ホーム・スウィート・ホーム
視界に無遠慮に入り込んで来る邪魔な前髪を、何度か掻き上げたところで初めて、前髪が必要以上に伸びていることに気が付いた。そう言えば、もう随分と理容室に足を運んでいない気がする。
一週間の内の五日は制服を着ているし、休日に一緒に出掛けるような恋人も居ないから、どうしてもそうしたことには手を抜きがちだった。
これから夏に向けて暑くなるだろうし、今度の休みにでも切りに行くかな。
そんなことを思いつつ眺めた外は、一切の容赦が無い本降りで。この国では雨が降ることなんて珍しくも何ともないが、流石にコレはないよな……と思う。傘は持っているが、それは折り畳み式だったからだ。
この雨では部活は中止になるだろうが、日々の日課である図書館も休館日だった筈だ。確か、棚の整理だとかで明後日迄。
放課後の予定が、自宅に真っ直ぐ帰ることになったのは別に構わないが、この時間に帰宅したところで、きっと家には誰も居ないのだろうと思うと、少しだけ憂鬱になる。彼らはいつも、夕飯の少し前に揃って帰宅するのが常だったから。
家族について語るのに、彼ら、という二人称は相応しくないように思える。何だかとてもよそよそしい、他人行儀な響きがする。
けれど実際、彼らは他人だから仕方無いとも思うのだ。それは何も、自分と彼らは別個の存在だから――というませた子供の考え方ではなく、そのままの意味だった。
厳密に言えば、彼ら二人の内の一人とは、戸籍上でも血縁上でもちゃんとした関係がある。しかしそれは、父親でもなければ母親でもなかったし、残りの一人とは人種さえ違った。
俺がどうしてそんな不思議な環境に身を置いているのかと言えば答えは簡単で、俺には実の両親が居ないからだ。この世界に。
俺の両親は今から十五年前に、不幸な交通事故によって、命を奪われてしまった……らしい。らしい、というのは、当時俺は事故現場に居合わせてはおらず、しかも齢三歳の子供だったからだ。
身の上を語れば、その大半が同情に満ちた目で俺を見たが、実のところその必要は全く無いと言って良かった。
だって、そうだろう? 三歳児なんて、本当に物心が付くかどうかの時期だ。顔もろくに覚えていない相手の死を、どうして悲しむことが出来る?
それに俺は、両親が同時に天に召されたことで天涯孤独になったわけでも、親戚中をタライ回しにされたわけでもない。確かに俺の両親は居なくなってしまったが、俺の祖父母はまだまだ健在だったのだ。
俺のことを愛してくれた。いつも傍に居てくれた。惜しみ無く愛情を注いでくれた。……寂しいなんて、感じる暇も無いくらいに。
そうやって俺を愛し、慈しみ、守ってくれていた人達の筆頭が、彼ら――アルフレッドとキクだった。
アルフレッドは、俺の死んだ父親の弟……つまりは俺にとっての叔父になる。両親の訃報を聞いた時、真っ先に俺の後見人に名乗りを上げてくれたのが、他でもないアルフレッドだ。
反対にキクはと言えば、此方は正真正銘の真っ赤な他人で、両親と特別仲が良かったというわけでもなく、ただアルフレッドの友人でビジネスパートナーというだけで、俺を育ててくれた。
仕事もスポーツも完璧にこなすが、家事全般はサッパリなアルフレッドと、積極的とは言い難いが、何事にも誠実に取り組み家庭的なキクは、傍目から見ていても公私共に良きパートナーに見える。尤も二人にそういった趣味は無いらしく、本当に友人兼同僚兼同居人なのだが。
それでも、学生時代からの友人と会社を立ち上げ、十年以上トラブルらしいトラブルも起こさずにパートナーを組んでいるというのは、素直に賞賛に値するだろう。好き嫌い以前に、彼らの間には強い信頼という名の絆があった。
時々、本当に時々、そんな二人の中に胸を掻き乱されることがある。それは嫉妬で、そうさせる感情の名前も知っていた。もう、何年も前から。そして、それがどうしようもないのだということも。
「…………」
こんな雨の日は、どうも憂鬱になってしょうがない。両親が死んだのもこんな雨の日だったからだろうか、なんて、そんなことを思った。
「髭の所にでも行くかな……」
こんな気分であの家に帰るなんて御免だった。だってあの家には今、太陽は居ない。自分ただ一人なのだから。
一週間の内の五日は制服を着ているし、休日に一緒に出掛けるような恋人も居ないから、どうしてもそうしたことには手を抜きがちだった。
これから夏に向けて暑くなるだろうし、今度の休みにでも切りに行くかな。
そんなことを思いつつ眺めた外は、一切の容赦が無い本降りで。この国では雨が降ることなんて珍しくも何ともないが、流石にコレはないよな……と思う。傘は持っているが、それは折り畳み式だったからだ。
この雨では部活は中止になるだろうが、日々の日課である図書館も休館日だった筈だ。確か、棚の整理だとかで明後日迄。
放課後の予定が、自宅に真っ直ぐ帰ることになったのは別に構わないが、この時間に帰宅したところで、きっと家には誰も居ないのだろうと思うと、少しだけ憂鬱になる。彼らはいつも、夕飯の少し前に揃って帰宅するのが常だったから。
家族について語るのに、彼ら、という二人称は相応しくないように思える。何だかとてもよそよそしい、他人行儀な響きがする。
けれど実際、彼らは他人だから仕方無いとも思うのだ。それは何も、自分と彼らは別個の存在だから――というませた子供の考え方ではなく、そのままの意味だった。
厳密に言えば、彼ら二人の内の一人とは、戸籍上でも血縁上でもちゃんとした関係がある。しかしそれは、父親でもなければ母親でもなかったし、残りの一人とは人種さえ違った。
俺がどうしてそんな不思議な環境に身を置いているのかと言えば答えは簡単で、俺には実の両親が居ないからだ。この世界に。
俺の両親は今から十五年前に、不幸な交通事故によって、命を奪われてしまった……らしい。らしい、というのは、当時俺は事故現場に居合わせてはおらず、しかも齢三歳の子供だったからだ。
身の上を語れば、その大半が同情に満ちた目で俺を見たが、実のところその必要は全く無いと言って良かった。
だって、そうだろう? 三歳児なんて、本当に物心が付くかどうかの時期だ。顔もろくに覚えていない相手の死を、どうして悲しむことが出来る?
それに俺は、両親が同時に天に召されたことで天涯孤独になったわけでも、親戚中をタライ回しにされたわけでもない。確かに俺の両親は居なくなってしまったが、俺の祖父母はまだまだ健在だったのだ。
俺のことを愛してくれた。いつも傍に居てくれた。惜しみ無く愛情を注いでくれた。……寂しいなんて、感じる暇も無いくらいに。
そうやって俺を愛し、慈しみ、守ってくれていた人達の筆頭が、彼ら――アルフレッドとキクだった。
アルフレッドは、俺の死んだ父親の弟……つまりは俺にとっての叔父になる。両親の訃報を聞いた時、真っ先に俺の後見人に名乗りを上げてくれたのが、他でもないアルフレッドだ。
反対にキクはと言えば、此方は正真正銘の真っ赤な他人で、両親と特別仲が良かったというわけでもなく、ただアルフレッドの友人でビジネスパートナーというだけで、俺を育ててくれた。
仕事もスポーツも完璧にこなすが、家事全般はサッパリなアルフレッドと、積極的とは言い難いが、何事にも誠実に取り組み家庭的なキクは、傍目から見ていても公私共に良きパートナーに見える。尤も二人にそういった趣味は無いらしく、本当に友人兼同僚兼同居人なのだが。
それでも、学生時代からの友人と会社を立ち上げ、十年以上トラブルらしいトラブルも起こさずにパートナーを組んでいるというのは、素直に賞賛に値するだろう。好き嫌い以前に、彼らの間には強い信頼という名の絆があった。
時々、本当に時々、そんな二人の中に胸を掻き乱されることがある。それは嫉妬で、そうさせる感情の名前も知っていた。もう、何年も前から。そして、それがどうしようもないのだということも。
「…………」
こんな雨の日は、どうも憂鬱になってしょうがない。両親が死んだのもこんな雨の日だったからだろうか、なんて、そんなことを思った。
「髭の所にでも行くかな……」
こんな気分であの家に帰るなんて御免だった。だってあの家には今、太陽は居ない。自分ただ一人なのだから。
作品名:ホーム・スウィート・ホーム 作家名:yupo