ミアキスの野望
うららかな春の日差しが、レイクファレナ城を包み込む。
セラス湖面には緩やかな温かい風によって波紋が描かれ、その下を、大小の魚がゆったりと泳ぎすぎていった。
つい先日には大規模な戦闘があったにも関わらず、ここ数日のアルフェリア軍は平穏だった。
時折、漁師親子恒例の親子喧嘩が湖面に響き渡る他は静かなもので、戦争中なのだということをすっかり忘れさせてくれる。
しかし、とある一人の少年にとっては、この平穏な日々が、逆に真冬の吹雪よりも薄ら寒い思いをする原因、だったのかもしれない。
「あ、いたいた〜」
ぱたぱたと足音を立てながら彼女は、目当ての人影を前方にみつけ、駆け寄っていく。次代女王付きの女王騎士であったにも関わらず、未だ少女のような雰囲気を残したミアキスは、いつにもましてその笑顔を輝かせていた。
対して、呼び止められた少年は、その声に一瞬びくっと背筋を震わせて、思わず足を止める。ギクシャクと、片頬を引きつらせた苦い表情を浮かべつつ、満面の笑みのミアキスを振り返った。
「や、やあ、ミアキス……」
「こんにちわぁ、王子ぃ〜。今日もいい天気ですねぇ〜」
「そう、だね……」
「ところでぇ、王子にお願いなんですけどぉ。亜麻色のかつら……」
「却下」
ミアキスがにっこりと、なにやら黒いものを織り交ぜた満面の笑みを浮かべつつ、ぴたりと止まった。
その隙にとばかりに、ひきつった笑みを浮かべながら、王子はじりじりと後退しようとする。
奇妙な沈黙が二人の間に数秒の間漂った。
ようやく、王子が並の歩幅で二歩、後退っただろうか。
「あのぉ、まだお話終わってないんですよぉ?」
先ほどよりも更に満面の笑みを濃くしたミアキスが、更に王子の面前に詰め寄った。
「聞かなくていいよ……!」
とっさに両手をかざせば、それを押しのけんとミアキスが更に前に詰め寄り、倒れる寸前まで王子は背をのけぞらせる。
「王子ぃ、人の話はちゃんと最後まで聞かなきゃいけないんだって、陛下やフェリド様がおっしゃってませんでしたぁ?」
「聞かなくてもわかるから……っ!」
「だったらぁ〜」
「却下」
再び、ミアキスの表情が春の日差しのをさえぎる影を落としつつ、満面の笑みのまま凍りついた。
王子の顔を、たらりと一滴の冷たい汗が伝い落ちていく。
「ちょっとくらいいいと思いません〜? きっとみんなの士気もあがると思うんですよぉ〜」
「なんと、言おうと、却下ったら、却下!」
一歩、二歩。王子は三度硬直したミアキスから、そろりそろりと距離を空ける。
「王子ぃ〜」
そして、三度ミアキスが詰め寄ろうとしたとき。
「じゃ、ぼくまだやらなきゃないことがあるから!」
とっさにつかみにかかったミアキスの手をひらりと鮮やかにかわし、王子は猫のような機敏さであっという間に城の中を駆け抜けていた。
ミアキスでさえ一瞬逃げられたことに呆気に取られるほどだった。
はっと我に返るころにはもはや王子の姿は広い城の中のはるか彼方。
しかし、彼女も伊達に女王騎士など名乗ってはいない。
一瞬遅れたもののすぐさま王子の後を追いかける。
「あ〜〜! 待ってくださいよ、王子〜〜」
自分の野望を叶えようとせんがためか、神速の彼女の声はあっという間に遠くへと過ぎ去っていった。
そして、再びレイクファレナ城にはうららかな春の静寂が取り戻された。