POPO
「ううん。オレ、嬉しかったんだ。ほんとだよ。だから、大佐にも指環、上げるよ」
オレは他のは作れないから、とエドはまた、屈託なく笑う。
「鋼の…」
「なに?」
ロイは何か言おうと口を動かすのだが、なかなか言葉が出てこなかった。まさか、こんな年端も行かない、女の子の自覚もないような子供の言葉に、ここまで動揺させられるとは…思っても見ない誤算だ。しかし、嬉しくて言葉が出てこないなんて、こんな幸せな誤算があるだろうか。
「…大佐、なに?」
エドは不思議そうにロイを覗き込んでくる。その真っ直ぐさが、とても大事に思えた。ロイはようやく息を整えて、やはりシートの回りに生えているたんぽぽの綿毛を摘み取った。そしてエドの手を取ると、手袋をそっと取り、左手の薬指にくるりと巻きつける。
「…大佐?」
エドは素直に首を傾げる。
ロイは目を細め、唇に笑みを載せると、そっとその小さな左手を取った。
「では、私からは君に、これを」
「…綿毛の指環?」
くす、とエドは笑った。
「これが宝石ならかなりでっかいなー。給料三ヶ月分より高いんじゃないか?」
ぽわんと丸い、白い綿毛。確かにこれが宝石だったら、とんでもな大きさだろう。
「そういうのもいずれ、ね。今はこれだけだけど」
ロイは澄ました調子でそう答える。そして、おもむろにエドの手を持ち上げ、天にかざさせた。それから―――
「あっ」
ふぅ、と綿毛を吹いてしまったのである。当然、エドは目を丸くする。それでは折角の指環が台無しだから。
「なにするんだよ、大佐!」
飛んじゃっただろ、とエドが目を吊り上げると、ロイは蕩けそうな笑みを浮かべて覗き込んでくる。
「…飛んでいいんだよ」
「…なんでだよ…」
オレに渡すのなんかその程度なのかよ、とエドは口を尖らせた。しかしロイは続ける。
「綿毛はなんだか知ってるだろう?」
「…? …種?」
「そう、たんぽぽの種だ。…風に乗って飛んでいって、色んなところにたんぽぽを咲かせる。君が旅する道にも街にも、私がその時住んでいる街にも」
やさしく諭すような口調に、エドは目を瞠る。
「…ずっと約束を証してくれるだろう?どこでも咲ける、強い花だからね」
君のようにね、と心の中で付け加え、ロイは目を細めた。
「だから、飛んでいいんだ。君の旅はまだ終わりではないだろう?」
驚いた様子で目を瞠っているエドの髪をそっと撫でながら、ロイは笑う。風に乗っていった綿毛を捜すように、空を見上げて。
「…そっか」
エドのくすぐったそうな声がして、ロイは視線を少女に戻す。白い頬に薄紅を射させて、エドは目を細めた。照れくさそうに。
「…たくさん飛んでけ!」
それからまさに照れ隠しだろう、まだ少し残っていた綿毛を、思い切りよく吹き飛ばしたのである。
「…イーストシティまで飛んでけ」
小さく小さく、最後に付け足した言葉を拾って、ロイは一瞬驚いたが―――、ただ満ち足りた顔をして笑って、聴かなかったことにしたのだった。
仲良く手を繋いでふたりがヒューズの家に戻ってきたのは、ばっちり門限遵守の四時半のこと。イライラと玄関口で行ったりきたりしていたヒューズは、よく帰って来たとエドを出迎え、変なことしてねぇだろうな、とロイをじろりと一睨みした。むしろエドこそくすぐったいような気持ちがして噴出してしまう。そんな様子を見ればヒューズもロイも顔を見合わせ―――、まあ、上がってお茶でも飲んでいけよ、なんていう話になる。
「兄さん、楽しそうだね。いいことあった?」
まだくすくす笑っているエドに、アルが穏やかに聞いてくる。昔からやさしくて手先が器用な、エドの大事な弟である。エドは答えず、じっとアルを見上げ、…にこっと笑ってぴったり抱きついた。
「…兄さん?どうしたの?」
「アル。また指環作ってやるからな」
「…指環…? …ああ、シロツメクサ?」
うん、とエドは頷く。とても強い光を湛えた目を真っ直ぐに向けて。一見あどけないような顔だが、それはとても凛とした表情だった。
「絶対、絶対戻ろうな」
「…うん」
泣き笑いのようなアルの声に、エドはもう一度笑った。そして、こっそりロイを振り返る。ロイはすぐに気付いて、なんだ、というように眉を上げた。エドはこっそり笑って、すぐに視線をアルに戻す。
「すぐ戻してやるからな」
「兄さんも一緒だよ」
「うん」
エドは素直に頷くと、それから悪戯っぽく、ちょいちょいとアルを呼んで顔を寄せる。
「…約束しちゃったから、オレも戻らないと駄目なんだ」
「…約束?」
「うん。たんぽぽが咲いてる限り、約束は有効だから」
「………………?」
何の事だ、というように首を捻るアルに、エドは企み顔で笑うだけで何も答えない。こっそり苦笑したのはロイである。
「さて。お腹すいたなっ」
くるりとエドは回って、グレイシアさーん、とキッチンに立つグレイシアの元へ駆け出した。
「…ロイ?」
そんなエドの姿を見送って。
ヒューズは、ひどくやさしげな、穏やかな声で親友を呼んだ。しかし声のやさしさの割に、彼が放つ空気はやたらと冷え切っていて、呼ばれたロイは口元がひきつるのを感じた。
「…なんだ?」
「…ほんとにおまえ…なんにもしてねぇだろうなぁ…?」
当たり前だ、とロイは答える。本当に何もしてない。あんなのは、いちゃつくうちにも入らないだろう。健全過ぎて涙が出そうなくらいだ。
「…じゃあなんだ、あの態度は!」
「何がだ、言いがかりはやめろ、ヒューズ」
「…おまえとはじっくり話し合う必要がありそうだなあ?」
「…ちょうど私もそう思っていたところだ」
ふふふ、と不穏に親友同士が笑いあうのを、仲がいいんだから、とアルが半分呆れた様子で見守っていた。
―――何しろ彼らは大事な「人柱」なのだからして。
「…しんっじらんない…」
げっそりとした顔で壁に手をついたのは、エンヴィーである。同じくぐったりした様子で窓枠に腰掛けるのは、永遠の妖艶な美女ラスト。
「…あきれたわ…」
今日も今日とて、彼らは逐一「人柱」の行動を監視していたわけなのだが…
だが…
「なんなのあれ、甘すぎっていうか…糖尿病になりそう…」
エンヴィーは呆れきった声で嘆いた。
…彼らはたまたま、ロイとエドの公園デートをつぶさに監視していたのである。…不幸にも。
「…人間て…すごいわ…」
もう口を利く気力もないといった様子のラストの台詞こそ、彼らの破壊力をよくあらわし、凝縮した言葉であったといえるだろう…。