ハロー・グッバイ
兄のアーサーが亡くなったと知らされたのは、それから四年の月日が経った頃だった。
大学を卒業し、学生時代の親友と会社を立ち上げ、漸くそれが軌道に乗り始めた、そんな頃。
大学の卒業を機に故郷から離れていたので、その訃報を知らせたのは両親ではなかった。兄の、妻でもなかった。
「居眠り運転してたトラックが、二人が乗ってた車に突っ込んで……兎に角酷い事故だった」
「葬儀は?」
「まだ先になるだろうな。司法解剖をしないといけないらしいから」
死に顔すら見られないのか。けれどそれで良いと思った。記憶に刻まれるのは、幸せそうな彼の笑顔で良い。まるで、家族の見本のように、幸せそうな――
「ちょっと待ってくれ、今君二人って言ったのかい、フランシス? じゃあ、アルフレッドは……二人の息子は!?」
「アルフレッドなら家に居たから無事だった。でも、話さないんだ、一言も。それどころか、涙一つ見せやしない」
どうしたら良い? 自称ヒーロー。
答えなんて、決まっている。
「……今からですか?」
「そう今から。最早一刻の猶予も無いんだ」
頼むよ。そう願い出れば、押しに弱い親友は途端に渋面になった。彼自身、兄とは満更知らない仲でもない。
「後半日もしない内に、クライアントがいらっしゃるんですよ?」
「仕方無いさ、今回は縁が無かったということで諦めよう。どちらにしろ、此処は引き払わなければいけないだろうしね」
「何ですって……?」
謝罪の電話を入れようとしていた菊の手が、止まった。表情は強張っている。
「まさかアルフレッド……あなた、彼の子供を引き取るつもりですかっ!?」
「流石だね、菊」
長年の付き合い故の以心伝心というよりは、彼本人の性格の所為だろうが、菊は相手の考えを読む術に長けている。尤もそう言うと菊は決まって、あなたが特別なだけですと、良く分からないことを言うのだけれど。
「兄の忘れ形見だからね、出来る限りのことをしてあげたい」
「別に、ご両親でも良いでしょう?」
両親は、父が定年を迎えると共にさっさと田舎で自由気儘な隠居暮らしを始めてしまって、正直あまり良い提案とは言えない。何せ両親が現在暮らしているのは、ピーターラビットでも出て来そうなド田舎なのだ。それを悪いとは言わないが、近くの学校まで車で一時間というのはやはり問題と言えるだろう。
しかし保護者となるのが自分だったら、問題は一気に解決する。元々叔父と甥の関係なのだから保護者となることに問題はないし、後は此方が引っ越すだけだ。仕事の内容が内容だから、この身とパソコンが有れば十分事足りる。
「どーしても駄目かい?」
「そんなに……好きだったんですか?」
菊の呟きは、小さ過ぎて聞こえなかった。
「ん?」
「いえ、確かにあなたは良い父親代わりになると思います」
「だろう!?」
「ですがあなたに、母親の代わりまで務まるとは思えませんけど」
「う゛……っ」
裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除。この「さしすせそ」が如何に苦手か、部屋を見て貰えば分かると思う。男の一人暮らしなんてこんなものだろ、という逃げ道は、菊の部屋を訪れて以来使えなくなってしまった。全く、どうしてこうも違うのだろうと、誇り一つないテーブルや整然と並べられた本棚を見る度に思う。この事務所兼自宅が、クライアントを招くのに十分な状態を維持していられるのも、偏に菊の努力の賜物だった。
「そうだ菊、君も一緒に暮らせば良いんだぞっ」
「はい?」
「父親代わりが俺なら、母親代わりは君がすれば良い。あの家は男三人が暮らしても全然問題無いさ」
「い、いえそういう問題ではなくですね……どうしてそんな話になってるんですか?」
「君と一緒なら、何だって出来そうな気がするんだ!!」
茹で蛸。菊の顔は、正にそう称するに相応しい程真っ赤に染まっていた。一瞬で。
「だ、大丈夫かい菊。熱でもあるんじゃ……」
「ほ、放って置いて下さい! も……何なんですかあなたは!!」
「何だい君、逆ギレかい? 理不尽だぞっ」
「その台詞、この世であなたにだけは言われたくありません!!」
こんな会話になったそもそもの発端を思い出し、故郷に帰る為に慌てて車に乗り込むのは、それから一時間後のことだった。