アイスクリーム・パラダイス
扉をノックする軽い音が聞こえた。
「入れ」
宗方は書類から顔を上げもせずに音の主へと声をかける。少し間をおいてから、小脇に紙袋を抱えた夏目が扉から顔を出した。
「少し休憩にしませんか?」
彼はそういって、持っていたバケツと薬缶を目の高さに持ち上げた。
宗方は大きく息をつくと、椅子の背もたれに身体を預け、眉間を指で揉む。その間に部屋に入った夏目は湯呑を二つ並べ、持ってきた薬缶を傾けて、いそいそと珈琲を用意していた。
一息ついた宗方は机に置かれたバケツを覗き込み、
「なんだ、これは……あぁ、アイスクリームか」
確かここの酒保には納入されていなかったはずだが。
そう首を傾げて、その表面についた霜を指で拭う。
「これは近藤少佐にもらったんです」
今回のは、酒の入った特別製だそうですよ。
宗方は夏目の発言に眉を寄せた。
「一体、どこからちょろまかしてきたんだ。いや、ちょっと待て。『今回のは』とはどういう意味だ」
「いえ、それがですね」
夏目は言いながら、宗方へと珈琲を差し出し、彼はそれを片手で受け取った。
「バビロンユニットに来た亡命アメリカ人が、整備の礼にと整備班へ置いていったそうです」
整備班の近藤の話によれば、アイスの作成方法が彼らから広まり、それがいまや連合空軍の富嶽乗務員にまで流行っているとのこと。夏目は、彼に上納されたものの一部をお裾分けしてもらったらしい。
その作り方の概略を聞いた宗方は渋面となる。
「無事に地上へと帰還できたら、その祝いに食べるつもりか」
悪くはないが、まるで馬の鼻面に吊り下げられた人参だな。
「どおりで最近、富嶽の後部銃座が妙な動きをしていると思ってはいんだが、そんなことをしていたのか」
呆れ果てた宗方の声色に夏目は苦笑した。
「ハルゼー中将はバケツにてんこ盛りでもらって、にこにこ顔でしたよ」
「……あの人は……好きだからな……」
宗方は湯呑を両手で包み込みながら、少々遠い目になる。
なにせ、ハルゼーはアイスクリームが配給される際に、艦長権限で別途に受け取ればいいものを、わざわざ部下に混じって列に並んでそれを受け取ったとの逸話のある御仁だ。おまけに列に横入りした部下を怒鳴りつけたとの噂さえある。
その彼が、バケツいっぱいの好物をもらって上機嫌にならないわけがない。
「そういえば、今日はクリスマスだそうです」
ここにくるときにバビロンユニットが酒盛りだと盛り上がっていました。
「もしかしたら、中将へのアイスは今晩に備えての賄賂かもしれませんね」
「……考えられないことでもない」
宗方は珈琲の蒸気で顎を擽りつつ、苦笑した。
「そう仰る主任こそ、食べますか?」
「俺はいい」
それならば、と夏目は紙袋からシュトーレンを取り出し、
「はい、どうぞ」
宗方の口許に差し出す。
「用意がいいな」
言って、差し出されたシュトーレンに噛り付いた。
「ロンメル中将の奥方がわざわざ作って送ってくれたそうです」
彼女が周囲の奥様がたにも声をかけたらしくて、コンテナいっぱいに送られてきたらしいですよ。
宗方は、シュトレーンを一口飲み込むと、珈琲をすする。
「そうか……あとで中将に礼を言っておこう」
一方の夏目はバケツを抱えて、アイスクリームを口に運んでいる。
「本来ならば炬燵に入りながら食べるのが一番幸せなんですけどねぇ」
「なるほど、それが君の食べ方かね」
「そんなこと考えるなんて、里心でもついてきたんじゃないですか」
他人事のように夏目は言う。
「食べ過ぎて腹を壊さんようにな」
宗方は柔らかく笑った。
どこからか賑やかな笑い声が風に乗って聞こえてくる。宗方は軽く窓に目をやった。
「耶蘇の祭か」
まぁ、息抜きにはちょうどよかろう。
「あまり羽目を外さないといいが」
「生真面目な面々もついていますから大丈夫じゃないですか?」
それに彼らにとっては久しぶりのお祭りでしょ?
夏目の声に宗方は目を眇めた。
存在を赦されていなかった神が、漸く息を吹き返した。そして、いつか必ず、あの自由の旗を取り戻す。必ず取り戻してみせる。
「あぁ……そうだな」
少しくらいは大目にみてやるか。
宗方は小さく口にして、笑みを浮かべた。
「おう、ちょうどいいところに来た」
宿舎へと帰ろうとしていた伊達は、整備庫の前で近藤に呼び止められた。
その傍らには調整中の戦闘機が止まっている。しかし、そのプロペラの部分に奇妙なものがかけられていた。正月飾りにも似ているが、少々違う。青々とした枝が輪となり、松ボックリで飾られている。
もしかすると、これも今夜のバカ騒ぎの一環だろうか?
伊達は思いつつ、金色のリボンをくくりつけられた小さな鐘をつつく。涼やかな音が夜風に浚われて消えていった。
なんでも、今夜は耶蘇の祝い事だという。
鬼怒田からそういう祭があると聞いたことはあるが、祝いといわれても、説明もないために何をやればいいのか皆目検討がつかない。あまり状況を飲み込めないまま、バビロンユニットの面々の騒ぎに巻き込まれ、酒を飲まされた。否、問答無用で酒を頭からかけられた。
あまりのバカ騒ぎに閉口し、酔い覚ましを口実にして逃げ出してきたところ、近藤に声をかけられたのだ。
整備庫を覗き込めば、やはり伊達と同様にあそこから逃げてきたのだろう、見知った顔がある。車座になって話をしているが、恐らくその中身はあの騒ぎへの愚痴が大半に違いない。
亡命してきた彼らは今まで信仰自体を禁じられていたのだ。それがこちらにきて久しぶりの宗教的な祭だ。騒ぎたくなる気持ちはわからないでもない。
しかし、あれは……。
少々羽目を外しすぎなような気もする。
お堅い制止係として警戒されていた島田などは早々に酔い潰されて床に沈没していた。あの有様では、明日、色々な意味で悲惨なことになるに違いない。
「まぁ、食っていけ」
近藤の声に我に返った。目の前に差し出されたアルミ皿とそれに盛り付けられたものに釘付けとなる。それはこの場にいる皆に振舞われているものだった。
「こんなものどこから手に入れたんですか、おやっさん」
酒保に羊羹はあるが、アイスクリームも置いているとは聞いたことがない。それが何故、彼の元にあるのだろうか。
「お前の同僚からもらった」
それは、すなわち、バビロンユニットの誰かからもらったということだろう。
あぁ、アレか。
伊達は漸く納得する。
近頃、周囲で流行っている。それが、連合空軍まで伝播し、上層部にばれるのも時間の問題になってきている。
何故、近藤が持っているのかと訊ねれば、バビロンユニットに所属している亡命アメリカ人の乗る機体を整備したことの礼らしい。
ちなみにアイスクリームの作り方は至って簡単。
牛乳と卵と砂糖を放り込んだ増槽を銃座にくくりつけて飛べばいいのだ。そして、あとは上空にて銃座を回すだけ。無事に帰ってくるころには、見事食べごろが出来上がっているという寸法だ。
というか、それはやってもいいのか……? そこまでして食べたいものなのか……?
伊達は思わず、首を捻ってしまう。
「まぁ、しのごの言ってないで食っていけ」
近藤は彼を促す。
「入れ」
宗方は書類から顔を上げもせずに音の主へと声をかける。少し間をおいてから、小脇に紙袋を抱えた夏目が扉から顔を出した。
「少し休憩にしませんか?」
彼はそういって、持っていたバケツと薬缶を目の高さに持ち上げた。
宗方は大きく息をつくと、椅子の背もたれに身体を預け、眉間を指で揉む。その間に部屋に入った夏目は湯呑を二つ並べ、持ってきた薬缶を傾けて、いそいそと珈琲を用意していた。
一息ついた宗方は机に置かれたバケツを覗き込み、
「なんだ、これは……あぁ、アイスクリームか」
確かここの酒保には納入されていなかったはずだが。
そう首を傾げて、その表面についた霜を指で拭う。
「これは近藤少佐にもらったんです」
今回のは、酒の入った特別製だそうですよ。
宗方は夏目の発言に眉を寄せた。
「一体、どこからちょろまかしてきたんだ。いや、ちょっと待て。『今回のは』とはどういう意味だ」
「いえ、それがですね」
夏目は言いながら、宗方へと珈琲を差し出し、彼はそれを片手で受け取った。
「バビロンユニットに来た亡命アメリカ人が、整備の礼にと整備班へ置いていったそうです」
整備班の近藤の話によれば、アイスの作成方法が彼らから広まり、それがいまや連合空軍の富嶽乗務員にまで流行っているとのこと。夏目は、彼に上納されたものの一部をお裾分けしてもらったらしい。
その作り方の概略を聞いた宗方は渋面となる。
「無事に地上へと帰還できたら、その祝いに食べるつもりか」
悪くはないが、まるで馬の鼻面に吊り下げられた人参だな。
「どおりで最近、富嶽の後部銃座が妙な動きをしていると思ってはいんだが、そんなことをしていたのか」
呆れ果てた宗方の声色に夏目は苦笑した。
「ハルゼー中将はバケツにてんこ盛りでもらって、にこにこ顔でしたよ」
「……あの人は……好きだからな……」
宗方は湯呑を両手で包み込みながら、少々遠い目になる。
なにせ、ハルゼーはアイスクリームが配給される際に、艦長権限で別途に受け取ればいいものを、わざわざ部下に混じって列に並んでそれを受け取ったとの逸話のある御仁だ。おまけに列に横入りした部下を怒鳴りつけたとの噂さえある。
その彼が、バケツいっぱいの好物をもらって上機嫌にならないわけがない。
「そういえば、今日はクリスマスだそうです」
ここにくるときにバビロンユニットが酒盛りだと盛り上がっていました。
「もしかしたら、中将へのアイスは今晩に備えての賄賂かもしれませんね」
「……考えられないことでもない」
宗方は珈琲の蒸気で顎を擽りつつ、苦笑した。
「そう仰る主任こそ、食べますか?」
「俺はいい」
それならば、と夏目は紙袋からシュトーレンを取り出し、
「はい、どうぞ」
宗方の口許に差し出す。
「用意がいいな」
言って、差し出されたシュトーレンに噛り付いた。
「ロンメル中将の奥方がわざわざ作って送ってくれたそうです」
彼女が周囲の奥様がたにも声をかけたらしくて、コンテナいっぱいに送られてきたらしいですよ。
宗方は、シュトレーンを一口飲み込むと、珈琲をすする。
「そうか……あとで中将に礼を言っておこう」
一方の夏目はバケツを抱えて、アイスクリームを口に運んでいる。
「本来ならば炬燵に入りながら食べるのが一番幸せなんですけどねぇ」
「なるほど、それが君の食べ方かね」
「そんなこと考えるなんて、里心でもついてきたんじゃないですか」
他人事のように夏目は言う。
「食べ過ぎて腹を壊さんようにな」
宗方は柔らかく笑った。
どこからか賑やかな笑い声が風に乗って聞こえてくる。宗方は軽く窓に目をやった。
「耶蘇の祭か」
まぁ、息抜きにはちょうどよかろう。
「あまり羽目を外さないといいが」
「生真面目な面々もついていますから大丈夫じゃないですか?」
それに彼らにとっては久しぶりのお祭りでしょ?
夏目の声に宗方は目を眇めた。
存在を赦されていなかった神が、漸く息を吹き返した。そして、いつか必ず、あの自由の旗を取り戻す。必ず取り戻してみせる。
「あぁ……そうだな」
少しくらいは大目にみてやるか。
宗方は小さく口にして、笑みを浮かべた。
「おう、ちょうどいいところに来た」
宿舎へと帰ろうとしていた伊達は、整備庫の前で近藤に呼び止められた。
その傍らには調整中の戦闘機が止まっている。しかし、そのプロペラの部分に奇妙なものがかけられていた。正月飾りにも似ているが、少々違う。青々とした枝が輪となり、松ボックリで飾られている。
もしかすると、これも今夜のバカ騒ぎの一環だろうか?
伊達は思いつつ、金色のリボンをくくりつけられた小さな鐘をつつく。涼やかな音が夜風に浚われて消えていった。
なんでも、今夜は耶蘇の祝い事だという。
鬼怒田からそういう祭があると聞いたことはあるが、祝いといわれても、説明もないために何をやればいいのか皆目検討がつかない。あまり状況を飲み込めないまま、バビロンユニットの面々の騒ぎに巻き込まれ、酒を飲まされた。否、問答無用で酒を頭からかけられた。
あまりのバカ騒ぎに閉口し、酔い覚ましを口実にして逃げ出してきたところ、近藤に声をかけられたのだ。
整備庫を覗き込めば、やはり伊達と同様にあそこから逃げてきたのだろう、見知った顔がある。車座になって話をしているが、恐らくその中身はあの騒ぎへの愚痴が大半に違いない。
亡命してきた彼らは今まで信仰自体を禁じられていたのだ。それがこちらにきて久しぶりの宗教的な祭だ。騒ぎたくなる気持ちはわからないでもない。
しかし、あれは……。
少々羽目を外しすぎなような気もする。
お堅い制止係として警戒されていた島田などは早々に酔い潰されて床に沈没していた。あの有様では、明日、色々な意味で悲惨なことになるに違いない。
「まぁ、食っていけ」
近藤の声に我に返った。目の前に差し出されたアルミ皿とそれに盛り付けられたものに釘付けとなる。それはこの場にいる皆に振舞われているものだった。
「こんなものどこから手に入れたんですか、おやっさん」
酒保に羊羹はあるが、アイスクリームも置いているとは聞いたことがない。それが何故、彼の元にあるのだろうか。
「お前の同僚からもらった」
それは、すなわち、バビロンユニットの誰かからもらったということだろう。
あぁ、アレか。
伊達は漸く納得する。
近頃、周囲で流行っている。それが、連合空軍まで伝播し、上層部にばれるのも時間の問題になってきている。
何故、近藤が持っているのかと訊ねれば、バビロンユニットに所属している亡命アメリカ人の乗る機体を整備したことの礼らしい。
ちなみにアイスクリームの作り方は至って簡単。
牛乳と卵と砂糖を放り込んだ増槽を銃座にくくりつけて飛べばいいのだ。そして、あとは上空にて銃座を回すだけ。無事に帰ってくるころには、見事食べごろが出来上がっているという寸法だ。
というか、それはやってもいいのか……? そこまでして食べたいものなのか……?
伊達は思わず、首を捻ってしまう。
「まぁ、しのごの言ってないで食っていけ」
近藤は彼を促す。
作品名:アイスクリーム・パラダイス 作家名:やた子