閉じ篭った心の行方
決断の刻
「考えさせて……」
ぼくはそう言って、背をそむけた。
みんなの視線が背中に突き刺さる中、軍議の間から逃げるように駆け出した。
この城を捨てて逃げましょうか。そのルクレティアの提案が、ぽっかりと胸に穴を開けた。
頭の中身が全部吹き飛んでしまったのかのように、何も考えることができなかった。
息も切れ切れに、部屋の中に飛び込んだ。扉が壊れるのではないかと思うほど派手な音が静まり返ったフロアに響いた。
だが、突然重々しい雰囲気の城内には似合わない口笛。
はっと顔を上げると、ベッドの上になぜだかもうひとり、自分が胡坐をかいて座っていた。
「めっずらし、どうしたよ、んな荒れちゃってさ」
ぼくの変装をしたロイがいつもの調子でそこにいた。
「何? また、ぼくのかっこでうろついてたわけ?」
はは、と苦笑。でも、うまく笑えなかった。
いつもなら簡単なのに、今日に限ってすぐに顔が崩れてしまう。
「どした? んな泣きそうな顔して……」
そしてこんなときに限って、ロイはいつもは見せない優しい笑みを浮かべてぼくに近づいてくる。
その胸に、膝が崩れるまま、ぼくはすがり付いていた。
これが確信犯だったら、なんて彼はずるい男なんだろう……。
でも、確信犯だってなんだって今はよかった。彼がそこにいてくれたというただそれだけで。
「ねえ、ロイ……。ぼくは、どうすれば、いいんだろう」
気がつくと、あふれ出ていた涙。
嫌だった。
この城を捨てるのは。
この場所を失うのは。
だって、ここは、ぼくが初めて手に入れた場所で、やっと自分が自分であることを実感できた場所で、そしてなにより、ロイと、過ごした場所だったから。
ここを敵に明け渡すのは、それらすべてが汚され、踏みにじられてしまうのと同じだったから。
でも。
ルクレティアの提案は、今の状況を考えれば正しい。自分だって別の方面では、そうした方がいいに決まっていると思っている。
「お前は、どうしたいんだ?」
ロイの優しい手のひらが、ぼくの頭をなで、そっと肩を包み込む。
ああ、ほんとなんで今日のロイはこんなにやさしいんだろう。ずるい。ほんとにずるい。
このままじゃ、ずっと言えなかった、言いたくなかったことまで、吐き出してしまいそうだ。
「ぼくは……」
紡ごうとした言葉は途中で消えた。言えるわけがない。この言葉を紡いで、一番運命を左右されてしまうかもしれないのは、自分ではなく、もしかしたら彼なのかもしれないのだ。
逃げるのなら、彼はぼくの囮になって危険な役目を負うことになるかもしれない。逃げなければ、彼だけでなく、他のみんなも含め、最大の危機を招く。
どっちにしろ、彼が危険なことには代わりが無い。
いつも思う。ロイはぼくの影武者だって言ったって、いざとなれば逃げることだってできるはずだ。それなのに、僕のかわりに戦陣立つ。そんなとき、とても怖い。彼がぼくの変わりになって死んでしまうんじゃないかって。そんなことになったら、今のぼくじゃきっと、耐えられない。
ロイがいないなんて、想像すらできない。
好きだ。
ロイが、好きでたまらない。
でも、言えない。
言ったら、きっとロイは拒絶するよね?
リオンが好きなんだもの。当たり前。
ぼくが、おかしいんだ。
でも……こうしてロイに抱き寄せられていると、そんな胸のうちの醜い感情があふれてきてしまいそうで。
ぼくは必死で口を閉ざした。
それがロイには違う意味に思えたのか、一層優しい声音でぼくの耳元にささやく。
「お前は、お前のやりたいようにしたらいいんじゃねぇの? 自分で考えて、自分が納得できる道進めばいいじゃん」
ああ、どうして君はこんなにもぼくがほしいと思う言葉をくれるんだろう。
もしかしてぼくの心の中を何もかも見通してるの?
とっさにぼくはロイを突き放す。
涙にぬれた顔のまま、ロイを見つめた。
「でも、ここを守れば、人がたくさん死ぬよ……。皆殺しになってしまうかも、しれないんだ。そうでなくても、逃げたとして、君が囮になったら、君が……!」
君が死んでしまうかもしれないんだ! でも、それを言葉にする前に、思いもよらないことが起きたんだ。
「ロ……」
唇がふさがれた。
見開いたままの目の中に飛び込んできたのが、ロイの顔。
ロイ自身も呆然としていた。
金色の目が戸惑うように宙をさまよう。
「あ、な、なんだ、その……そ、そんんときゃオレがどーにかしてやるよ。伊達に影武者やってねーんだぜ?」
それって、どういう意味?
でも、ぼくはその言葉を理解するにも、さっきの衝撃が強すぎて、頭の中は真っ白で、それに、ロイ自身その言葉を言い放ったとたん、慌ててぼくの脇をすり抜けて、部屋の外へ飛び出して行ってしまった。
ぼくは彼を追いかけるなんて考えることもできず、床にへたり込んでいた。
「はは、しんじ、らんない……」
駆けていくロイの足音が小さくなっていくのを聞きながら。
こぼれたのは、乾いた声と、とめどない涙と、それからいっこうに引き締まらない頬。
「ずるいよ、ロイ……」
嬉しいのか、それとも恨めしいのか自分でもよくわからなかった。
でも、そのときはそれでいいと思った。
今は、これでいい。
今度の戦いが終わったら、たぶんいつものようにあのときの意味、なんだったの? って笑いながらロイに問い詰めることができるだろう。
だから、今は前に進まなきゃ。
ファルーシュは覚悟を決めて立ち上がる。
再び軍議の間に戻ったときには、もはやいつもの軍主の顔に戻っていた。
このときの決断が何を引き起こすのか。まだ誰も知らない。