POPO
エッグ・イエロー・サニーデイ
さりさりさりさり…
「…んしょっ」
ぱぁっ
パキパキパキパキ…!
「…ふぅ」
まさに一仕事終えた満足の吐息。そして額を軽く擦って、エドは顔を上げた。
「おじさーん!直ったぜー!」
―――子供のお使いレベルの話だが、ちょっとした壊れ物を直しては、物々交換(ご褒美)的に酪農村ならではの「代価」をもらう。
細かな家の手伝いは苦手なエドの、エドなりの精一杯の「お手伝い」であった。本人的には家計を思っての事だったが、そう思っているのは当然本人だけである。小さな子供が一所懸命何かしていれば、思わず頭を撫でて誉めてやりたくなるのが大人というものだ―――、とはまだ小さなエドには遠い心理だろう。
たったったっ、と元気よく駆けながら、それでも幾分普段より慎重に、エドは胸に抱えた籠を落とさぬよう気を配りながら家に飛び込んだ。
「おかーさーん!」
「まぁ、エド、どこ行ってたの?もうお昼よ?」
「コレ!」
困ったように笑って腰を屈める母親に、それこそ飛びつく勢いでエドは駆け寄る。
「あら、どうしたのこんなにたくさん」
トリシャはとうとう腰を折り、籠にたくさんの卵を抱えた我が子の顔をのぞきこむようにする。するとエドは嬉しそうにはにかんで卵を差し出した。
「あのね、おじさんのね、鋸直したの」
母親は目を瞠った。
父親がいなくなって思うところがあったのか、エドは、まるで砂が水を吸いこむような勢いで習熟した錬金術を使って「お使い」をするようになった。勿論四六時中そんなことばかりしているわけではないけれど、家で一緒に裁縫や料理をしてくれればそれでいいのに、とたまにトリシャは思う。
しかし小さな我が子の健気な姿勢が可愛くて、それは言わないことにしている。それに、多分エドにとっては遊びの延長のような部分があるはずだ。トリシャには何とも言えないが、錬金術に触れる事で父に触れようとしているのかもしれない。そう思えば、やめなさいと窘める事も出来ない。
「おかーさん、たまごのケーキ作って!」
卵が詰まった籠を受け取りシンクに置いた母親の、そのスカートに纏わりつくようにして、エドは元気いっぱいにおねだりをした。
卵のケーキ、とエドが言うのは、卵を大量に使った蒸しケーキのことである。手間も掛からないのでおやつリストに加えられている一品だ。ふわふわの卵の蒸しケーキはどうやらエドのお気に入りらしくて、エドはよくリクエストしていた。
ちなみに弟のアルはそうでもないらしいが、嫌いなわけでもないようで、「ボクも」とエドに倣っておねだりするのが常だった。
トリシャは笑って、そっと我が子の小さな頭を撫でた。
「―――じゃあ、後で一緒に作りましょう?エドも覚えて、お母さんと一緒に作りましょうね」
笑顔でそう言い聞かせれば、エドは零れ落ちそうなほどに大きな目を見開いて、それこそふかしたてのケーキに負けない程ふわふわした金色の目を輝かせ、うん、と思い切り頷いたのである。
「…さん、…にいさん、兄さん!」
「―――んぁ?」
そろそろ駅につこうというところで、エドは弟に揺り起こされた。
「…たまごのけーき…」
「はぁ?寝ながらお腹空いちゃったの?兄さん器用だねぇ…」
「…………あ、る?」
ぼんやりした顔をして、両手で目を擦っている姿からは幼さあどけなさしか感じられない。これが「最年少国家錬金術師」で「人間兵器」だなんて、一体誰が思うだろうか。少なくともアルにはあまりそういう迫力は伝わってきていなかった。
「そうだよ。…もう、ちゃんと起きて。こんな変な所で寝たら体が固くなるでしょう?」
とにかく降りなければ乗換えそびれるので、エドが寝ぼけている間に完全に停まってしまった列車を降りるべく、アルは小脇にトランクを、そして片腕ですっぽりとエドの肩を抱きこんで、慌てて特急を飛び降りた。忘れ物はないよね、とちらと確認するあたりが何とも苦労性であろう。
ホームに降りて乗り継ぎを確認していると、ようやく目が覚めたらしいエドが、くるりと改札の方に歩を向けた。
「ちょ、…兄さん?どこ行くの?乗換えはそっちじゃないよ?」
「切符買い換えてくる」
「はぁ?何言って…」
「行先変更する。アル、イーストシティに寄ってから行こう」
「…はぁ??なんで?」
そこで三つ編みを振ってエドは振り返った。にか、と笑って。
「厨房借りる」
「はっ? …そんなのイーストシティに行かなくても…」
「だって軍部の厨房だぞ?借りたらでっかいケーキが作れて食べられるじゃんか!」
エドの元気いっぱいの台詞に、アルはこけそうになった…。
「あ、あ、…あのねぇ兄さん、ほんとに何言って…」
「卵いーーーっぱい使って卵のケーキ作るんだ!アルも手伝うんだぞ!」
言い出したら聞かないというか、言い出したらまったくもって人の話を聞かないエドは、にっこり笑って宣言した。
…世の中の「お姉さん」の中にはお淑やかで優しくて思いやりがあって思慮ぶかい…、人もいるらしいが、どうやらアルの「お姉さん」はそうではないらしい。いや、優しくないわけではないのだが…、どちらかというと弟である自分の方が振り回されている気がしてならない。
だが一番困ってしまうのは、それをやれやれと思う事はあっても、嫌だと感じる事だけはない、という事実だろう。
まあ、自称兄の姉だからして、色々規格外なのは致し方ない。
アルは溜息をついて、「もう、兄さんはいっつも勝手なんだから」とだけ言って、その小さな背中を追いかけるのだった。
だだだ、とかなり勢いのよい足音が聞こえてきて、ロイは書類に落としていた視線を上げた。軍部の廊下をここまで無遠慮に駆けぬけるような人間には、ひとりしか心当たりがない。彼は笑いがこみ上げてくるのを何とか押さえながら、気付いてしまえばもう見る気も失せた書類から完全に顔を上げる。
やがて。
「大佐ー!」
バターンと元気よくドアを開いて(蝶番が大変心配である)、開口一番、怒鳴るに近い勢いの大きな声でその子供は呼びかけてきた。きらきらと輝く目は、…また何か(本人にとって)楽しい事を見つけてきたのだろうと確信させた。
「いらっしゃい。鋼の」
「あっ……、おじゃまします」
笑顔で呼びかけに答えたら、その言葉にエドは目を丸くして、それから少し照れ臭そうにはにかみながら、ちょっとだけお行儀よくそんな台詞を口にする。
「今日も元気がいいね? …だがいつも言っているが、廊下はもう少し静かに歩きなさい、誰かにぶつかったら危ないだろう?」
今更に照れた仕種を覗かせる子供に笑いかけながら、ゆっくりとロイは立ちあがった。
―――ちなみにもしもここにハボック少尉あたりがいたならこう付け足したかもしれない。
曰く、廊下でエドと誰かがぶつかるような事があったら、ぶつかった誰かが危ない、と。なぜなら十中八九、『鋼のが怪我をしたらどうするんだ』とか無茶苦茶な事をこの上司かもしくはやっぱり猫可愛がりの傾向が見られる麗しの中尉に威圧感バリバリに指摘されるのだろうから。加えて反省文くらいは書かされるかもしれない…。