甲斐性と雨宿りしたら・続
薮に潜む三体の鬼を討伐した翌日の朝。
煉獄杏寿郎は、鎹鴉から伝達された任務を受けて、藤の花の家紋の家から直接次の現場に向かった。
昨夜は大雨に降られてしまい、頭から爪先まで濡れ鼠となった煉獄だったが、藤の花の家の者の手厚い対応により隊服もすっかり乾き、暖かい風呂をもらい、ざっと三十人前はあろうかという食事を腹に収めることができた。
要するに、絶好調である。
その日の夕方には、目的地である墓地に到着した。
栄えているとは言い難い、どこか寂れた町から少し離れた位置につくられたその墓地は、申し訳程度に四角く削り取られた石が並べられているだけの質素なものだった。
斜陽に照らされたそれらは、物悲しく鎮座するばかりで周囲には誰もいない。
しかし確かに鬼の気配が残っていて、ここに件の鬼がいたのであろうことは間違いない。
まだ日が沈むまで少し間がある。
煉獄は辺りをぐるりと見渡し、墓地から一度出るとその外周を歩きはじめた。
討伐対象の鬼の情報は何もない。隊士が数名先行していたらしいが、いずれも消息を絶ったという。少しでも鬼の能力を予測できる手がかりはないかと、周辺を隈なく調べてみることにした。
墓地の出入り口は一箇所。外周は竹垣で囲いが作られており、その下には低木が植えられている。
入り口の反対側まで歩いていくと、鈍色に煌めいた光が隻眼に刺さり、思わず煉獄は顔を顰めた。
「……これは…」
近づいてみると、それが日輪刀であることがわかる。
拾い上げようとして、煉獄はぴたりと手を止めた。
低木の根元に落ちていたためか、陽の光に当たっていない部位がある。
逡巡してから羽織を肩から外して大きく広げ、その場にしゃがみ込み己の頭と背中、そして低木を覆うようにして陽光に日輪刀が晒されないよう注意する。
改めてそれを手に取り、顔に近づけてまじまじと観察してみた。
日が当たっていたところは青みがかったただの鉄である日輪刀だが、重要なのは日陰だった部分。
刀身に、何か液体のようなものが纏わりついているように見える。透明だが、どうやら水ではない。
指先で触れてみると、ぬるぬると油のように潤滑度の高い質感であることがわかった。指同士を擦ってみても落ちず、一度付着した皮膚と同化するかのようだ。
…これが、ここに潜む鬼の血鬼術だろうか。
だとすれば、鬼の頸も同様にぬるついている可能性が高い。生半可な太刀筋では斬れまい。しかも、一度刃が触れればその刀身も滑ってしまう。
「……」
この日輪刀の主だった隊士は、亡骸がないところを見るに、恐らく食われたか吸収されてしまったのだろう。
最期に鬼殺隊の仲間に情報を残そうと、陽の当たらないところに刀を投げたのだろうか。代わりに討伐してくれと。
…否、そうではないかもしれない。手から柄がすっぽ抜けて偶然低木の下に転がっただけとも思える。
どちらにせよ、有益な情報には違いない。
更に、今の己の状態を鑑みるに、都合が良いといえる。
煉獄杏寿郎は、欲求不満が募るほど闘い方が暴力的になる側面を持つ。…これを知るのは鬼殺隊の中では宇髄天元だけだが。
昨夜、血鬼術により性的な興奮状態に陥った煉獄は、吐精したことでその術からは脱したものの、身体の内側……正しくは腹の奥が切なく疼いて、物足りなさに参っていた。予定では今夜、その続きを致すはずだったのだ。
以前宇髄に指摘されたときは、数週間のあいだ欲求を抑え続けたことで周囲にも多大な迷惑をかけてしまった。顔を合わせた上弦の参には口よりも先に手が出てしまったほどだ。
あのときほどではないにしろ、程良く身体が渇いている。
容赦ない一太刀を浴びせるのであればちょうど良い。
持ち主のいない日輪刀を拾い上げて立ち上がると、煉獄は羽織を肩にかけた。
沈みかけた太陽の西日に照らされて、刀身に残っていたぬめった液体が燃えて塵となり、鬼の痕跡であったことを如実に物語る。
その後も周囲を探ってみたが、目ぼしい手がかりはなくて。
煉獄は墓地の中央に歩みを進めると、遺留品の刀を置いてその場にどっかりと胡座をかいて座り込んだ。
もう少しで、日が沈む。気を鎮めるように隻眼を閉じ、精神統一を図った。
+++
日没後、程なくして対象の鬼の気配が現れた。
墓地の入り口から歩いてきた鬼は、目を閉じたまま中央に座っている煉獄を認めると怪訝そうな声をあげる。
「…なんだぁ?鬼狩りか?」
警戒して空気が張り詰めたのは一瞬だけ。すぐに鬼は小馬鹿にするように鼻で嗤った。
「一人か。昨日は三人でまとまって来たぞ。ま、全員食っちまったが。」
愉快そうに言う相手に、煉獄は特に何か反応するでもなく相変わらず微動だにしなかった。
更に言葉を重ね、鬼は下卑た笑い声で煽り立てる。
「ひひ、威勢だけは良かったが、弱かったなぁ。一人は女だった。まだ若くて美味かったぞ?」
「……」
「…おい、寝てるのか?」
相手の声色に次第に苛立ちが混ざってきた頃、煉獄は静かに片膝を立てて軸足を引いた。低い姿勢のまま、刀の柄を握る。
…姿を見ずともわかる。
鬼の纏う気配から、その姿形が。距離感が。間合いが。
そんなこちらの様子が癪に触ったのか、鬼が忌々しそうに舌打ちをする。
「…のろのろと馬鹿にしやがって……ぶっ殺してや」
次の瞬間には、草履の裏側からじゃり、と砂が擦れる音だけを残して、煉獄の姿は消えていた。
鬼がすべてを言い切る前に、ぶわりと熱波が鬼の眼前に迫り吹き抜けていく。
はっとして背後を振り返ったときには、煉獄が手にした日輪刀を振り抜いた姿勢でそこにいた。
「な……なんだ、早く動けるじゃねえか…」
顔を引き攣らせつつもなんとか笑みを取り繕う鬼が、身の危険を感じ身体を反転させ、咄嗟に煉獄から距離を取ろうとしたとき。
ずるり、と視界が真横にずれた。
一拍遅れて、真下に急降下する。
「え、」
作品名:甲斐性と雨宿りしたら・続 作家名:緋鴉



