誰にも見せた事のない貴方の泣き顔がとても痛かった
「……あーあ、」
武田の大将に頼まれた仕事をこなしたのはいいのだが、忍びの大群に追われた所為かなにもかもずたずたであった。勝つ事より負けない事を目的としているので、勝つ事しか考えない武将ならあしらう事など造作もない。
けれど同業者が相手となると、騙し合いで身体より精神力が奪われるのだ。つまり量より質が求められるとはいえ、多勢に無勢で囲まれたらかなう筈もなかった。
逃げ切ったとはいえ、擦過傷といって誤魔化せないような傷がいくつか刻み込まれ、顔には緑の顔料とは別に赤色でペイントされる始末であった。
一応、任務はこなしたので気分はよいのだが、あの煩い主従に心配されて、佐助の馬鹿と怒られるのも覚悟しながら帰らないと駄目だろうと思うと溜め息が漏れた。
「こんな仕事、給料と割あわないよなぁ」
自分は正式には武田の部下ではないのである。あくまで武田信玄の部下である真田幸村の部下なのだから、今回のような大将直々の任務には特別手当を支給して貰ってるとは言え、中身は雀の涙ほどだ。
それなのに真摯に仕事を請け負う自分を、最大限に自画自賛した。もう、それ以外なにもする事がなかったのだ。
木の上を走り回る脚も、得物を吊り下げた腰も、下げられた腕も、ほとんど感覚が残っていなかった。
どこかで休まないと絶対に倒れてしまう、と思い、適当に見つけた洞穴のように窪んだ岩の中に寝転がった。処置していない怪我の部分が冷たい岩に当たって気持ちがよくて、痛みをしばし忘れてもの思いにふける事ができた。
無意識に意識をジャックして、他の追随を許さないような事柄である風魔についてである。
出会いは決していいものじゃ無かったし、今だって相手にどう見られているのかさえもわからない、という状況ではあったが、たまに会いに行くと嫌がる素振りもせずに出迎えてくれた。
この仕事に行く前もふらりと寄って、任務が終わったらまた来る、と言ってきたのだがそれはどうやら叶いそうになかった。もう、数里行った所に小田原があるとはいえ一度寝転がった身体を起き上がらせるには長い時間がかかりそうである。
持ち歩いていた不味いとも美味いとも言えない携帯食を口に含む気さえ起きなくて、体力が回復するのを待っていたのだが、急に洞窟の入り口に人影が見えたので意識を手放しそうな身体に鞭打って手裏剣へと手を伸ばした。
投げつけるにも距離感が掴めないままで、相手を凝視すれば見覚えのある顔であった。
「嘘だろ……?」
近付いてきたのは、意識が沈むのを阻止しようと考えていた風魔小太郎その人であった。黒い密着性のある装束に、燻し銀のような色をした兜に被り、焔のように紅い髪の毛を靡かせた長身の男である。
「(全く、なに、してんだ)」
喉がほとんど機能しない彼は、ひゅうひゅうと苦しそうに息をしながら口を動かして意志を伝えてきた。全然赤みを帯びていない唇は紡いだのは説教なものだから、いつもお前の喉も死にかけていると軽口を叩いてやろうとするが、気怠い身体ではその気が起きなかった。
「忍に追っかけられまくったてさぁ、本当に俺って仕事し過ぎだと思うんだけど」
「(情けない、自分の身体位、大事にしてやれ)」
「さっすが、伝説の忍だね。俺様には真似出来ないよ。あぁ、やっぱり駄目だ。血が足りなくて頭くらくらしてきた」
上半身だけ跳ね上げて会話をしていたのだが、話していたら気分が悪くなって床に倒れ掛ければ風魔が音もなく動いて(さすが風の悪魔、)背中を支えてくれた。
「(ばか。小田原連れて行くから、大人しくしてろ)」
長身だとはいえ、軽々と俺の身体を持ち上げた風魔は影のように軽やかステップを踏みながら森の中を翔けていった。
風魔に悪い事をしたな、なにで埋め合わせよう。と目を瞑って考えていれば(もう瞼を開けるのも億劫だ)顔に水が落ちたのを感じた。けれど、耳を澄ましても雨音なんてしないし、気の所為でもないので、どうしてだろうと重たい瞼を嫌々ながらに上げれば、風魔の頬に涙の跡ができていた。
「(任務帰りに小田原に寄るって、言ってたのに、ボロボロになるなよ)」
いつもより大きく開かれた口はどこか叱咤するような雰囲気を含んでいて、申し訳なさで顔を見つめ返す事が出来なかった。そうすれば風魔は無理矢理俺の首を動かして目線を合わせると、また言葉を続けはじめる。
「(ばか、ばか。人がどんだけ心配したと思ってるんだ。探しにこなかったら、佐助は野垂れ死んでいたかもしれないんだからな)」
話す度に段々と濃くなっていく涙の筋を腕を上げて拭ってやっても、風魔の色のない唇は言葉を紡ぐのをやめない。
「(佐助なんて大嫌いだ。嘘吐き、ばか、ばか)」
「そんな馬鹿、馬鹿言わないでよ。俺様だって傷付くんだからさぁ」
「(しらないよ、そんな事)」
その言葉を見た途端、糸がぷつんと切れたように意識を手放した。
武田の大将に頼まれた仕事をこなしたのはいいのだが、忍びの大群に追われた所為かなにもかもずたずたであった。勝つ事より負けない事を目的としているので、勝つ事しか考えない武将ならあしらう事など造作もない。
けれど同業者が相手となると、騙し合いで身体より精神力が奪われるのだ。つまり量より質が求められるとはいえ、多勢に無勢で囲まれたらかなう筈もなかった。
逃げ切ったとはいえ、擦過傷といって誤魔化せないような傷がいくつか刻み込まれ、顔には緑の顔料とは別に赤色でペイントされる始末であった。
一応、任務はこなしたので気分はよいのだが、あの煩い主従に心配されて、佐助の馬鹿と怒られるのも覚悟しながら帰らないと駄目だろうと思うと溜め息が漏れた。
「こんな仕事、給料と割あわないよなぁ」
自分は正式には武田の部下ではないのである。あくまで武田信玄の部下である真田幸村の部下なのだから、今回のような大将直々の任務には特別手当を支給して貰ってるとは言え、中身は雀の涙ほどだ。
それなのに真摯に仕事を請け負う自分を、最大限に自画自賛した。もう、それ以外なにもする事がなかったのだ。
木の上を走り回る脚も、得物を吊り下げた腰も、下げられた腕も、ほとんど感覚が残っていなかった。
どこかで休まないと絶対に倒れてしまう、と思い、適当に見つけた洞穴のように窪んだ岩の中に寝転がった。処置していない怪我の部分が冷たい岩に当たって気持ちがよくて、痛みをしばし忘れてもの思いにふける事ができた。
無意識に意識をジャックして、他の追随を許さないような事柄である風魔についてである。
出会いは決していいものじゃ無かったし、今だって相手にどう見られているのかさえもわからない、という状況ではあったが、たまに会いに行くと嫌がる素振りもせずに出迎えてくれた。
この仕事に行く前もふらりと寄って、任務が終わったらまた来る、と言ってきたのだがそれはどうやら叶いそうになかった。もう、数里行った所に小田原があるとはいえ一度寝転がった身体を起き上がらせるには長い時間がかかりそうである。
持ち歩いていた不味いとも美味いとも言えない携帯食を口に含む気さえ起きなくて、体力が回復するのを待っていたのだが、急に洞窟の入り口に人影が見えたので意識を手放しそうな身体に鞭打って手裏剣へと手を伸ばした。
投げつけるにも距離感が掴めないままで、相手を凝視すれば見覚えのある顔であった。
「嘘だろ……?」
近付いてきたのは、意識が沈むのを阻止しようと考えていた風魔小太郎その人であった。黒い密着性のある装束に、燻し銀のような色をした兜に被り、焔のように紅い髪の毛を靡かせた長身の男である。
「(全く、なに、してんだ)」
喉がほとんど機能しない彼は、ひゅうひゅうと苦しそうに息をしながら口を動かして意志を伝えてきた。全然赤みを帯びていない唇は紡いだのは説教なものだから、いつもお前の喉も死にかけていると軽口を叩いてやろうとするが、気怠い身体ではその気が起きなかった。
「忍に追っかけられまくったてさぁ、本当に俺って仕事し過ぎだと思うんだけど」
「(情けない、自分の身体位、大事にしてやれ)」
「さっすが、伝説の忍だね。俺様には真似出来ないよ。あぁ、やっぱり駄目だ。血が足りなくて頭くらくらしてきた」
上半身だけ跳ね上げて会話をしていたのだが、話していたら気分が悪くなって床に倒れ掛ければ風魔が音もなく動いて(さすが風の悪魔、)背中を支えてくれた。
「(ばか。小田原連れて行くから、大人しくしてろ)」
長身だとはいえ、軽々と俺の身体を持ち上げた風魔は影のように軽やかステップを踏みながら森の中を翔けていった。
風魔に悪い事をしたな、なにで埋め合わせよう。と目を瞑って考えていれば(もう瞼を開けるのも億劫だ)顔に水が落ちたのを感じた。けれど、耳を澄ましても雨音なんてしないし、気の所為でもないので、どうしてだろうと重たい瞼を嫌々ながらに上げれば、風魔の頬に涙の跡ができていた。
「(任務帰りに小田原に寄るって、言ってたのに、ボロボロになるなよ)」
いつもより大きく開かれた口はどこか叱咤するような雰囲気を含んでいて、申し訳なさで顔を見つめ返す事が出来なかった。そうすれば風魔は無理矢理俺の首を動かして目線を合わせると、また言葉を続けはじめる。
「(ばか、ばか。人がどんだけ心配したと思ってるんだ。探しにこなかったら、佐助は野垂れ死んでいたかもしれないんだからな)」
話す度に段々と濃くなっていく涙の筋を腕を上げて拭ってやっても、風魔の色のない唇は言葉を紡ぐのをやめない。
「(佐助なんて大嫌いだ。嘘吐き、ばか、ばか)」
「そんな馬鹿、馬鹿言わないでよ。俺様だって傷付くんだからさぁ」
「(しらないよ、そんな事)」
その言葉を見た途端、糸がぷつんと切れたように意識を手放した。
作品名:誰にも見せた事のない貴方の泣き顔がとても痛かった 作家名:榛☻荊