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さよならは恋の終わりではなく

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アルフレッド・カークランドという人間を説明する時、その人間はアルフレッドを褒めちぎることもないが、特別悪し様に言ったりすることもない。生理的に相容れない、という本当に特殊な場合を除けば、アルフレッドは九十八パーセントの人間からは概ね好評価を得ていた。但し大抵、「でも……」と苦笑混じりだったり遠い目をしたり溜め息を吐きながら、「空気読めないんだ、常識も知らないし」と付け加えられる以外は。
 そんな意見を聞く度に、アルフレッドは当然反論する。曰く、空気が読める筈がない、空気とは吸うものだ。……確かに正論だ。しかし、その台詞こそが空気が『読めない』理由であることを、アルフレッドは知らない。アルフレッドを知る人間は最早諦めの境地で、でもそれが彼らしいと言えば彼らしい、と寛大な心で受け入れている。そう周りに思わせることこそが、アルフレッドの思惑であるだなんて、気付きもせずに。
 実際、アルフレッド程空気を読んで周りを見渡し、尚且つ自分自身を客観的に見られる人間はそう多くはない。アルフレッドはこの上なく自分というものを知っていた。自分が一体何を求められ、自分が周りにどんな影響を与えるのかも。
 空気が読めるからこそ空気を読まないという芸当が出来るのだということを、誰も知らなかった。そしてそのことを、アルフレッドは強く望んでいたのでる。
 
 そもそもアルフレッドがこんなややこしいことをする羽目になったのは、全ては一人の人間の所為だと言えた。
 アーサー・カークランド。
 血の繋がった実の兄であり、また同時にアルフレッドの長年の想い人の名前である。そう、アルフレッドは自分の兄に対して道ならぬ恋心を抱いていた。
 しつこいようだが重ねて言えば、アルフレッドは空気が読める。そして常識も持ち合わせている。アルフレッドにもし本当に常識が無かったら、今頃欲望に忠実に行動して、双方共に生涯のトラウマを背負うことになっていたに違いない。
 アルフレッドはアーサーを愛していた。しかしアーサーを傷付けることは本意ではないし、自分の恋が叶わないことをちゃんと理解していた。アルフレッドがハッピーエンドを好むのは、この世には奇跡を前にしても絶対に叶わないことがあることを知っているからだ。アーサーは、アルフレッドをとても愛してくれていた。この世で最も大切な、守るべき『弟』として。そのことを、アルフレッドは良く知っていたのだ。この世の誰よりも。
 
 アルフレッドが自分とアーサーが抱く愛情の違いに気付いたのは、変声期を終えてアーサーの身長を追い越した頃だろう。本を棚に戻そうとしたアーサーが、踏み台から足を滑らせた。そしてそのまま床に激突しそうだったのを、間一髪でアルフレッドが抱き止めた。何てことのない、日常の一コマだ。事実アーサーは、謝罪とお礼を述べて作業に戻った。きっと明日には、そんな出来事などアーサーは覚えてもいないだろう。だが、アルフレッドにとってそれは劇的な瞬間だったのだ。
 アルフレッドにとってアーサーは、最も頼りがいのある人であり、そして言葉にこそしていないが尊敬し目標にしている人でもあった。そんな人が、すっぽりと自分の腕に収まってしまうくらい、華奢なのだと知った時の衝撃は、とてもではないが言葉では言い表せない。
 畑も種も栄養も同じなのに、しかも四つも年が離れているのに、アルフレッドはいとも簡単に『兄』を追い越してしまった。それをアルフレッドが正確に理解した瞬間、『弟』以外の顔がアルフレッドに芽生えたと言っても良い。新たな自我の芽生えは、非常に厄介なことに人生の春を告げさえしたのである。
 恋をすると、世界が薔薇色に変わる。そんな言葉を聞いた時、真っ先にアルフレッドが思ったのは薔薇色って何色だよ、ということだった。紫か、黒か、それとも不可能を表す青か。少なくとも、アルフレッドの世界は白にも黄色にもピンクにもならなかった。
 あの、初めて精通した時の虚しさと言ったらない。夢に出て来た欲望の対象は、可愛らしい女の子でもグラマラスな美女でもなく、壁を隔てた隣の部屋でスヨスヨと眠る、実の兄だった。穴があったら入りたいどころの話ではなく、今すぐ谷底にでも落ちたい気分だった。それ以降、アルフレッドが自殺を試みようとする影には、必ずアーサーが絡んでいた。