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 アムールという、なんともふざけた名前の店を経営しているのは、俺の父親の幼馴染みであり腐れ縁でもあるフランシスと、その妻であるジャンヌだ。
 大通りに面しているわけでもなく、広告を出しているわけでもないのに、その店は客足が途絶えたことがない。しかもその大半が女性客だった。
 華やかでいながらも何処か温かい料理に、センスの良い内装、市内からちょっと離れた隠れ家的感覚に加えて、話し上手で顔も良い店主が居るともなれば、それも当然のことなのかも知れないが。
 実際、こんな天気にも関わらず店に客は居るようで、アルバイトのセーシェルがテーブルを片付けているのが見えた。
 ドアを押し開くと、ベルの心地良い音が聞こえる。なんでも旅行中に一目惚れして買ったものらしく、この店ではまだまだ新人だ。
「いらっしゃいませーって、アルフレッドさん!」
「ようセーシェル。フランシスは居るか?」
「店長なら今オーブンと睨めっこしてますよ。まーどうぞどうぞ」
 食器が積まれたトレイを片手で支えながら、空いている方の手でカウンターに誘導される。今更そんなことをされなくても、其処はすっかり指定席になっているのだが、これもまあ必要な手順なのだろう。年はさして変わらないとは言え、一応店員と客の立場なのだし。
 それにしても、すっかりこの店に馴染んだと思う。確かまだ此処でアルバイトを始めてから一年も経ってはいない筈だが、今では立派な看板娘だ。可愛らしい制服も、水を出す仕草も、様になっているというよりは板に付いていると言った方が相応しい。流石、ジャンヌが仕込んだだけのことはある。
「アールグレイ。ジャンヌが淹れたやつな」
「ウィ。畏まりました」
 テコテコと奥に引っ込んで行くセーシェルを見ながら、フランシスの凄いところはあんなセクハラ野郎のくせに奥さんがいることと、それを皆も知っているのにしっかりと固定客がいることだろう。
 元々フランシスは、ビストロを開くつもりは微塵も無かったらしい。フランス人の父親の影響でフレンチに興味を持ち、それが高じていつの日かミシュランに載るような店を構えてみせるのだと、修行する為にフランスの地に乗り込み、そこまでは良かった。しかし、そこでアクシデントがあった。フランシスの言う、ジャンヌとの運命の出会いを果たしてしまったのだ。
 しかも、ジャンヌはフランシスの勤めるレストランのオーナーの娘だった。駆け出しの料理人と良家のお嬢様では、とてもではないが釣り合わない。そもそもジャンヌには相応しい婚約者がいて、フランシスをそうした対象として見てすらいなかった。何が運命の出会いだ。
 それでもまあ、普段はあんなにチャランポランなくせして意外と一途だったフランシスは、アタックにアタックを重ねてジャンヌを振り向かせ、そのままこのイギリスに駆け落ちがてら帰国した。因みに何故オーナーを攻略しなかったかというと、ジャンヌ目当てで通っていたフランシスに、あろうことかオーナーの奥方が懸想してしまったからである。
 いくら若い燕にちょっとよろめいただけとは言え、愛妻家で有名なオーナーのこと、フランシスを気に入るわけがない。当然、大事な箱入り娘を嫁に出すわけもなかった。だからこその、駆け落ちだった。
 巷に溢れ返っている三流小説のような話だが、それをフランシスの口から語られると本当のことのように思えてしまうから不思議である。フランシスは、そういった悲劇とも喜劇ともつかないロマンスの主人公にはピッタリな人間だからなのかも知れない。
 そんなことを考えていると、芳醇な香りを漂わせるティーカップが滑るように手元に現れた。
「今日は随分と早いのね」
 四十代とは思えない可憐な顔立ちに、子供みたいに好奇心で輝く瞳。そして、フランシスそっくりの癖のあるブロンド。――フランシスの運命の相手、ジャンヌだった。
「ん。この天気だから部活もないし、図書館は閉まってるし、家に帰っても誰も居ないしな」
「まるでついでみたいな言い方ねー」
「あんまり此処の紅茶を飲み過ぎると、他のが飲めなくなる」
 口がお上手ね、なんてジャンヌは笑って言うけれど、これは結構本気だった。自分でも紅茶は淹れるし、似たようなお茶文化を持つ菊も時々淹れるけれど、ジャンヌが淹れるものよりも美味しい紅茶に出会ったことはないのだ。
「あーでも、その言葉は最後まアーサーさんは言ってくれなかった」
「……父さん?」
「アーサーさんはね、紅茶を淹れるのがすっごく上手だったの。アーサーさんから及第点を貰えるまで、この店のメニューに紅茶は無かったくらいよ」
 それでもこの店がこうしてちょっとした成功を収めているのは、やはりフランシスが料理人として一流だったからなのだろう。ジャンヌを養う為に、それこそ死に物狂いで腕を磨いたに違いない。
「なぁ、ジャンヌ。何であんな奴と結婚したんだ? お前なら、もっと幸せな人生を選べた筈だろ」
「それはね、私が私が思うよりもお馬鹿さんだったからよ」
「…………?」
「恋愛はね、頭が良い人は出来ないの。恋は盲目だから」
 大切なものが見えなくなってしまうのよ。何が本当に大切なのかは、人それぞれだけど。少なくとも私にとって、裕福な生活は大切なものじゃなかったのね。周りの人にとってはそうでも。
「大切な、もの……」
「そう、ちょっと複雑でしょ? まぁ恋愛相談なら、私よりフランシスにした方が賢明だけど。あの人、とっても経験豊富だから」
 ふふっと笑ったその笑顔に、嫉妬の色は見えなかった。仕方の無いことだと諦めたわけでも、自分が一番に愛されているのだと驕っているのでもない。
 ジャンヌは、全てを受け入れてその上で信じているのだろう。フランシスをではなく、フランシスを選んだ自分を。
「……どんなに切羽詰まっても、彼奴にだけは相談しない。俺のプライドが許さない」
 それに、どんなに経験豊富だとしても、全ての恋愛パターンを試したわけではあるまい。フランシスは、最後の一線を絶対に踏み越えない。
「そういうところ、本当にアーサーさんにそっくりねー。前髪が長いから余計にそう思えるのかしら」
 父親のことを、何一つ知らない。アルフレッドも、キクも、フランシスも知っているのに。
 ……そのことを、寂しいと思ったことはないけれど。
 けれど、それでも、急に紅茶が苦くなったような気が、した。