鬼國隊の者たちは、誰も彼もこの大将を支えたいと思ってついてきた。そんな彼らを守ることができなかったことを自分の咎と認識してしまうのも、無理からぬことなのだろう。
鳥飼は等々力の横にしゃがみ、肘を相手の肘にとん、とぶつけた。
「あといくつ?俺もやる」
「見えるのか?」
「んー、まあ。ぼんやり」
「羽李は鳥目だからな」
にっと笑う等々力に微笑を返す。
慰めなんていらない。今のこいつに必要なのはきっと、隣で一緒に前を向く存在だ。
それは他の誰にも譲れない。こいつの隣は、俺だけの居場所だ。
手探りで小石を探し、手先の感覚で形を見ながら積んでいく。
しかし三つ目ともなると、形が悪いか大きさが悪いか、うまく乗らずに小さな墓標は呆気なく崩れてしまった。
鳥飼にとっても、苦楽を共にした仲間の死はつらい。
が、何よりもつらいのは、その死に等々力が胸を傷めていることだった。この男は、傷だらけになってもその傷口を他人に見せることはない。
その傷を半分もらうことは、鳥飼にはできない。死んだ者たちが慕っていたのはあくまでも等々力で、その痛みを肩代わりしてやるというのは筋が違う気がするのだ。
だから、傷ついた等々力を隣で温めて、癒してやれる存在になれたら良い。
「…颯」
「どうした」
「……、」好きだ。
そう言葉にすることができたら、どれほど気持ちが楽になるだろう。
いつから抱いているのか自分ですらわからない恋情は、随分と温めすぎて後戻りできない程度に拗らせている自覚がある。
親愛ではなく、恋愛。下心だってある。
もしも好意を伝えたら、どんな反応をするだろう。
嫌悪して、距離を置かれてしまうだろうか。
わからない。
仮に受け入れてもらえたとしても、こいつの歩みの妨げになってしまうような気がして。
どちらに転んでも、怖い。
考えれば考えるほど臆病になって、結局いつも言えなかった。



