雪の溶ける音
伊達殿は肩を落として、軽く息を吐き出した。
「ああ、やっぱりな。そういうことだろう、とは思っていた。あくまでも俺にあの時のチカちゃんを取り戻させるつもりはない、ということだな?」
伊達殿の察しのよさは相変わらずだ。別に俺の口から聞き出すまでもなく、全てを理解しているのだ。でも、俺がそのことをはっきり言わない限りは、伊達殿は絶対納得しないのであろう。
「どう解釈していただいてもかまいません。私の気持ちはそういうことです」
「…俺は前にチカちゃんに惚れてるって言った。覚えてるか?」
「…忘れることなど……」
忘れようとしてみたが、忘れられなかった。
海の底に沈めたはずの俺の思いを引き上げようとするその言葉を、俺は忘れることなどできずにいたのである。
忘れられれば、楽だっただろうに、と思う。
「きっと、チカちゃんにとっては、悪い言葉だっただろうからな…」
伊達殿はそういって、盃の酒を飲み干した。その後、立て続けに3杯ほど飲み干し、まるで酔っ払ってしまおうとしているような勢いだった。
「チカちゃん、考えてみたんだが…」
「何でございましょう?」
「俺はチカちゃんに惚れてる。それは変えようが無い事実だ。だが、チカちゃんが俺の言葉で苦しんでいて、迷惑だというのであれば、俺はもうチカちゃんを追う事はしないでおこうと思う…」
ああ、これでもう伊達殿と俺とを繋ぐものは何一つなくなるわけだ。
よかった、とほっとする気持ちがこみ上げてくるはずだった。
それなのに、俺の中にこみ上げてくるのは、自分でも驚くような衝撃と、続けざまに襲ってくる諦めのような落胆した気持ち。
あれほど、俺から距離を置こうとしていたのに、その結果に俺自身が悲しんでいるようだった。
俺は伊達殿との繋がりを切りたがっているわけではなかったのか?
俺は笑いがこみ上げてきて、大声で笑ってしまった。
「チカちゃん?」
「…申し訳ございません。他力本願であった、私自身に愚かさに呆れているのでございます」
「他力本願…?」
「私は心のどこかで、伊達殿ならば救い出してくれるのかもしれない、と思っていたのでしょう。海の底に沈めたあの思いを引き上げ、解放してくれるのではないかと、期待を……」
俺は慌てて立ち上がり、伊達殿の屋敷を後にしようと、身支度を整えた。これ以上、伊達殿と話していると、俺は何を吐き出してしまうかわからなかった。自分でその不安と戦う自信もなかった。
「チカちゃん!」
振り切れないほどの力で伊達殿に腕をつかまれる。伊達殿の目は、俺をしっかり見据えていて、俺はまるでその目に捕われたように、身動きが取れなかった。
「お、お離し下さい!」
「今の話、本当か?」
「…どうか、お聞き流しを……」
「それはできねぇ! チカちゃんが本当に言いたいことは何だ?」
「…お許し下さい…。何も言うことはできないのです…」
「言えないってどういうことだ? チカちゃんはまだ俺との身分を……!」
苛立ちをあらわにする伊達殿に、俺は抱きついた。
「…チ、チカちゃん…?」
「…もう二度とお会いすることはないでしょう…。伊達殿が仰ったとおり、もう、追う事はしないで下さい……。それがお互いのため……」
俺は伊達殿から離れると、掴まれていた腕を振り払った。
言葉を失っている様子の伊達殿に背を向け、庭に飛び降りる。草履を履いて駆け出すが、雪に慣れていない俺はどう頑張っても早く駆けることはできない。
「チカちゃん! 待てって!」
伊達家の門を出ようとしたところで、伊達殿の呼び止める声が聞こえた。
思わず足を止めてしまった俺に、伊達殿は再度、名前を呼びかけてきた。それはあまりにも優しく柔らかい声で、振り返ってしまいそうになる。
その気持ちを抑えて、俺は変わりに言葉を吐き出した。
「…雪の溶ける音を……、伊達殿と聞くことができれば…よかったと……」
「チカちゃん! 俺は…!」
「……左様なら。これで最後となりましょう。言葉を交わすことも……」
俺は握りこぶしに力をこめると、船まで全速力で駆け出した。
気づいてしまった。
海の底に沈めていたあの思いは、あの戦いの時に、伊達殿にすでに引き上げられてしまっていて、解放されてしまっていたのだ。
そして、二度と抱くことはない、と思っていたその思いを、伊達殿に対して抱いてしまっていたのである。
ああ、そうだ……。
きっと、俺は刀を合わせたあの時から惚れてしまっていたのだ。
独眼竜と呼ばれるあの男に。
「兄貴!」
「船をだせ、今すぐだ。西に戻る」
「兄貴!?」
「何も聞くな。すぐに船を出せ!」
俺は船の先端の方に立って、海を眺めた。
やはり、俺は早く海に溶けておくべきだった……。