偽虜囚
辺りはまた闇だった。
遠くにほんの小さな点のような光があったが、そこへ向かう気力は途絶えていた。
このまま眠ってしまえば、きっと楽だろう。自分の役目は終わったのだ。
そう思えば、余計に動く気力も無かった。
だが、ふと声が聞こえた。どこかで誰かが、誰かと自分のことを見て笑っていた。
誰かが頬に手を添えた。何年も忘れていた、温かいぬくもりのようだった。
誰かに呼ばれているような気がした。
途切れていた意識が急に活性化し始める。
ロイは、再び目覚めた。
外ではいつもの夜明けのように、小鳥があちらこちらでさえずりを競っていた。
それから、消毒液臭い独特のにおい。鼻につくそれが、一時期嗅ぎ慣れてしまったものだということに気づくのに、そう長くはかからなかった。
うつ伏せになっているせいだろうか。身体が妙にだるい。
ゆっくりと身じろぎした。そのとたんに背中に引き裂かれるような痛みが走り、思わずうめき声を上げていた。
「……っ」
一瞬の痛みに耐えると、長く息を吐く。少し楽になって、もう少し慎重に身を起こしてみる。
朝の日差しが、僅かにカーテンの隙間からこぼれていた。部屋の中には、清潔に整えられたベッドが並んでいた。ついたてに仕切られた向こうには、診察室の小さな椅子が覗いていた。見慣れた医務室の光景だった。
ふと、ロイの額から何かが滑り落ちた。
温かいぬくもりの、白い手だった。そしてそこにいた人物を見て、彼は言葉を失うほど、驚いた。
ロイが臥せっていたベッドの端に、うつ伏せになって伏せて眠っている少年。窓からの光が、わずかに顔に表れた疲労の色を、明らかにしていた。
「ファルー、シュ……」
不意に、ファルーシュの目蓋が震えた。顔に降り注ぐ光のまぶしさに顔をしかめ、それからぼんやりとした表情が彼の顔を捉える。
その途端に、寝ぼけ眼の顔が、驚きに変わり、それから泣き出しそうなくらいにくしゃくしゃな笑顔になった。
「ロイ……ロイ、ロイっ!!」
仕舞いには本当に泣き出してロイに飛びついた。
「う、わっ!!」
先ほどよりも鋭い痛みが背中に走り、息を呑む。その様子にすぐに気づいたファルーシュが慌てて離れ、おろおろとうろたえていた。
「ご、ごめ、大丈夫っ?! あんまり、嬉しくて……っ、もう、二度と目覚めないんじゃ、ないかって……!」
ぼろぼろと、ファルーシュは涙を流す。ようやく痛みに慣れてきて、ロイは軽く一つため息をついた。
「ばかやろ。んっと、あんたは馬鹿だよ」
殴られると思ったのか身をすくめたファルーシュの頭を、軽くぺしっとロイは叩いた。
「周り、もうちょっと見ろっての。おかげで、こっちはほんっと散々な目にあったんだぜ?」
うつむいたファルーシュが一層身を縮める。ごめん、と掠れた声が再度謝罪の言葉を紡いだ。
そんな彼の顔を無理やり上げさせて、ロイはその唇を強引に奪う。
思っても見なかった行動に、ファルーシュは涙を止めて呆然とロイを見つめた。
「オレは、お前を裏切らない。消えたりもしない。だから、安心しろ」
不自由な腕で抱きしめる。
ファルーシュはその腕の中で、また顔をくしゃくしゃにゆがめて。
「ごめん、ね」
と、嗚咽から搾り出すように、つぶやいた。ぼろぼろとこぼれる涙がロイの胸を濡らす。傷に触れた涙はしみたけれど、逆にロイはしっかりとファルーシュを抱きしめた。
「オレはそんなあんたが、大好きだよ」
腕の中の彼が一瞬硬直して、それから耳まで赤くした。ロイの腕から逃れようと身じろぎするも、ロイの腕に巻かれた包帯を見ると、思うように抵抗も出来ないらしく、困ったような申し訳ないような、恥ずかしいような、そんな顔で、ロイを見上げた。
そんなファルーシュに、ロイは笑った。
ようやく、戦勝の笑い声が、城内に広まった。