閉じ篭った心の行方
3年目のことば
水面から差し込む光が、きらきらと水の底を照らしていた。
揺らぐ光によって、見るものに違う姿を見せる城は、3年前と変わらないはずなのに、なぜかファルーシュの知らない世界にそびえているように思えた。
そう、あれから3年。
多くの人々の命を奪ったあの長い戦争から、3年が過ぎた。
周囲の街の多くは再建を果たし、活気を取り戻した。女王リムスレーアの統治も安定し、新しくできた議会も多くの市民の参加によって盛んに議論が交わされている。
ファルーシュは、この国に帰ってきて、それらを見た。3年ぶりの祖国はファルーシュの想像以上に豊かになっていた。そして、3年過ぎた自分は、街を歩いてももう誰にも王子だと呼び止められなくなった。
3年過ぎて、姿も変わった。もう、この国に自分は必要ないのだと思うと少し寂しかったが、それでも、この未来を得ることができたことは、純粋に嬉しかった。
今後、自分がファレナに戻ることはないだろう。リムスレーアと、そして彼女を支える者たちがこの国にある限り。
でも、その前に一つだけ、ファルーシュにはやり残していたことがあった。
風の魔法をまといながら、湖の底に沈んでいく。
3年前の当時であれば、ゼラセが石版を守っていた封印の間。そこを過ぎて、皆で集まった軍議の間を横目に。塔の上にはマリノがいて、宿屋をきりもりしていた。それから、自分と、自分に近しい人たちが過ごしていたフロア。いつも賑わっていた、商業エリア。医務室ではいろんなことがあった。食堂では、レツオウの料理がとてもおいしくて、コルネリオたちのの演奏も美しかった。
外にはランやスバルたちのにぎやかな桟橋があって、ゲッシュがいつも楽しそうに野菜を育てていた。
そして、その奥には。
ファルーシュはかつてゲッシュが耕していた畑の前から、そこに入った。
中は、湖の魚が住み着いて、ゆらゆらと白い石の周りを漂っていた。入る光の加減なのか。外よりも一層、幻想的だった。
3年ぶりの墓所。
3年前、リオンの遺体をここに埋めたとき以来だった。
ファルーシュは手にした花達を、その白いままの墓石にささげていく。
一つは、あの戦いで死んでいった、多くの兵士達へ。
一つは、最後まで自分達を案じてくれた、尊い叔母へ。
一つは、誰よりも力強く、自分を支えてくれた、親愛なる我が護衛へ。
そして、一つは。
『やっと、君がいないことを認められるようになったよ、ロイ』
誰よりも愛しかった、君へ。
真っ白な花を、真っ白な墓所にささげる。
3年前は、まだ彼がいないなんて、彼ともう会うことができないなんて信じられなくて、墓石の前で泣き明かした。彼がいないということを忘れようとして、必死になって戦いに明け暮れた。
でも、もうあれから3年も過ぎて。ようやく、彼がもういないのだということを、認められるようになってきた。確かに、まだ彼を思い出せば時折涙が止まらなくなることもある。自分のせいだったと胸をかきむしることもある。
けれど、もう、彼は帰ってこない。だから、今日は自分へのけじめとして、ここに来た。
『やっと、君にお別れが言える……。もう、ごめんなんて言わない。ありがとう、ロイ。ぼくを、ファレナを守ってくれて、ありがとう。それから……』
頭の中で何度も繰り返した言葉が、今になってなかなか出てこない。
代わりのように涙があふれて、水の中に溶けていく。
ああ、でも、ここまできてどうしてこれを言わずに帰れるだろう。
ファルーシュはできうる限り、精一杯明るく笑った。
『ぼくは、ロイが大好きだった。誰よりも。本当に、誰よりも!』
真っ白な墓石に、近づく。それを彼の代わりのように抱きしめた。
目を閉じると、いつも明るく笑っていた彼の姿が浮かんできた。
最後の日、彼はファルーシュにキスを与えて去っていった。
泣き崩れるくらい、すごく嬉しかった。
あのときの、キスの意味はもうわからない。でも、アレはきっと、ロイも自分を好きでいてくれたのだと、ファルーシュは信じている。
だから。
ファルーシュはそっと白い墓石に唇を寄せた。
『あのときのお返し。ロイ……』
さようなら。
言葉にするとたった一言。また、あふれるように涙が流れていく。
『さよなら、ロイ……』
白い花と、ありったけの彼への想いをその場に残して、ファルーシュは湖の底から浮上した。
もう二度と涙などは流すまい。
もう、二度と彼を想って嘆くまい。
でも、彼のことは忘れない。これからも、きっと、ファルーシュの最愛の人であることには変わらない。
急浮上して、浮き上がる。
湖の上に現れた太陽の光は、ひどく明るくて、優しかった。
「王子さまー」
大きな身体をゆすりながら駆け寄ってくる姿を目にして、ファルーシュは懐かしさに笑った。
濡れた髪をかきあげながら、柔らかな草の上に身体を上げる。
「ひさしぶり、フェイロン」
にっこりと笑うと、湖の守となった彼は、かつてと同じく朗らかに笑う。
「お久しぶりです、王子さま。びっくりしましたよ、釣りに出たら、王子さまが湖で泳いでるんですから。一言くらい言ってくれればよかったのに」
そう、なじるでもない調子で苦笑すると、乾いた布を渡してくれた。
「ありがとう。まあ、でも、ちょっと先に寄りたかったんだ」
渡してもらった布で水気を拭きながら、今もぐってきた湖底の城に眼差しを向け。
「ロイも、喜んでるとおもいます」
「そうかな、案外『3年も顔ださねぇとは何事だー!』 って怒ってるかも」
くすくすと声を立てて笑えば、フェイロンが一瞬驚いたようにファルーシュを見て、それからいつもよりも一層穏やかに微笑む。
「良かった」
「うん?」
「そうだ、今日はゆっくりしていかれるんですか? ちょうど活きのいいのが釣れたんですよ。レツオウさん並とはいきませんけど、食べてってください!」
腕を振るうと腕まくりをするフェイロンに、それは楽しみだとファルーシュの明るい声が重なる。
その声は風にさらわれ、湖の上を吹き流れていった。
『またな』
どこからか、湖の淵を歩いていく二人に、見送りの声が送られたような、そんな気がした。