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死が二人を分かつ時まで

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 澱んだ空気が不意に動いて、それが向かう先にイギリスが何となく目を遣ると、ドアに呆れた顔のフランスが立っていた。
「お前ってさー絶対味分かって酒飲んでねぇよな。飲食はお前にとって手っ取り早い現実逃避の手段だろ、最早」
「うるせぇ、一体何しに来た」
 あの時間ではバーなんて開いてなくて、そもそも日本の地理に詳しくもなくて、仕方無くコンビニで手当たり次第に買い込んだアルコールを、イギリスは既に半分以上空けていた。
「主要国の一人が勝手に行方を眩ませたもんで、会議は中止。議長国の日本は、只今急遽開いた昼食会という名の親睦会でホストの真っ最中」
 やけに淡々とした口調で言われた所為で、ご機嫌だったイギリスの頭はちょっとだけ醒めた。イギリスは何も、日本に迷惑を掛けたかったわけではないのだ。ただ……
「アメリカが結婚すんのが、そんなに嫌か?」
 心を読んだようなその問いに、イギリスは体を強張らせた。フランスが、これ見よがしに溜め息を漏らす。
「お前が多大な愛情を注いだ相手だからな、アレだろ? 要は娘を嫁がせる父親みたいな気持ちなんだろ?」
「……彼奴は女じゃない」
「そうだな、子供でも弟でもないよな。元々血なんて繋がってもいないんだし」
 そう。潔く認めよう。これは、悲しみではない。
 勿論悲しくもある。けれど、今心を占めている、感情の名前は――
「でもまあ、今回ばかりは祝ってやれよ。アメリカの奴も本気らしいしさ」
「ハッ、人間なんかと結婚するのがか? 酔狂としか思えないな」
「まあそう言ってやんなよ。どうやらちょっと遅い若気の至りってわけでもないらしいし。……籍、入れないつもりらしいぞ」
「は……? 籍を入れない?」
「所謂事実婚って奴。今時珍しくもないだろ」
 備え付けの冷蔵庫から勝手にミネラルウォーターを取り出して、フランスはイギリスの真向かいにどっかりと座った。どうやら本腰を入れて話すつもりらしい。
「どうして……俺達なら戸籍を作ることくらいわけないだろ」
 国である自分達に、本来戸籍というものは無い。それでも戦争に参加する時などは、便宜上やはり必要になる為、イギリス自身何度か作ったことがあった。一般人の前で使う『アーサー・カークランド』という名前は、そういった経緯で付けられた名前だ。アメリカにも同様に、『アルフレッド・F・ジョーンズ』という名前がある。
「俺も訊いたよ、どうして事実婚なんてややこしいことするんだってな」
 子供も作れない、一緒に年を取ることも出来ない。それを考えれば、籍を入れないことは当然のことだと言えるだろう。だがそれ以上に、あのアメリカがそんな不誠実な真似をするだろか。
「そうしたらさ、アメリカが言うんだよ」
「……何だ」
「『紙切れ一枚のことだって言っても、それは確かに人生の契約だからね、とても大切なものだと思うよ。でもそうした書類の上で約束された関係に、胡座をかいていたくはないんだ。人間関係なんて、毎日手を入れなければあっという間に駄目になってしまうだろう? それを、忘れたくない。……確かに面倒臭いけどさ、だからこそ大事にしようって思える。手が掛かっても良いって思える程の相手に出逢えたことに、感謝出来る』……ってな」
「何でそんな台詞を一々覚えてんだよ……」
「不覚にもこの俺が感動しちまったから。……なあイギリス、認めてやれよ。そんでもって祝福してやれ。彼奴は間違いなく本気なんだからさ」
 不貞腐れて返事を寄越さないイギリスに、フランスは呆れを隠そうともしなかった。
「お前、アメリカがどうして独立したのか、今も分かってねぇだろ。良いか?独占欲と保護欲は違うんだよ。執着と愛情が違うようにな」
 フランスの態度は、対等の相手に接するものではなかった。子供相手に母親が根気強く言い聞かせるような、そんな態度だった。時々フランスは、こんな風にイギリスに接する。そしてそれは大抵、十中八九イギリスに非がある時だった。加えて言えば、それを意地でもイギリスが認めようとしない時。
「大体今のお前にとやかく言える権利なんざあるかよ。五十年前、これ以上はないってくらい手酷く振っておきながらさ。――それとも、いつまでも自分が一番だなんて思ってたのか? そりゃ自信過剰を通り越して既に傲慢の域だぞ。まさか今更、アメリカのことを好きになったわけでもあるまいし」
 最後の台詞を、フランスは冗談混じりに付け加えてみただけだろう。そこに深い意図は無かった筈だ。けれどイギリスは、それを聞き流すことも笑い飛ばすことも出来なかった。
 フランスの台詞に大袈裟にビクつき、開けたばかりのアルコールを溢しさえしたイギリスを、フランスは笑いたいような泣きたいような、兎に角信じられないものを目の当たりにした顔で、イギリスをマジマジと見つめる。
「え、嘘、マジで……?」
「煩い。お前に一体何が分かる!!」
 五十年前のあの日から、アメリカの態度は何一つ変わることはなかった。それとなくアプローチを仕掛けて来ることもなかったし、意味ありげな視線を寄越すこともなかった。不自然なくらいに自然なその振る舞いに、イギリスの方が戸惑ったくらいだった。
 辛辣で容赦のない言葉を言われる度に、本当にアメリカは自分のことが好きなのだろうかと疑問を持った。日本やリトアニアに明るい笑顔を見せる時も、酔った自分を紳士的に介抱する時も。
 そう、何と皮肉なことだろう。今まで『弟』としてしか見ていなかった相手に告白され、それを手酷く拒絶してから、イギリスは初めてアメリカを一人前の『男』として意識したのだ。しかもそれだけではなかった。
 イギリスは、アメリカに恋をしたのだ。
「あのさイギリス、言って良いか? 馬鹿だろ、お前馬鹿だろ」
 反論は、出来なかった。自分でもそう思うからだ。
 自分で振った相手を意識している間に恋をして、でも今更格好もつかないしアメリカは今までと変わりないし、しかもそれは他でもない自分自身が望んだことだしで――要はつまり、自分で自分を袋小路の八方塞がり状態に追い詰めてしまったようなものだった。
 けれどそれでも、イギリスはどこか楽観視していたのだろう。アメリカが、まだ自分を好きでいてくれていると。非礼を詫びて、素直に此方から想いを告げれば、全ては丸く収まるのだと。
 そんな甘い、フランスに言わせれば傲慢な考えを抱いて、早数十年。いつでも大丈夫が、その内になった頃、イギリスは失恋したのだった。
 いや、こんなものは失恋の内にも入らないだろう。だって何も始まってさえいなかったのだから。アプローチもせず、告白もしなかった。イギリスが自分で勝手に盛り上がっていただけの、独り善がりで結局何処までも受け身な恋。
 昔から何一つ変わらない。アメリカの独立から何も学んでいない。事実、イギリスはアメリカがジェニーとそういう関係――結婚を考えるような関係にあることも、知らなかったのだから。
「くそ……っ」
 苛立ちのままに、イギリスはアルコールを一気に空けた。国で良かったと思うのは、こんな無茶で馬鹿な飲み方をしても、急性アルコール中毒にならないところだ。
作品名:死が二人を分かつ時まで 作家名:yupo