輝ける星
考えても仕方ない過程の話をするのはやめようと思っていて、どうしても止められない。弱気なそれを読み取ったかのようなタイミングで山ノ井が柔らかい笑みを浮かべた。
「慎吾は案外神経質だからなァ。彼女、けっこう気にしぃな人だし、そこぶつかっちゃうと修正むずかしいかもね」
「修正なんて無理だろ。アイツが悪いとこ一個もねえのに、俺譲れないし」
別れの言葉を投げつけたことに、後悔がないと言ったら嘘になる。でもそれはきっと「別れた」という行為そのものに対してではなく、別れ際の自分のひどい言いぐさについてだ。彼女を泣かせても、自分が最低な男に成り下がっても、譲ることのできない一線があった。
入り込んで欲しくない場所。どんなに傷が深くても、決して触れてほしくない場所。その傷が目に見えて、醜く膿み始めていたとしても、指摘してほしくはなかったのに。
むっつりと顔を蹙める島崎を覗き込んだ山ノ井は、いつもの茫洋とした笑みをより一層濃くした。何を考えているかわからない微笑みは、けれどいつだって心強い仲間のそれだ。
「……山ちゃん?」
「仕方ないんじゃないの? 家族にも彼女にも……誰にも触れてほしくないくらい、野球が大事だってことだろ。――だったら譲らなきゃいいじゃん」
「――っ」
降り注いだ言葉に驚愕して、島崎は勢いよく顔を上げた。山ノ井が咄嗟に身をひいていなかったらぶつかっていたかもしれない。
「あっぶね……なんだよ、慎吾!」
「山ちゃんてさ、なんでそんなに俺のことわかんの? アイツより山ちゃんのが俺のこと全然わかってくれてんじゃん」
身を乗り出すようにして訪ねると、山ノ井が人差し指一本で島崎の額を押しやる。彼はその人差し指に銃口の紫煙を払うようにフッと息を吹きかけ、にしゃりと笑った。
「バッカだなあ慎吾。誰もお前のことをお前の望むようにわかってやったりできないんだよ。俺も家族も彼女も」
「けどさ」
「ただ俺は他の人よりお前を甘やかすのがちょっと上手いだけ。その気になった時だけな」
押し戻され勢いをそがれた島崎は、額を抑えてちぇっと舌打ちをする。
「ひでえよ、山ちゃん。そうやっていつも肝心なとこになると逃げんだから。そんなイケズ言わねーでずっと俺を甘やかしといてくれりゃいいのにさ」
「なーに言ってんだよ、そんなことしたら価値がなくなるじゃんか。慎吾の中で俺の存在がレアアイテムのように輝きを放つことこそ大事なの」
そう言いながら、山ノ井は島崎の手を額から外すとよしよしと撫でてくれた。別にデコピンされたわけではないので痛みどころか指の跡さえ残っていないだろうが、ひんやりとした堅い指先に優しく撫でさすられると、急に鼻の奥がツンとなった。目の周囲がとたんにじんわりとした熱で覆われ始める。慌てて彼に背を向け、ズビと鼻を啜った。バレていても泣き顔さえ見られなければそれでいい。
心得ている山ノ井はたっぷり十分は沈黙を守ってくれた。少し長すぎるくらいで今度は間が持たなくなりそうだけれど。
にじみ出た涙の訳が、別れた彼女への感情からなのか、それとも夏が終わってしまった感傷によるものなのかはわからない。けれど隣りにいたのが山ノ井だからこそ、浮かんできたものなのだと思う。
こうして、十年後も二十年後も、隣りにいてくれるのが彼だったらいい。
レアアイテムなんかより、よっぽど強い輝きの地位を約束するから。
「いっそ山ちゃんがオンナだったら、俺ぜってー嫁に来てもらうのにな」
「うん、慎吾。俺、オトコだから」
「カナダって居住なしで同性婚OKなんだって。山ちゃん知ってた?」
「うん、俺、日本国籍捨てる気ないから。同性婚が日本でも許されるようになってからプロポーズしてな?」
「なんか俺、やんわりお断りされてねえ?」
「慎吾の脳みそに皺があって安心したよ、俺」
「山ちゃんのイケズ……」
「はいはい。愛してるから俺のことは諦めてな」
「それって山ちゃんも日本語ヘン」
――ずっと隣りで輝いて。