天空天河 十一
十九 竹簡
誉王救出の為に、靖王が金陵を発ってから、三日程が過ぎようとしていた。
出立の時の龍を見た者達から、口伝えにあの迫力は伝えられ、話は盛りまくられ、金陵の都中、この話題で持ちきりだった。
朝廷では、靖王の気持ちとは裏腹に、靖王の立太子柵封案が、早々に奏上されていた。
一方、立太子案件については、靖王が沈追に、『絶対に動くな』と釘を差していた為、靖王を支える武官や文官からは全く上がらなかったが。
靖王派に鞍替えしたい、嘗ての主を見限りたい、献王派や誉王派から、山のように奏上された。
朝議の為に、沈追直々、吏部の奏書を持ち込んだ。
以前、梅長蘇に謎かけられた税の門題を、ようやく改善する方策が思い浮かんだ。
せっかくの苦心の案、朝議の題目に上げてもらいたいのだ。
沈追は自分の奏書を、なるべく上に上げてもらおうと、吏部の最高位にもかかわらず動いている。
目の前には、六部から上がる山。
いつに無く、高々とした山の奏書を見て、沈追がうんざりとため息を付く。
沈追には、この奏書の山の内容は、分かっている。
ほとんどが靖王の立太子の件だろう。
『まぁ、仕方ないですがねぇ、、、』と困り眉で、笑う沈追。
「殿下の為に、我々も奏上せねばならぬのでは?。」
沈追の背後から声がした。
振り返ると、眉を吊り上げた蔡筌がそこにいた。
蔡筌もまた、刑部の奏書を携えていたが、その中には靖王の立太子の奏書は無い。
沈追は、蔡筌の言葉を聞いて、以前、梅長蘇から、
『敵方に語らせるほど、効果があるものはない』
と言われたのを思い出し、寄せられた困り眉の緊張も解けた。
「蔡筌、我々は黙っていよう。」
沈追の口元がにやりとするのを見て、蔡筌も長蘇の言葉を思い出した。
「ぁぁぁ、、、、あれか、、、たしかに、、、だな。」
梅長蘇の言葉を一緒に聞いていた蔡筌も、その事を思い出したようで、蔡筌の心の重しが消えていった。
気持ちが軽くなった所で、蔡筌は沈追と語り合いたくなった。
「沈殿、実は良い酒が手に入りまして。
今晩、伺っても?。」
「あははは、、、蔡筌が酒を持って来るのか?、珍しいな。」
「そりゃ、私だって、たまには持っていきますとも。
そこまで厚かましくはありませんよ。」
「あはははは。」
沈追に対しては、けっこう厚かましく甘えてくる蔡筌が、『自分は厚かましくない』という。
何だか可笑しくなり、軽快に笑う沈追。
蔡筌までもつられて笑ってしまいそうだったが、正直、何が面白いのか分からない。
「沈殿!、何がそんなに面白いので!?。」
「クックックックッ、、、。」
蔡筌には分からない。
『分かるまいな』と、沈追は首を振りながら、蔡筌の肩を叩いた。
「痛いですよ、沈殿。」
沈追は文官の割に分厚い手をしている。
「蔡筌、行こう。」
沈追はそう言って笑いを噛み殺して、歩み出した。
『今日は何を肴に呑もうか、蔡筌の愚痴は何だろうか』
沈追は、そんな事を考えながら、蔡筌の横を歩く。
二人は今日の役目を終え、帰路についた。
日は暮れて、金陵は夜闇に包まれた。
「飛流、景琰の誉王救出は上手くいっているか?。」
「、、、うん。」
飛流はそう言って頷いた。
降り注ぐ月と星の明りが、美しい夜だった。
夜気は澄み、この時期にしては寒い夜だが、長蘇は寒さを感じなかった。
あの日、靖王が用意した衣を纏っている。
寒症に冒される梅長蘇の為に、見た目には薄いが、温かさを重視し用意した、最上質の衣だった。
それでも以前の梅長蘇ならば、どれ程防寒しても、寒い夜に開け放たれた部屋の中にいれば、体温は下がり続け、とても翌朝までは生きてはいられない。
だが今、長蘇は、全く寒さを感じなかった。
飛流の『魔』力に、身体が満たされた為だろう。
赤焔事案の折、軍部が林府に踏み込んで、屋敷内の部屋という部屋、晋陽公主が、大切に管理した庭園なども、酷く踏み荒らされた。
無論、金品貴重品宝物など、全て持ち去られた。
それらは皇宮に没収されただけでは無い。
現場の者の、懐に入った物も数多い。
今、長蘇は、嘗ての林府の自分の部屋にいる。
誰がしたのか、床は綺麗に清められ、椅子と机が、庭を見られるように、部屋の入り口近くに置かれていた。
庭側には雑草など無く、綺麗に整えられていた。
奥には一本の、背高な楠木が根を下ろしている。
──私が最後に見た時は、今の半分位の大きさだったが。──
楠木は自由に枝を伸ばし、伸び伸びと大きくなった。
──それだけ、歳月が過ぎたのだ。──
──十年の月日。
長く苦しく、しかも私の機会には、期限がある。
梁の為、赤焔軍の為、そして祁王の為に。
たたただ、我武者羅に進み続けた。
それもどうにか、終わらせる目処が。──
目を閉じると、無量感に囚われた。
──私も飛流にも、覚悟はできている。──
目の前の机の上に、竹簡が数本。
竹簡は普通、袋に入っているが、裸のまま巻かれて、棚の置かれていた。
竹簡が置かれている棚も、修繕の跡があり、赤焔事案の折、官兵達に壊され、そしてその後、修繕されたのが分かる。
どの部屋にも、銘品ではなかった家具は、残されていて、そして、修繕がなされている。
誰かが、荒らされた庭を綺麗にし、壊された調度を綺麗にしたのだ。
長蘇は、その竹簡を数本持ってきて、月明かりに照らして、読んでいた。
竹簡にも記憶にない傷があり、糸は違うものでつながれている。
この竹簡もまた、壊されたのだろう。
林家を思い、修繕した者の心を思い、ほんのりと長蘇の心が温かくなる。
割れたり折れたりした簡が、一本一本丁寧に貼り合わせてある。
繋ぎ目に触れると、継ぎ目がぽこぽことしていた。その道の職人の修繕ではない。
職人ではないにも関わらず、林家への気持ちで修理をしたのだろう。
林府の屋敷内の、あちらこちらの家具や建具にも修繕の跡。
そして竹簡を繋いた、綿の糸。
何かの衣から抜き取った様な糸で、本来竹簡を繋ぐ糸の様に、丈夫なものではないが。
嘗て、都はおろか、大梁国内を恐怖に貶め、文武百官はおろか、草民にまで地獄を見せた、あの赤焔事案。
赤焔軍、祁王府、林家の一族は皆、追われ殺された。
赤焔事案の処罰に異論を唱える者、助命を嘆願する者、女も子供も皆、一味とみなされ処刑された。
人々は息を止めて、血の嵐が過ぎるのを待ったのだ。
嵐は長く、そしてその後、人々は『赤焔事案』を口にしなくなった。
人々は長い間、口を噤み、赤焔軍も祁王も、林家すら忘れ去った様に見えた。
だが元々、祁王と林家は、都の民衆に人気があった。
人々の心の中には、勇ましい赤焔軍や、夢に見た祁王の治世、林家の人々を覚えており、人目を忍んで林府を清め整えたのだ。
官兵にでも見つかれば、林家や祁王の一味と見なされて、その者は家族共々、死罪に処されたろう。



