涙の海に溺れた
独立を勝ち取る決定打となった勝利を祝う宴の最中、一人その輪からフランスが離脱したのは、何も酔いを醒ますわけではなく、今回の主役とも言うべき人物――アメリカの不在に気付いてしまったからだった。最初はただ単に、上司や仲間達の間を渡り歩いているのだと思っていた。自分も似たような目に遭っていたから。だから何か変だなと思ったのは、本当に偶然で。祝宴の中心を見ていて、何かが足りないとフランスは思ったのだ。今でも十分に騒がしいのに、それでも何処か物足りないと。その原因がかつての弟分の不在であることに思い当たった瞬間、フランスはその場から腰を上げていた。
きっと一人辛気臭くテントに篭っているのだろうと、フランスは何処か楽観的に考えていた。それがしかし、アメリカが寝起きしていたテントに足を向けても、作戦を立てていたテントにもその姿は見えず、気が付けば随分と時間が過ぎていた。あの喧騒も、今となっては遠い。
昨日降っていた雨は既に上がっているが、それが作り出した泥濘を踏み歩いた軍靴は、益々その汚れを酷くしている。アメリカの目撃情報すら無く、もうこうなったら蝨潰しに探し回ってやると、半ばヤケになってひたすら歩を進めたからかも知れない。それでもまだ、帰国するまでは十分使用に耐えるだろう。
というか、あまりにアメリカを『探す』ことに夢中になり過ぎていて、その前提である『どうして探しているのか』をすっかりフランスは忘れてしまっていた。ただ分かるのは、急ぎの報告や打ち合わせといった、公の理由ではないことだ。フランスは、あくまでも個人的な理由からアメリカを探していた。
そんな風にしてフラフラとさ迷っている内に、フランスはちょっとした林を通り抜け、一面の海へと向かい合うことになった。完璧に迷ってしまったか、と一瞬焦ったが、凪いだように静まり返っている海面に、まるで写し取ったかのように夜空が映る光景は、思わず目を奪われるくらいに美しかった。ここ最近、あまりにも血生臭い光景ばかり目にして来てきたからかも知れない。だからなのか、フランスは暫くの間自分以外の存在に気付かなかった。
それは、鮮やかな原色を纏い、太陽の色の髪と、空の色の瞳を持つ青年。
後ろ姿からでも、分かる。それはフランスの探し人であるアメリカだった。それでもフランスが直ぐに声を掛けられなかったのは、アメリカの纏う侵し難いその空気の所為だったかも知れない。
アメリカが立ち尽くし見つめるのは、広大な海。果てなど見えるわけがないが、その海の遠く先には、彼の国が在るだろう。アメリカの兄であった、けれど決別を果たしたイギリスが。
アメリカは、一体どんな顔で、どんな気持ちで海を眺めているのか。そんなことは、フランスに分かる筈もなかった。そして、恐らくはこの世の誰にも。アメリカを誰よりも理解していると自負していたイギリスは、それを粉々に打ち砕かれたばかりだ。そこまで考えて、漸くフランスは思い出す。どうして、アメリカを探そうと思ったのか。会わなければいけないと、そう考えたのか。
泣いているかも知れないと、思ったのだ。もしかしたら。
アメリカはいつだって前向きで、明るくて、兵達を元気付け士気を上げようとしていた。だが一人でも良い、誰か気付いただろうか。アメリカのそれが、空元気でしかないことに。付き合いの長さかも知れないが、暫くしてフランスはそのことに気が付いた。誰の目も無くなった、と信じた瞬間にアメリカが見せる表情の翳りに、一体何度息を呑んだだろう。その度に一体何度、怒鳴り付けようと思っただろう。そんなに辛いなら、独立なんて止めてしまえと。
勿論、実際にそんなことをされた日には、目も当てられないような事態になるだろう。双方の犠牲はあまりに多く、世論もそれを許さない。所詮は『国』でしかない自分達には、結局のところ何かを決断出来るようには作られていないのだ。『内』から響く声に、力に、衝動に、ただ突き動かされるしかない。そのことを、フランスは既に諦めにも似た感情で受け付けていた。けれど、アメリカは違うだろう。まだ彼は、子供――なのに。
アメリカの成長を急がせたのが何なのか、フランスには分からない。昔なら、この広大な土地を有するのだから寧ろ当然なことだと思っただろう。けれど、今は。少しでも『大人』になろうと、必死に背伸びをしているように見えて。いつの日か、その膝が崩れ落ちてしまうのではないかと思った。そしてその時に、アメリカを支えてくれる存在は居るだろうか。アメリカが何の臆面も無く、全てを預けられるような相手が。受け止めてくれるような相手が。
そう思った瞬間、自分でも分からない衝動のまま、フランスは一歩を踏み出していた。
「おい、アメリカ」
普段と同じような声を出せた自信は微塵も無い。疲れからか、緊張からか、その声はいっそ滑稽な程嗄れていた。
「フランス……丁度良かった。今呼びに行こうと思っていたんだ」
振り向いた、未だ幼さを感じさせる顔。アメリカの身長はすっかりフランスを追い越していて、けれどその体躯が酷く頼りないことにフランスは気が付いた。今、この時になって初めて。
「葬式を、やろうと思って。君に立ち合って貰いたかったんだ」
「葬式って……誰のだよ」
この戦いで命を散らした兵達のではないだろう。既に彼等に対する黙祷は終えているし、一段落したら墓碑だって建てられる筈だ。第一、葬式などと言いながら、肝心なものが無い。死体の無い葬式など、果たした本当に葬式と言えるのか。…否、言えない。
そんなフランスの葛藤と疑問を知ってか知らずか、アメリカはほんの少し唇を歪めた。それが、笑顔を形作っているのだと気付くのに、フランスは少しばかり時間を要した。アメリカの、そんな笑顔を、今まで一度も見たことが無かったから。
「俺の……俺の葬式だよ」
囁くような声だった。にも拘わらず、その言葉はやけにハッキリとフランスの耳に届いた。それでも、全てを理解するのに酷く時間が掛かった。滲んだような笑顔、心細い声。それはあまりにも、目の前の彼にそぐわなくて。…こんな風に笑うアメリカを、フランスは知らない。
「お前、それ、冗談にしても笑えねぇぞ」
「笑わなくて良いよ。本気だからね」
「お前は、ちゃんと生きてるだろうが。これからやっと、『国』としてやって行くんだろ」
「……死んでいたよ。いや、死にそうだったと言った方が良いのかな?まあ、良いや。取り敢えず俺は死んだんだ。彼の――イギリスの『弟』であった俺は」
やけに淡々としたその声に、唐突にフランスの脳裏に蘇る光景がある。降り頻る雨の中、対峙する二人。交わされる言葉。
『もう子供でもないし君の弟でもない』
嗚呼、そうか。そういうことか。漸くフランスは理解した。アメリカの言葉は、確かに正しい。葬式、なんて、あまりにも似合いな言葉じゃないか。
きっと一人辛気臭くテントに篭っているのだろうと、フランスは何処か楽観的に考えていた。それがしかし、アメリカが寝起きしていたテントに足を向けても、作戦を立てていたテントにもその姿は見えず、気が付けば随分と時間が過ぎていた。あの喧騒も、今となっては遠い。
昨日降っていた雨は既に上がっているが、それが作り出した泥濘を踏み歩いた軍靴は、益々その汚れを酷くしている。アメリカの目撃情報すら無く、もうこうなったら蝨潰しに探し回ってやると、半ばヤケになってひたすら歩を進めたからかも知れない。それでもまだ、帰国するまでは十分使用に耐えるだろう。
というか、あまりにアメリカを『探す』ことに夢中になり過ぎていて、その前提である『どうして探しているのか』をすっかりフランスは忘れてしまっていた。ただ分かるのは、急ぎの報告や打ち合わせといった、公の理由ではないことだ。フランスは、あくまでも個人的な理由からアメリカを探していた。
そんな風にしてフラフラとさ迷っている内に、フランスはちょっとした林を通り抜け、一面の海へと向かい合うことになった。完璧に迷ってしまったか、と一瞬焦ったが、凪いだように静まり返っている海面に、まるで写し取ったかのように夜空が映る光景は、思わず目を奪われるくらいに美しかった。ここ最近、あまりにも血生臭い光景ばかり目にして来てきたからかも知れない。だからなのか、フランスは暫くの間自分以外の存在に気付かなかった。
それは、鮮やかな原色を纏い、太陽の色の髪と、空の色の瞳を持つ青年。
後ろ姿からでも、分かる。それはフランスの探し人であるアメリカだった。それでもフランスが直ぐに声を掛けられなかったのは、アメリカの纏う侵し難いその空気の所為だったかも知れない。
アメリカが立ち尽くし見つめるのは、広大な海。果てなど見えるわけがないが、その海の遠く先には、彼の国が在るだろう。アメリカの兄であった、けれど決別を果たしたイギリスが。
アメリカは、一体どんな顔で、どんな気持ちで海を眺めているのか。そんなことは、フランスに分かる筈もなかった。そして、恐らくはこの世の誰にも。アメリカを誰よりも理解していると自負していたイギリスは、それを粉々に打ち砕かれたばかりだ。そこまで考えて、漸くフランスは思い出す。どうして、アメリカを探そうと思ったのか。会わなければいけないと、そう考えたのか。
泣いているかも知れないと、思ったのだ。もしかしたら。
アメリカはいつだって前向きで、明るくて、兵達を元気付け士気を上げようとしていた。だが一人でも良い、誰か気付いただろうか。アメリカのそれが、空元気でしかないことに。付き合いの長さかも知れないが、暫くしてフランスはそのことに気が付いた。誰の目も無くなった、と信じた瞬間にアメリカが見せる表情の翳りに、一体何度息を呑んだだろう。その度に一体何度、怒鳴り付けようと思っただろう。そんなに辛いなら、独立なんて止めてしまえと。
勿論、実際にそんなことをされた日には、目も当てられないような事態になるだろう。双方の犠牲はあまりに多く、世論もそれを許さない。所詮は『国』でしかない自分達には、結局のところ何かを決断出来るようには作られていないのだ。『内』から響く声に、力に、衝動に、ただ突き動かされるしかない。そのことを、フランスは既に諦めにも似た感情で受け付けていた。けれど、アメリカは違うだろう。まだ彼は、子供――なのに。
アメリカの成長を急がせたのが何なのか、フランスには分からない。昔なら、この広大な土地を有するのだから寧ろ当然なことだと思っただろう。けれど、今は。少しでも『大人』になろうと、必死に背伸びをしているように見えて。いつの日か、その膝が崩れ落ちてしまうのではないかと思った。そしてその時に、アメリカを支えてくれる存在は居るだろうか。アメリカが何の臆面も無く、全てを預けられるような相手が。受け止めてくれるような相手が。
そう思った瞬間、自分でも分からない衝動のまま、フランスは一歩を踏み出していた。
「おい、アメリカ」
普段と同じような声を出せた自信は微塵も無い。疲れからか、緊張からか、その声はいっそ滑稽な程嗄れていた。
「フランス……丁度良かった。今呼びに行こうと思っていたんだ」
振り向いた、未だ幼さを感じさせる顔。アメリカの身長はすっかりフランスを追い越していて、けれどその体躯が酷く頼りないことにフランスは気が付いた。今、この時になって初めて。
「葬式を、やろうと思って。君に立ち合って貰いたかったんだ」
「葬式って……誰のだよ」
この戦いで命を散らした兵達のではないだろう。既に彼等に対する黙祷は終えているし、一段落したら墓碑だって建てられる筈だ。第一、葬式などと言いながら、肝心なものが無い。死体の無い葬式など、果たした本当に葬式と言えるのか。…否、言えない。
そんなフランスの葛藤と疑問を知ってか知らずか、アメリカはほんの少し唇を歪めた。それが、笑顔を形作っているのだと気付くのに、フランスは少しばかり時間を要した。アメリカの、そんな笑顔を、今まで一度も見たことが無かったから。
「俺の……俺の葬式だよ」
囁くような声だった。にも拘わらず、その言葉はやけにハッキリとフランスの耳に届いた。それでも、全てを理解するのに酷く時間が掛かった。滲んだような笑顔、心細い声。それはあまりにも、目の前の彼にそぐわなくて。…こんな風に笑うアメリカを、フランスは知らない。
「お前、それ、冗談にしても笑えねぇぞ」
「笑わなくて良いよ。本気だからね」
「お前は、ちゃんと生きてるだろうが。これからやっと、『国』としてやって行くんだろ」
「……死んでいたよ。いや、死にそうだったと言った方が良いのかな?まあ、良いや。取り敢えず俺は死んだんだ。彼の――イギリスの『弟』であった俺は」
やけに淡々としたその声に、唐突にフランスの脳裏に蘇る光景がある。降り頻る雨の中、対峙する二人。交わされる言葉。
『もう子供でもないし君の弟でもない』
嗚呼、そうか。そういうことか。漸くフランスは理解した。アメリカの言葉は、確かに正しい。葬式、なんて、あまりにも似合いな言葉じゃないか。