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ハロー・グッバイ

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特別に仕立てたスーツを着て、丁寧に髪を撫で付けて。靴は綺麗に磨き上げられた物を、眼鏡は落ち着いた色のフレームの物で。
 一つ一つ確かめるように身に着け、整えた末に鏡に映ったのは、我ながら首を傾げたくなるくらい別人に見えた。それでも化粧一つしていないのだから、これはある意味で間違った欲目なのだろうか。
 けれど、そんな物思いに耽っていられたのも僅かな時間だった。
「アルフレッド、準備は出来たの?」
「ああ。今行くよ、母さん」
 今日は記念すべき日だ。皆が笑い、嬉しさに泣く。純白に身を包んだ二人には、惜しげも無く鮮やかな花々が降り注ぐだろう。今日は、幸福な日なのだ。
 だから……
「笑ってくれよ、頼むから」
 鏡に映る、見知らぬ相手に向かって、そう懇願した。
 一体誰が信じるだろう。晴れ男とまで言われたこの自分が、泣き出しそうになっているだなんて。

 演じることには慣れていた。周りを偽ることに、最早罪悪感など抱くことは無くなっていた。笑顔でおめでとう、と言う相手に、有難うと笑顔で返すことなど造作もない。
「よーうアルフレッド」
「フランシス……久し振り」
 正直一瞬誰だか分らなかったのは、偏に彼の髭が無かったからだ。正統派美男子のフランシスは、しかしその言動と髭の存在で今まで相手に自分の容姿のことなど問題にさせなくして来たのだ。それなのに、そのフランシスの顎に無精髭が無い。どうやらバイで変態で節操無しの彼にも、ちゃんと分別と常識は備わっているようだった。
 元々さり気無い気配りが出来る魅力的な男ではあったのだ。しかし、髭を剃ったことで今日の影の主役は決まったも同然だった。事実、周りの視線は殆どフランシスが独占していた。
「お前はもうアーサーには会ったのか?」
「いや、まだだよ。その前にアリスの様子を見てこようかと思って」
「じゃあ俺はアーサーをからかいに行くかな。お楽しみってのは後に取っとくもんだしな」
 そんなことを言って、最初からフランシスは行き先を決めていたに違いないのだ。そう思いはしたが、それを言葉にすることはなかった。無駄だからだ。
 廊下の途中で別れを告げて、控室のドアをノックする。中から、入室を促す声がした。
 ドアを開けると、純白に身を包んだ幼なじみが立っていた。本当に、小さい頃から知っている。
「綺麗だね、アリス」
 あの女の子が、こんなに美しくなるだなんて、あの頃は想像もしていなかった。
「有難う、アル。あなたも男前だわ」
「慣れない物を着るもんじゃないな。まるで自分じゃないみたいだ」
 あなたらしいわね。そう言って、アリスは目を細めて笑う。慈愛に満ちた、見る者を温かくさせるような笑顔だった。
「そんなことより、俺は君の方が心配だよ」
「私?」
「本当にあの人で良いの? 元ヤンだし酒乱だし味音痴だし、俺は素直に祝福出来そうもないよ。魔王にプリンセスを差し出す気分だ」
「相変わらず意地悪ね、あなたは。でも大丈夫。アーサーが素敵な人だって、あなたはちゃんと知っているでしょう?」
 知っている。だって十年以上も共に過ごして来たのだから。
「ごめん、悪かったよ。だけどアリス、もしこの先アーサーに泣かされるようなことがあったら、真っ先にオレに知らせてくれよ? いつでもアーサーを殴ってあげるし、君のことを拐ってあげるからさ」
 そんなことにはならないと、知っているからこそ言える軽口。
 大切な人と、好きな人。
 この二人が作るロマンスを――それこそ誰も立ち入れない、二人きりのロマンスを、ずっと見て来た。見せられて来た。だからこそ、分かる。
 二人は、きっと――
「……アリス」
 緊張で掠れた声、未来の妻のドレス姿に見惚れた間抜けな顔。
 本当に、どうしてこんな人が良いのかと思う。もう、諦めの境地だけれど。
「いつまでそんな所にボーっと突っ立ってるんだい?」
「あ、ああ悪い! ……て、お前アルフレッドか?」
 アーサーが気付かなかったのは、多分服装の所為じゃない。アリスのことで頭がいっぱいだったからだ。
 昔から、そう。愛しているのは間違いないくせに、肝心なことにはいつも気が付かない。だから、遂に此処までズルズルと来てしまった。
「結婚おめでとう、兄さん」
 どうか、どうか幸せに。世界中が羨むような。誰も間に入り込めないような。
 そうでなければ、きっと笑ってなどいられないから。

作品名:ハロー・グッバイ 作家名:yupo