Killertune
04 貴方は私の一生モノ/東上とその周辺の面々
寒いせいなのか、心なしか赤くなった頬に、有楽町は違和感を覚えた。そしてその違和感をより増加させたのは、じっと見つめていても気づかないその反応のなさだ。いつもは野生動物か、というくらいに反応が鋭敏なのに。
「…東上、具合でも…」
思わず声をかけたら、ぼんやりした目がこちらを見返してきた。そんな場面ではないというのに、有楽町はどきりとしてしまう。しかし…、
「東上!」
「がふっ」
手を伸ばしかけたところで、後ろから衝撃。もろに食らった有楽町はホームに顔面から突っ込んだ上に、背中に乗っかられぐえ、とつぶれた悲鳴を上げる。だが普段ならその暴挙を咎めるはずの東上の声がしなくて、やっぱり変だな、と有楽町はどうにか顔を上げて上の様子を見る。
越生がぴょんと飛び跳ねるようにして、東上の額に手を伸ばしているのが見えた。
「ばか!熱あるのになんでふらふらしてんだよ!」
「熱?!」
有楽町が驚きの声を上げたら、上からものすごく冷たい目で睨まれた。
「ほんと、つかえねーな有楽町!見てわかんじゃねーか!」
「…越生。別に大丈夫だから」
「大丈夫なわけあるか!」
「ぐえ! …お、越生頼むからちょっとどいて…!」
自分の背中の上で動き回る越生に悲鳴を上げて、有楽町が懇願する。それに気づいて、こら、と東上が越生を叱って、それでようやく越生は有楽町の上からどいてくれた。しかし、東上にもう一度手を伸ばしかけたら、新たな登場人物が。
「越生ー、きたよー」
「えっ?」
なんでここに?と有楽町が驚いて振り向いた先には、こんなところにいるはずのない鳩が。…いや八高が。
「なんで八高?」
「や、有楽町、元気ー?」
やほー、と手を振りつつも、八高は越生の隣まで歩いてくると、ちょっとごめんね、と声をかけ東上を軽々と抱き上げた。東上も驚いていたが有楽町はもっと驚いた。むしろ固まった。なんだってこんな。そんな馬鹿な。
越生は何でこれを認めてるんだ、とばっと振り向けば、越生も渋々認めているような様子でさらに固まる。そんな馬鹿な!
大体なんだってまた、驚いた後は特にノーリアクションなんだ東上。どういうことなんだ東上。そんな、馬鹿な…!
愕然とする有楽町を差し置いて、東上を抱き上げる八高と大人しく抱き上げられたままの東上(心なしか八高の胸に頭をもたれかけさせてるように見えるなんて幻だと誰か言ってくれ!という有楽町の叫びは誰かに届くことはあるのだろうか?多分ないだろう)と、だいじょぶか、無理ばっかしてんじゃねーよ、とまとわりつく越生という親子のような図を呆然と眺めるしか不憫な彼には出来なかった。
「…ひどい。ひどすぎる…!」
だん、と酒の入ったコップをカウンターに置いた有楽町に、あー、と苦笑のような同意のような声を上げた武蔵野に、有楽町は据わりきった目を向けた。…全く以って立派な酔っ払いである。だがしかし武蔵野にも似たような思い出があったので、今日ばかりはからかうことも茶化すこともなく、うんうん、と酔っ払いに相槌をうってやる。破格のサービスだ。相手は酔っ払いなので、特にそんなものに感銘を受けることはなかったが。
「おねーさん、こっちに追加。天狗舞のこれ、四号瓶もってきて」
「すいません天狗舞切らしてて…今あるのは酔鯨と八海山と、」
「ごめん八海山だけはパスしといて」
「はあ…」
今の有楽町に「八」の字が入ってるのはちょっとやめとこう、武蔵野はそう判断した。味の問題ではなくて、あくまで外観の問題として。
「そっかあ…焼酎にしようかなでもな、今日は酒飲みたいよな有楽町、日本酒な」
「おー!なんでももってこーい!」
「…。じゃあとりあえず久保田の碧寿もってきておねえさん」
「それ、一升瓶しかないんですけど…」
多分飲むからいいよ、と答えて、とりあえずその店の酒リストでは一番高い酒を注文して、武蔵野はいくらか昔のことを思い出していた。
あれは、そう、多分今くらいの時期だろう。忘れもしない思い出だ。どちらかというと忘れたいくらいなのだが、未だに忘れることが出来ないでいる。
「東上?どうかしたん?」
気持ちぼんやりしているように見えた東上に、武蔵野は首を傾げた。高血圧か老人かどっちかだろう、といいたくなるくらい朝から元気な東上がぼんやりしていたもので、武蔵野としても様子が変だな、と思ったのだ。
「…え?」
ゆっくりと武蔵野を振り仰いだ、その不思議そうな顔を、多分武蔵野は忘れることは出来ない。伏せ目勝ちな黒目はぼんやりと潤んでいて、半開きの唇がまるで誘うようで。思わずつばを飲んで手を伸ばし、かけた時だった。
「ぐえ!」
「東上!」
有楽町のシチュエーションとまるで同じタイミング、といえばそうなるだろう。武蔵野は後ろから突進してきた越生にがすっと蹴倒され、まあ踏まれはしなかったがそれは武蔵野がひっくり返ったからに過ぎないので、有楽町の時より扱いが良かったというわけではけしてない。
「ばか!熱あんだからねてろ!」
「熱?」
やっぱり様子がおかしいと思ったら、と瞬きすれば、越生はきっと武蔵野をにらみつけ、吐き捨てた。
「なんでわかんねーんだよ、だめ武蔵野!」
勢い良くこきおろされぽかんとしていたら、武蔵野が何か言い返すより早く違う男の声がして、武蔵野はそちらを振り向いた。確かにいてもおかしくはなかったのだ。その頃、彼は東上の線を走っていたのだから。
「秩鉄…?」
ぽかんとしたまま呟けば、男くさい顔が笑って、よ、と声をかけてきた。しかし越生に「秩鉄!」といわれて、軽く慌てた様子で東上を支えるように立っている越生の方に近づく。近づいて、そして、
「ちょーっと我慢してくれな、東上?」
目を丸くする武蔵野の前で、秩鉄はひょいっと荷物でも担ぐような様子で東上を抱えあげたのである。さすがに荷物のように肩に載せたわけではないが。東上はといえば、秩鉄の胸の中でほうっと深い息を吐いて目を閉じた。
…信じられないような光景では、あった。
東上の片思いじゃなかったのかよ?!
と武蔵野の頭の中には疑問符が激しく点滅したが、もう少し頑張れよ、宿舎まで連れてってやっから、と笑う声と、早く歩けよ秩鉄東上がしんどそうじゃねーか、と果たしてしんどそうだと思っているからせかしているのか悔しくてせかしているのかというような越生のきゃんきゃん吼える声がゆっくりと遠ざかっていく中、武蔵野は唖然としたまましばらく立ち上がれないでいたのだった――…、
運ばれた酒を黙々と飲みながらなぜか徐々に不機嫌になっていく武蔵野と、とうじょおおお、とわけもなく言いながらぐいぐいあけていく有楽町の姿は不審以外の何者でもなかったが、本人たちにとって見ればいたしかたないことなのだ。
だって。
東上が、あの東上が。顔を見せればつんけんしていて、取り付く島もなくて、クソ真面目で冗談が通じなくて、人見知りで意地っ張りで扱いが難しいようでそうでもなくてでもやっぱり取り扱いには注意しないといけなくて。…本当に時折だけれど、心から笑った顔は反則なくらい可愛くて。
作品名:Killertune 作家名:スサ