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雪の溶ける音

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 伊達殿は眼帯で隠れていない眉を持ち上げた。

「何故、それをここに持ってきている? 前に言ったよな? その宝を返せとは言わねぇ、とな。覚えてねぇとは言わせないぜ」

 伊達殿の目には俺に対する怒りのようなものが見え隠れしていた。
 確かに、前回お会いした時に、そのような言葉を聞いた。俺自身は何を言われても返すつもりでいたのだが、その時は返しそびれてしまったのだ。
 だから、今回こそはお返ししようと、ここまで持参したのである。

「しっかり覚えております。この宝、私も手放すのは惜しいのですが…」
「ならば、どうして持ってきた?」
「帰りたがっているからでございます。この宝自身が」
「どこに?」

 俺は無言で宝を伊達殿の前に再度差し出した。

「伊達殿のもとに、でございます」

 伊達殿はしばらく沈黙していたが、俺の手から宝を取り上げた。そして、大きな声で笑い出した。

「チカちゃん、おもしろいこと言うじゃねぇか! そこまで言うのなら、これは返していただくぜ」
「……どうぞ……」

 伊達殿が宝を受け取ったことで、俺の心の中で引っかかっていたものの一つが解消された。
 伊達殿が気づいておられるかどうかはわからないが、これでまた俺と伊達殿を繋ぐものが一つなくなったわけである。
 その後は、他愛も無い会話で酒を飲み続けた。
 真田殿は甘いものが好きらしく、お茶にも砂糖を入れると言う変わった御仁だということを知った。戦には団子がかかせないらしい。
 片倉殿は野菜の話題になると、人一倍お話される。この時期は大根がおいしいらしい。

「盛り上がってるところ、ちょーっと失礼!」

 天井の方から声がして、全員の視線が上に集まる。迷彩柄を身にまとった男が天井の板を外して、降りてきた。それは手馴れた作業で、ここの屋敷に今までに何回か来ていることを伺わせた。

「旦那ー、お館様がお呼び。戻って来いってさ」
「おお、そうでござるか。佐助、ご苦労」

 佐助殿は、真田殿の部下である。忍頭で、真田殿の世話をしているらしい人物だ。
 佐助殿は俺の方を見て、軽く手を上げた。

「あれ? 珍しい方がお見えじゃないの。西海の方は相変わらず?」
「…今のところは落ち着いております。それに比べ、佐助殿はお忙しいご様子…」
「まあねぇ。お館様と旦那の相手じゃ、あまり暇はないね」
「こら、佐助。余計なことを言うものではない」

 真田殿に戒められて、佐助殿は軽く舌を出して、反省するそぶりを見せた。その瞬間に、俺の視界は白く煙る。

「では、これにて退散」

という佐助殿の低い声だけが響き、煙が晴れた頃には、真田殿と佐助殿の姿はなかった。

「慌しいやつらだな。さあ、飲みなおそうぜ、チカちゃん」
「では、別の料理をお持ちいたしましょう。長曾我部殿、ごゆるりと」

 立ち上がって膳を抱える片倉殿に会釈して、俺は感謝の意を示した。
 部屋は伊達殿と俺の二人きりになった。
 どう会話を切り出していいのかわからず、俺は伊達殿が注いでくれる酒を飲むしかできなかった。
 しばらく静かに酒を飲んでいると、パサっという音が二人の沈黙の間に割って入ってきた。

「今のは…?」
「ああ、雪が落ちたんじゃねぇか。日が高くなってきて雪が溶けてきたのかもしれねぇな」

 伊達殿は首だけで外を見るように促してきた。それに従うように視線を庭に移す。木々の葉に積もっていた雪が少しずつ音を立てて落ちている。
 ああ、やっぱり雪はなくなって行くんだな、と改めて実感した。
 辺り一面の白い世界はいつまでもこのままであるような気になっていたからだ。

「…雪が溶けるときの音ではないのですね」

 ぽつりと呟く俺の言葉に、伊達殿は喉の奥で軽く笑った。

「雪が溶ける音ねぇ。俺も意識したことねぇし、聞こえねぇと思うけどな。チカちゃん、繊細なこと言うんだな」
「お、お忘れ下さい。雪に関りのない人間の戯言ゆえ」

 俺は恥ずかしさを隠すために、お銚子を持って、伊達殿の盃に酒を注いだ。伊達殿の口から漏れる異国の言葉が嬉しそうだったので、伏せた顔を上げてしまう。目が合った伊達殿は、「ありがとう」と俺にわかる言葉ではっきり言い、笑顔を見せた。
 しかし、すぐに伊達殿は俯いて、盃の酒を見つめた。

「なぁ…、チカちゃん」

 静かな伊達殿の言葉に、俺は盃を置いて、崩していた姿勢を正した。

「俺は気になってる言葉があるんだが…」
「『もう二度と』の続きでございますか?」
「…頭のいいやつは大好きだ。そのとおり」

 次にお会いする時はもう二度と、と俺は言った。

「……もう二度と、お見せすることは無い、と申し上げるつもりでした…」
作品名:雪の溶ける音 作家名:藤沢 尊