POPO
久遠フィロソフィ
青天の霹靂。
―――としか、言いようがない事実だった。ご機嫌でパフェをつつく姿を穏やかに(他にどんな顔のしようもなかったというのもあるが、見ていると和むというのも真実だった)見守りつつ、胸中色々複雑なものがあったりなかったり。
どっちだ。…たぶんあったりする方向で。
「…大佐?大佐も食う?」
視線をどう勘違いしたものだか、パフェを食べる手を止め、子供は不思議そうに首を傾げた。
…また随分なつかれたものである。悪い気はしないが、不思議は不思議だ。
「あーん」
自分の口も開きながら、エドはスプーンに掬った生クリームと苺アイスを差し出してくる。…爪の先くらいでいいから、周囲の視線を感じて欲しい、とロイは思った。
「………、ありがとう」
周囲の視線が微妙に痛いと思いつつ、甘い物はそこまで得意じゃないんだが、とも考えつつ、…しかし彼は「女性に恥をかかせるような男ではなかった」。
ぱくりとスプーンをくわえて。舐めとって返せば、期待に満ちた目が向けられる。
舌には甘さしか残っておらず、正直うまいだのまずいだのいう感想はさっぱり湧かないのだが、そんなことを言ってはたぶんむくれてしまうのだろう。それはなんとなくわかった。
相手が子供だからではない。
「女性とは大人であれ子供であれそういう生き物だから」だ。
「…な、うまい?うまいよな?オレ、ここのパフェすげーーーー好き、一番好きー!」
むぐむぐと口を動かしつつあたりさわりのない言葉を必死に探していると、相手から振ってきた。いくらか内心ほっとして、ロイは穏和な笑みを浮かべる。
「…ああ。おいしかったよ」
「もっと食う?」
「いや、君が食べなさい。滅多に来れないだろう?」
いかにも「やさしい大人」の態度で勧めれば、幼い顔がぱあっと輝いた。
「…うん!」
そして思いきり頷くと、それはもう嬉しそうー…にパフェ攻略を再開した。
…まあ、可愛いからいいか…
ロイは頬杖をついて、あっさりとそう片付けた。エドの頬についたクリームを時々指で拭ってやりながら。
さかのぼることおよそ一ヶ月。
割と緑豊な東方司令部の庭にて、まあ天気のよいうららかな午後だったのだから気持ちはわかるが、唐突に訪れた例の子供は中庭あたりで豪快に昼寝をかましていた。
ここが軍の施設だってわかってんですかね、わかってねぇんだろうなぁ、そう言ってしゃがみこみ、そののほほんとした寝顔を覗きこんでいたのはハボックだ。日に焼けてしまうわねと呟いたのはホークアイで、じゃあ木陰に運びましょうか、と言ったのはフュリーだった。そして実際によっこらせとエドを運んだのはブレダとハボックで、どこから探してきたのかレジャーシートを広げてやっていたのはファルマンだった。
―――皆子供には甘いんだな…。
半ば恨みがましくそう思ったのはロイである。脱走と昼寝の常習犯である彼だが、当然こんな扱いを受けたことはない。考えるまでもなく当たり前のこと過ぎて、口に出していたなら多分非難轟々だったことだろう。
だが、そんな彼だけが部下達の善意に疑問を差し挟んだ。子供に甘すぎなんじゃないか、というのではない(全く思わないわけでもなかったが、そこはそれ)。前述の通り脱走と昼寝の常習犯である彼だけが、その時季―――つまり春も半ばを過ぎたその時季の木の下というロケーションの危険をよく存じていたのだ。
そう。
春といえば、毛虫。特に桜の木なんて覿面に。
「…止めておいた方がいいと思うんだが…」
ロイが控えめに言った時には、エドの搬送は終わっていた。今更何を、と部下全員の顔に書いてある。ひどいのになると、自分との差にひがんでいるんじゃ…、みたいなことを考えているのがどことなく読み取れる。
「いや、…毛虫がいるだろう。いくらなんでも虫まみれになったら可哀想じゃないか」
弁解するよう、ロイは口早に言った。
すると、ああなるほど、と全員が頷く。
そこでようやく立場を(若干だが)回復したロイはほっと息をついて、既に搬送を終えてエドからいくらか距離を置いていた部下達にかわり、眠る子供の頭の脇に膝をついた。
「鋼の。起きなさい」
「………んん、ん…」
一瞬エドの眉間に皺が寄ったが、むずがるような声を上げた後、ころんと寝返りを打ってしまった。ロイは溜息一つ、まったく手の掛かる子供だ、と思いつつ、ぼそりと口にした。
「鋼の。毛虫まみれになっても知らないぞ」
その声は大きくはなかった。むしろ小さかったと言ってもいい。だが、引き起こした事態は大きかった。
がばっ
それまですいよすいよと気持ち良さそうに寝ていたエドが、鬼気迫る形相で起きあがったのである。それだけでも驚きに値するが、必死の顔をしてロイにしがみついてきたのだから、驚きもひとしおである。
「取って!」
「はっ…?」
「毛虫!虫!虫嫌い!イヤ!!」
「………………………はがねの…………?」
「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!虫いや!!取ってってばっ!!」
ぎゅうぎゅうと手近な場所にいたロイの胸に抱きつき、エドは一所懸命声を張り上げた。あまりにも想像を超えた事態に、沈着冷静を誇るホークアイ中尉でさえ唖然としている。
ロイもまた唖然呆然だったが、どうにか持ち直すと、いささかぎこちない手つきではあったがエドの背中をぽんぽんとたたき、大丈夫だ、もういないよ、と言った。
すると。ロイの胸から顔も上げないまま、くぐもった声が聞いてきた。
「…ほんと。ほんとにもういない」
「ああ。いないとも(初めから)」
その答えで、ようやくエドは顔を上げた。半分だけ…。顔の上の方だけを持ち上げ、エドは眉間を盛大に寄せて口を尖らせる。
「ほんとか。ほんとにいないのか」
ほんとだよ、とロイは繰り返す。
「…鋼の、」
ほっとした顔をして、それでも力が抜けているのかまだ寝ぼけてでもいるのか、ほぅっと息をついたエドは再びロイの胸にぐったり顔を埋めた。
…が、ロイとしては、段々違う事が気がかりになってきていた。
虫に悲鳴を上げるところというのではない。潤んだ目がとか、それもあるにはある。だが。
だが…。
「…君、…ひとつ、確かめたいことがあるんだが…聞いてもいいかね…」
慎重というか恐る恐るといった調子のロイの態度に、エドよりも先に彼の部下達が首を捻る。一体なんだろうかと。エドだけは、泣き疲れた子供の顔で、あどけなくロイを見上げていた。未だに抱きついた格好のままで。
「…まさか、とは思うんだが。…君、……女の子だったり…しないな…?」
ごくりと唾を飲んだ後の上官の問いかけに、部下達―――とりわけ男性陣は呆れたようなため息をついた。何を言い出すのかと思えば、である。
しかし…。
「…そうだけど。…それが?」
エドがごくごく不思議そうな様子で返した答えに、皆が言葉を失う。
「女…?」
「そうだよ。…今までなんだと思ってたんだよ…」
さっきまで頼りなげにしていたエドが、ぷうっと頬を膨らませ、ロイを睨みつける。しかしその大きな目はまだ濡れていて、見ていて思わず機嫌を取りたくなってしまうような表情をしていた。