約束の無い待ち合わせ
そう、イギリスはアメリカに恋をしていた。もう、ずっとずっと前から。きっかけが一体何だったのか、それは今になっても良く分からない。自覚なんて持てない程に、ゆっくりとそれは成長して行ったのだろう。かつてアメリカに対して抱いていた、未練にも似た家族愛から。
以前告げたことがある。正直に、対等の存在として、アメリカのことが好きなのだと。叶うことなど万が一にも有り得ない恋だと知っていたから、元より玉砕するつもりでの告白だった。いっそのこと、軽蔑されて距離を置かれれば、踏ん切りがつくと思ったのだ。自分から離れて行くことなんてきっと出来ないから、向こうから離れて貰おうと思った。そのことで、どれだけ自分が傷付くことになったとしても。
結果として、イギリスのその目論見は失敗したと言って良いだろう。イギリスの告白を聞き終えた後のアメリカの行動は、イギリスが想像していたものとは全く異なったものだったのだ。
俺には、好きな人が居る。出来るなら、ずっと一緒に居たいと思っている人が。――アメリカはそう言った。はっきりと、イギリスの目を見て、今までにないくらい真摯な態度で、ごめんと言った。だから、君の気持ちには答えられないと。
君のことは好きだよ。ずっと好きだ。君は俺にとって、特別な存在だから。でも、キスをしたいとは思わない。必要性を感じないんだ。そういった意味で、君と俺の『好き』は違う。絶対的に。
耳を塞いでしまいたかった。もう喋らないで欲しかった。けれどそれは、苦しかったからじゃない。悲しかったからじゃない。……嬉しかったからだ。絶対に、軽蔑されると思っていたから。まさか、こんなに真面目に向き合って貰えるだなんて、考えもしなかったから。
気持ち悪く、ないのかよ。そう訊ねた声は震えていた。泣き出しそうだったからだ。そんな顔を見られたくなくて俯いていたから、当然アメリカがどんな表情をしているのかも分からなかった。でも、それでも。
……変わらないものなんて、ないんじゃないかな。
アメリカは、そう言った。とても静かな、優しい声で。ローマ帝国だって滅んだし、ダイヤモンドだって砕けるし、君の庭がどんなに美しくてもそれは一枚の絵じゃないだろう。何だって変わるし、何だって滅びるよ。そうならないのは、そうならないように頑張っている人がいるからじゃないのかな。中国の『論語』然り、イタリアのフィレンツェ然り……ね。
ただ呆然とアメリカを見上げたイギリスに、本当に君は泣き虫だなぁ干からびちゃっても知らないぞと、男らしい乱暴な仕草で、アメリカはイギリスの涙を拭ったのだった。その時までイギリスは、自分の流した涙が頬を濡らしていることすら知らなかった。
その日からずっと、今まで以上に、イギリスはアメリカを好きになった。アメリカの言った、『変わらないものなんてない』という言葉に、一縷の望みを託して。
アメリカがイギリスの家に本を持ち込み、紅茶片手に読書に勤しむようになったのは、丁度その頃からだった。
パチンッという乾いた音が、イギリスを回想から引き戻した。どうやらアメリカは、ジェニーとの電話を終えたらしい。閉じられた携帯は、再びジーパンのポケットへと仕舞われた。そしてそれは大抵、もう一つの現象も意味する。
「じゃあ、そんなわけだから。俺は帰るね」
何が『そんなわけ』なのか、意識を過去へ向けていたイギリスに分かる筈もない。だが今までのパターンを鑑みるに、ジェニーの仕事が早く切り上がりそうだから、ディナーを一緒に取る為に帰国する……まあそんなところだろう。確かに今からなら、ギリギリ時間には間に合うかも知れない。二人はいちいち形式に拘らない性格だから、アメリカが職権を乱用してわざわざレストランを予約する必要も無いのだろうし。
「ああ、ジェニーに宜しくな」
今度はいつ来られるのか、そんなことを訊いたりはしない。けれど、デートなら花ぐらい持って行けよ、と背中を押すことも出来ない。そんなイギリスに、アメリカは謝罪の言葉を口にしたことはなかった。これからもきっと、口にすることはないだろう。アメリカを引き止める資格も、怒る資格も、イギリスには無いのだから。そしてそのことを、この世の誰よりもイギリス自身が知っていた。
「うん、じゃあねイギリス」
フライトジャケットに腕を通しながら、アメリカが軽くイギリスのこめかみにキスをする。羽毛のように優しくて軽い、温もりを与えるだけのキスを。親愛の情だけを、示すキスを。
目を合わせて、微笑んで、それから一度も振り返ることなくアメリカは去って行った。アメリカの背中がドアの向こうに消えるのを見届けた後、壁に掛けられたアンティーク調の時計に視線を投げる。時計の短針は、丁度三つ分だけ右に動いていた。三時間。そんなものか、とイギリスは思う。別段短いとも、長いとも思わなかった。
飲み掛けの紅茶。癖のついたペーパーバック。今、この部屋には、間違いなくアメリカが今まで存在していたという証がある。それは決して、イギリスが作り出した妄想の産物ではない。
幸せだった。此処には、完璧な幸福が先程まであったのだ。そのことが、何よりもイギリスを嬉しくさせる。
いつ訪れるとも知れないアメリカの為に、イギリスはティーコゼーを作り上等な茶葉を買うだろう。そして貴重な休日だったとしても、しかもそれが滅多に無い晴れの日だったとしても、この屋敷から出掛けることはきっと無い。
たった数時間の為に、何日でも何週間でも、イギリスはこれからも待ち続ける。
それがイギリスの、幸福の形だった。
作品名:約束の無い待ち合わせ 作家名:yupo