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ヒーローの背中

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――大敗だった。

「速水、撤退命令が出た。降りるぞ、この機は持たん」
「うん……」

 副座型の後部座席、つまり僕の背後で舞がきっぱりと伝えた。
酷い戦いだった。倒壊したビルで視界の利かない市街地、ミノタウロスときたかぜゾンビの混合部隊。強くはなかったけれど、数が多かった。ミサイルで数を減らしたところで、増援がきた。
 運が悪かったのは、スキュラが三番機の側で実体化したことだった。かろうじて太刀と二番機の滝川の援護で沈めたものの、三番機は大破。芝村準竜師からの撤退命令が下ったのは、その直後だった。

 滝川機が敵を引きつけている間に、舞とともにすばやくハッチを開け機体の外へ滑り降りる。
 振り返ると、大破した三番機の向こうに、ミノタウロスにサブマシンガンの一撃を叩き込む二番機の影が見えた。

「ごめん、滝川」
「気にすんなって。貸しな、貸し。『味のれん』の刺身定食な」

 多目的結晶から聞こえてくる滝川の声は気楽なものだった。少し、安心する。
 戦果は決していいとは言えない滝川だが、こと機体を傷つけないことには定評がある。大破して出撃出来ない一番機、おそらく予備機と交換することになるだろう三番機に比べ、これまでの戦いで受けた損傷は極めて低い。パイロットのカンのよさと、「距離をとって戦う」という戦術を徹底しているせいだろう。

「ゆくぞ。我らがもたついていては、滝川も撤退出来ん」

 舞の声に促され、駆け出す。
親友を置いていくことに躊躇いがないわけじゃないけど、舞の言葉は正しい。彼女を追うように駆け出す。幸いにもこの辺りは瓦礫が少なく、走るのに支障はない。街路の角の向こうに、補給車とウォードレス姿の森さんが手を振っているのが見えた。僕たちが幻獣の射程外まで逃げ込めたことを確認して、滝川機がジャイアントアサルトで牽制しながらじりじりと下がり始める。
 その時だった。

「………不味いな」

 先を走っていた舞が、ぼそりと呟いた。

「え?」
「指揮車が逃げ送れている。あのままでは追いつかれる」

 舞は走りながら多目的結晶で戦場の情報を集めていたらしい。見てみろ、と促され、僕も自分の多目的結晶を覗き込む。
指揮車は南側の、比較的建物が密集した地点に陣を張っていた。撤退ラインからはやや離れているけれど、建物が遮蔽になり、安全なはずだった。だが、撤退時にはそれが仇になった。元々、道が入り組んでいる上に、倒壊した建物の瓦礫が道を塞ぐ。士魂号はジャンプで建物を飛び越えることが出来るけれど、指揮車には出来ない芸当だ。
 僕と舞が、そして滝川が逃げ切れば、敵の追撃は逃げ送れた指揮車に集中する。

「滝川!指揮車が逃げ送れてる! 援護せよ!」

 舞が通信状態に切り替え、多目的結晶に声を叩き込む。背後を振り返ると、二番機が南へと巨体の首を巡らせていた。

「マジ!? しょーがねーなー」

 僕たちが逃げきれると踏んだのか、二番機はすでに敵に背中を向けていた。そのままジャンプと走行を駆使して逃げ切るつもりだったのだろう。そのままの姿勢で、立ち止まった。
――楯になる気だ。
 意図に気づいたのだろう、多目的結晶から善行司令が呆れたような通信を発する。

「無謀な……。敵に背を向けていては、やられます」
「やられる気はねぇよ。アンタらが撤退したら、俺もすぐ逃げるもん」

 指揮車を逃がした後、自分も逃げ出すつもりなのだろう。そのためには機体の方向を変える暇さえ惜しい、ということらしい。
 それにしても、無謀だ。士魂号は背後からの攻撃に弱い。死角からの攻撃を避けるのは困難で、おまけに背面の装甲は薄い。背後を取られるな、とは、パイロット過程で最初に教えられることだ。

「………無謀は滝川君の身上でしたね。任せます。加藤さん、今のうちに撤退を」
「いなくなるのは、めーなのよ」

 善行司令の声に、オペレーターを務めるののみの声が重なった。答える滝川の声は、笑っていた。

「わかってるって。じゃ、いっちょいくぜ!」

 そう言って滝川は通信を切る。指揮車と滝川のやり取りを見守っていた舞が背を向ける。

「我らは滝川を信じる他にない、行くぞ」 

 そう言い捨てて再び走り始める。補給車はもう目の前だ。僕たちを拾って下がるつもりだろう、外で待っていた森さんが補給車に乗り込む。運転席には原主任の姿が見えた。
 逃げ込めそうだ、と胸を撫で下ろす。先を行く舞に追いつこうと、足を速める。

 ――このまま逃げ出していいのだろうか。

 ふとそんな思いが胸をよぎった。足を止める。

 ――機体を撃破されて。親友が戦っているのに。

 踵を返す。今までかけてきた方向へ、駆け出す。

「速水!?どこへ行く!」

 遠ざかる僕の足音に気づいたのか、舞が振り向く。肩越しに僕は舞を見た。

「ゴメン、舞。先に行ってて!」

 機体を捨てた僕に出来ることはない。戦車兵として鍛えているとは言え、スカウトのように身一つで戦えるほどの体力はないし、装備だってウォードレスに備え付けたサブマシンガンが1つ。ミノタウロス中心に構成された敵を相手に出来るわけじゃない。
 親友が戦っていても、何も出来ない。せめて、見届けたかった。

 名前を呼ぶ舞の声を背中に、来た道を戻る。瓦礫を踏み越え、ほぼ無事な姿を保っている雑居ビルを見つけて中へ。電気が断線され、薄暗い建物の中階段を探し当てて駆け上がる。
五階分の階段を上り、屋上に続く扉を押し開けると、視界が開けた。かつては周囲を背の高いビルに囲まれ、都市の中に埋もれていただろう古いビルは、周りの建物が倒壊した今では、一番見晴らしのいい場所になっていた。
 2ブロックほど向こうに土ぼこりが上がっている。

「滝川……」

 息を整えながら屋上の縁まで進み出る。転落防止のフェンスを、握り締めた。
 二番機が戦っていた。いや。戦うと言う言葉は正確ではない。滝川は敵に背を向けたまま、すべての敵の攻撃を回避していた。

 背中を向けている、と言うことは、武器の射程に敵を捕らえることは出来ない。だが、背後を取られているので、敵は回りこんでこない。わざわざ武器の射程に飛び込んでくる敵はいない。
 退路を確保しつつ囮になるのに「敵に背を向ける」のは理に叶っているのだ。――見えない背中からの猛攻を、しのげる自信があれば。

 そして滝川は、その攻撃を見事にしのいで見せていた。
攻撃を捨てることで、幻獣からの攻撃を予測し避け切ることに集中している。生来のカンのよさ、ゲームで鍛えた反射神経がそれを可能にしている。
 状態を逸らせ、すり足で軌道をずらし、展開式増加装甲を広げ、太刀で受ける。

「うっらああ! そんなんで俺が落とせるかっての!」

 右後方から振り下ろされるミノタウロスの拳の一撃を、展開した装甲が受け止める。ゴルゴーンの体当たりは身を逸らしてかわしきる。
 衝撃を受け止め損ねたのか、機体がずんと沈み込む。沈み込んだ膝をばねに体制を立て直し、その勢いを利用してまとわりついてきたナーガを振り払う。

 それは舞いに似ていた。
決して豪華絢爛ではない。稚拙で、地味で、粗野で、無駄も多くて、子供のお遊戯みたいなものだったけれど。
作品名:ヒーローの背中 作家名:すか