光と影
「彼岸花ならほら、そこの畦道にたくさんあるだろう?」
初老の男が指をさす先に視線を流して、猗窩座は軽くかぶりを振った。
「あれは赤いだろう。俺が探しているのは青い彼岸花だ」
「青ったって……彼岸花に青いのなんてあるのかい?」
「噂も聞いたことはないのか?」
「うーん…、あったら覚えてると思うよ」
日が落ちて、適当に人口が多そうな町に足を運び、猗窩座は人間に擬態して町の住人らしき人物に声をかけていた。
各地を渡り歩く商人たちより、近くの山や人が踏み入らないような場所にも詳しい者なら目撃している可能性もある。
そう考えて齢を重ねていて、人付き合いが多そうな人間を見かけては探しものについて訊ねていた。
が、今回もどうやら空振りだったらしい。
「そうか。呼び止めてすまなかった」
「いやいや、力になれず悪いなぁ」
男が申し訳なさそうに眉尻を下げ「見つかると良いな」と笑って手を振り去っていく背を見送る。まだまだ人通りが多い町中の雑踏に、その姿は消えていった。
なんとなく、誰にでも分け隔てなくにこやかに応じる様に、かつての恩師の姿が重なった。
…いや、師範なら下手をすれば一緒に探すなどと言い出しかねないか。損得勘定なんて二の次で、どこまでもお人好し。
そういえば師範が怒ったところは見たことがない。
立ち尽くすこちらを、人々が少しばかり迷惑そうに避けてすれ違っていく。
そんな中、小柄な影がすぐ脇を勢い良く駆け抜けていき、ひとりの女にぶつかった。女は小さな悲鳴を上げて軽くよろけたが、小さな人影は足を止めることなく走っていく。
スリだ。しかもまだ子供。
「……」
女は財布を盗られたことに気づいていないのか、困惑気味に周囲を一度見渡しただけでまた歩き出した。
あの手つき、間違いなく常習犯だ。
屈託なく笑う、師範に似た男。
スリをはたらく少年。
……。
なんだか、頭痛など起こるはずのない身体なのに頭が痛くなってくる。
そのうち病弱な少女なんかと遭遇してしまいそうだ。
少年の気配は、そこまで遠くに離れてはいない。
路地裏からどこかに身を潜めている。恐らく財布の中身でも物色しているのだろう。
散々罪を重ねて罪人の刺青も両腕にいれられた身でありながら、今更正義漢面するのも滑稽な話だが…
脳裏に、朱の混じった目の覚めるような金色の頭がよぎる。
正義の味方を絵に描いたような男の、快活な声が聞こえてくるようだった。
…わかった。わかったからそうせっつくな、杏寿郎。
重たい溜め息をひとつ落として、猗窩座は踵を返して歩き出した。
+++
大通りから外れた細い道。薄暗いその通りに建ち並ぶ家屋の間に、例の子供はいた。歳は十を数えるくらいだろうか。
ひょいと猗窩座が覗き込むと、しゃがみ込んでいた少年はびくりと肩を揺らしてこちらを見上げてくる。
手元がブレたせいか、小銭が辺りに散乱した。
「なっ…なんだよ!おれの金だぞ!」
何も言わないうちから、少年は小さな指先で慌てて小銭を拾っていく。
猗窩座はすとんと膝を折って座り、相手と目線を合わせて無言で見つめる。じっと視線を注がれて思わず動きを止めたものの、少年は唇を噛み締めて多少の取りこぼした小銭を諦め、立ち上がって逃げ出す。
その直前、猗窩座が腕を伸ばして少年の襟首をむんずと掴んだ。
「うわっ、」
座ったままの猗窩座に捕まり、体勢を崩して尻餅をついた少年が、歯を剥き出しにして睨んでくる。
「離せよ!」
「なかなかの手際だった」
「…え、わっ」
瞬間的に少年の手首を捉え、そこらじゅうがほつれて傷んだ着物の袖を捲る。
かさついていて細いが、肌には余計な証は刻まれていないようだった。
「捕まったことはないのか、小僧」
「そんな間抜けなことするかよっ」
「間抜け、か…。違いない」
自嘲気味に笑うと、少年はこちらの手から逃げようと身体を捩って抵抗する。
「っ…離せってば!あんた役人じゃないだろ!」
「……。」
その姿を見て、猗窩座はひとり安堵した。
この子供は、俺とは違う。
「おい小僧、」
「なんだよっ、馬鹿力が!」
じたばたと暴れてばかりの少年の小さな頭をがしりと片手で掴み、強引にこちらを向かせる。
勝気な眼差しだが、どこか怯えるようにその瞳は揺れている。
「お前は、誰のために盗みを繰り返している?」
「っ…」
静かにまっすぐ問いをぶつけ、まだ恐れを知っている幼い瞳を覗き込む。
咄嗟にこちらの視線から逃げようとする少年に、猗窩座は言葉を重ねた。
「守りたい者がいるなら、そいつを悲しませるな。」
それは、かつての己の過ち。
誰かを助けるために誰かを傷つけていた。ほかに術を知らなくて、ただただ必死だった。



