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雪中戦

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海兵隊航空学校には、国内各地から人間が集まっている。そうなると、中には雪を見たことがない人間も当然の如くいるわけだ。
 夜半から降り続いた雪に足を取られて転倒する者が続出したり、みっともないほどにぶ厚く着膨れている奴もいる。通常ならば、教官より小言の一つや二つもいただくのだが、さすがに今年一番の冷え込みに今年一番の積雪ということで、教官達も見て見ぬふりをしてくれているのは、ありがたい。



「しかし……よく積もったな……」
 伊達英明は水滴がついて曇った窓硝子を手で拭う。そして、目を眇めた。
 術科講堂から見える景色は一面が白く染まっている。運動場を覆う雪には足跡一つついておらず、日の光を反射して眩しいほどに輝いていた。
 ざわつく中、教室の扉が開き、
「お~い、鬼怒田教官が全員で雪掻きしろと」
 入ってきた同期の報告に各地点からは怨嗟に似た声が上がった。
「なんで俺達なんだよ」
「あれじゃないのか? 今回、見事に気象予報を外したからな」
「等圧線があんな動きをするなんて予測できないってぇの」
「それを予測してこそ、航空隊ってことだろう?」
「そうかもしれんが、あれはどう足掻いたって予測不可能だ」
「……んなこと鬼怒田教官に言ってみろ? あの人のことだ、実戦でもそんな言い訳するつもりか馬鹿者め、と返ってくるに決まっている」
 寒い中、より寒い場所に行くのはできれば避けたいが、鬼の教官に逆らうわけにもいかない。みな口々にぶちぶちと不平不満を垂れ流しながらも、全員で塹壕作成用のスコップを担いで外へと移動する。一歩、足を外に踏み出した途端、白く輝く地面が目を焼いた。吐く息も白く染まり、音をたてて凍りそうな気さえしてくる。
 駆け足で運動場へ出てみると、そこには鬼な命令を下してくれた鬼怒田が人の悪い笑みを浮かべつつ、待ち構えていた。しかし、さすがの彼も寒そうだ。
「おう、来たな」
 彼らは鬼怒田の前に整列する。
「目の前の雪をすべて片づけろ、などという無茶は言わん。せめて高機動車、一台が通れるだけの道幅を確保しろ」
 そして、彼は道路から学校への引き込みを親指で示した。
「では、かかれ」
 鬼怒田の号令のもと、面々は雪掻きを開始した。
 日本でも指折りの豪雪地帯出身の同期が陣頭指揮をとり、雪掻きの手順やら効率的な方法やらをスコップを振り回しつつ、伝授している。その向こうでは南から出てきた奴達がもの珍しさに雪とじゃれ、雪国出身者から雪だるまの作り方を教えてもらって、早速実践していた。そして、足を取られて倒れた弾みに坂を転げ落ちている同期もいれば、彼を救おうとして同じ運命を辿っているのもいるし、引き倒されて襟首から雪を入れられ、悲鳴を上げている奴もいる。
 おぼつかない手つきながらも、当初は真面目にスコップで雪相手に悪戦苦闘していたのだが、時間が経つにつれ、さすがに皆飽きてきたらしい。雪掻きもそっちのけで、好き勝手なことをやり初めている。いつのまにか姿を消していた鬼怒田が見に来たら確実に雷を落とされることだろう。
「さ、寒い……」
 田宮が白い息を吐きつつ呟き、伊達が無意識に頷いた。
「み……耳が千切れそうだ……」
 伊達も小さく呟きながら、厚い靴底を通して伝わってくる冷え込みに自分の身体を両手で抱きしめ、その場で足踏みする。
「この分じゃ、何時終わるかわからんな」
 雪に突き刺したスコップに凭れかかり、田宮が一面の雪と雪と戯れる同期を見比べつつぼやいた。
 そんな二人の後頭部へ、空を切って飛来した雪玉が命中する。
「なっ、なにっ!」
 叫びながら頭を振って雪を払い落とし、伊達と田宮が飛んできたと思しき方角へと目を向けると、既にそこでは雪の塊が飛び交っていた。
 最初は局地的な戦闘だった……らしい。それがいつしか全体へと波及し……終いには全員を巻き込む大乱戦となっていた。雪掻き用スコップはすぐさま、本来の用途に近しい雪の防壁作成用へと転用される。その壁の影から雪玉が発射され、やはり雪玉を投げようとしている人間にぶつけられた。
 歓声と悲鳴が雪原に谺する。
「……俺は雪掻きをしろとは言ったが、雪合戦をしろと言った覚えはないぞ」
 運動場の大騒ぎに鬼怒田が顔を出して渋面を作った。
「でもまぁ、雪中戦の訓練にはなりますよ」
 同じく様子を見に来た沼田は苦笑しながら助け船を出すが、鬼怒田の不機嫌そうな表情は消えない。
「なるかね、あれが」
 顎をしゃくり、鬼怒田は呆れたように鼻をならす。そして、腹立たしそうに煙草を口に銜えたが、ライターで火をつけようと視線を逸らした刹那、どこからか飛来した雪玉が彼の顔面に命中した。
 ものの見事に決定的瞬間を目撃してしまった伊達は硬直する。傍らの田宮も同様だ。その二人にも再び雪がぶつけられ、彼らも雪塗れとなった。
「き……さま……ら……」
 鬼怒田の押し殺された呟きに気温が一気に氷点下……どころか、絶対零度まで低下する。同期の面々も、さすがに動きを止めて氷像と化した。
 だが、それも一瞬のこと。
「つきあえ、沼田くん」
 沼田までをも巻き込み、戦火は拡大する。
「鬼怒田教官が参戦したぞー!」
「望むところだーっ!」
 歓声と悲鳴と怒号と罵声が入り乱れる。後はもう目茶苦茶だ。
 いくつもの雪玉の飛び交う中、伊達と田宮は雪壁の影に退避し、壁を背に座り込む。さすがに二人とも雪玉を避け続けていたせいで息があがっていた。
「あち……」
 田宮は手の甲で額の汗を拭った。吐き出された息が寒さで白く染まる。
「まったく……なんでこんなことになるんだ」
 まさか鬼怒田教官まで出てくるとは思わなかった。大人げない。
 田宮のぼやきに、伊達も息を切らせながら無言のまま、頷いて同意を示す。それでも、伊達は楽しそうに笑っていた。
「みんな餓鬼の頃に戻ったみたいだな」
 彼の指摘どおり、壁の向こうでは相変わらず、叫び声と雪塊が交錯している。
「念のため、雪玉作っておいた方がいいか?」
 伊達は雪壁に凭れかかりながら、田宮を流し見た。だが、田宮は手を振って拒否する。
「もう指先がかじかんで感覚がない」
「俺もだ」
 防寒仕様の革手袋もまったく役に立っていない。ただ、中が蒸れて気持ち悪いだけだ。伊達は革手袋を外した。隣に座り込んでいる田宮も同様に手袋を取る。
「いい加減、風呂に入って温まりたい」
 伊達の言葉に田宮は頷いた。
「確かに……まぁ、当分、無理そうだがな」
 本来であれば、止めなければならない立場の人間が参戦しているのだ。それを鑑みると、この乱戦は当分の間、終わりそうもない。
「田宮。手を貸せ、手」
 唐突な伊達の台詞に田宮は眉を寄せた。
 だが、彼は田宮の訝しげな声を無視し、その手を取って自分の両手に包み込み、口許に近づける。
「本当に冷たいな」
 そして、彼はその凍えた指先に白い吐息を吹きかける。
 指をほんの少し動かしたたけでも、唇に触れてしまいそうな至近距離。かじかんだ指先に暖かな吐息がかかり、少しずつ温もりを取り戻してゆく。
 息を何度も吹きかけ、
「これで多少はマシになっただろ?」
作品名:雪中戦 作家名:やた子