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夜の神様お願いが

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SIDE K

 玄関を開けるといつもどおり、ただいま、という言葉が口をついて出た。それを聞く人影はないが、これもまたいつものことだ。指を添えるのもけだるくブーツを脱ぎ、ストッキングを脱ぎ、帽子をテーブルの上に置いたらもう限界だった。軍服のボタンも緩めぬまま、ソファに頭から倒れこんだ。

 あー気持ちいい。久しぶりの我が家。この柔らかい感触にこのまま朝まで埋もれていたい。

 でも頭のどこかで声がしてる。だめだめキノン、あなた、化粧落としてないわよ。

 それが自然とリーロンの声に聞こえて苦笑した。ふああ、とあくびをかみ殺して答える。分かってますよ科学長官、肌荒れですよね。ご心配なく、ちゃんと化粧落とすから。大丈夫だから。

 ふらふらと洗面台に向かい、明かりをつける。そこでようやく、自分が部屋の明かりさえもつけていなかったことに気付いた。だめだな自分。ゴムで髪をまとめるのもそこそこに、これでもかと洗顔料を出して泡立てる。

 そこからは一気に顔を洗って、水で流す。流す。流す。すすぎは十分すぎるくらいしっかりと、というのが、かの長官のお言葉だ。存分にすすいだあと、脇にあるはずのタオルを手探りで掴み、顔の水を拭いて息をついた。はい、キノン、合体解除完了です。

 鏡に映った自分の顔は思ったよりも単純だった。黒い眉毛と黒い瞳と、ちょっと荒れた肌と唇と。目はなんとなくキヤルに似てる。眉毛はなんとなく、お兄ちゃんに。唇はお姉ちゃんに似たかった。でもやっぱりこれも、お兄ちゃんかな。

 化粧水をたたきこんだ手で軍服を脱ぎ、洗濯機に放り込む。このごろの洗濯機はとても便利で、こんなに固い服も洗ってくれる。もちろんレイテ印なのだが、元の材料が何かは聞いてない。壊れたガンメンだったりして。レイテのにやりとした顔を想像して、キノンは少し楽しい気分になった。レイテならやりかねない。

 黒いシャツと半ズボンを着て居間のソファに戻った。やはり体が重い。テレビをつけようとして止めた。なんだか目も疲れている。お酒も飲まないし、夕飯も軽く食べた。シャワーはあとで浴びよう。

 でもそうすると何もやることが無い。

 キノンはため息をついてソファに身を投げ出した。時間をもてあますなんて久しぶりだった。いつもこの時間はまだ仕事に追われていた。何かを言いつかったり、何かを言いつけたり。

 そのうちひとり、ふたりと人数が減っていって、いつも残っているのはいっしょ。私と彼と、それからギンブレーとか、二、三人。

 あの人はいつでも私より遅く残っている。誰よりも早く来て、誰よりも遅くに帰る。いや帰ってないわ。長身を書類に埋め、解いた長い髪をなでつけながら起きる彼をもう何度も見た。ああ、キノン、もう朝か。そういう時の彼は気が抜けたような、寂しいような、少し子供っぽいような顔をしていた。

 いつごろだったのか。下に見ていたおでこが同じくらいになり、張り詰めた眼差しがやがて自分を追い越して、少し上から孤独な色を送ってくるようになったのは。

 一年で取り替えるのは無駄だから、と言って大きめに作らせた制服は、二年でもう着られなくなった。もったいないと言い張る彼を説得して、もう変えなくてもすむようにと服のデザインを変えさせた。それからまた二年。新調せずに済んでいるところを見ると、デザインがうまくいったのもそうだけど、もう伸び盛りもおわったということなのだろう。

 これ以上高くなったら、もう誰も彼の眼差しに追いつけない。誰も届かなくなってしまう。ただシモンさんだけがその上にいるのに、彼はなかなかこちらを見てくれない。見ているのは別の宇宙。

 寝返りを打つと窓の外が見えた。建物の明かりと夜の星が歌うように輝いている。小さい頃は想像のできなかった世界がそこにある。硝子窓に映る自分さえどこか遠くに感じる。想像のできなかった自分が、じっとそれを見ている。その向こうにあの人の眼差しを見たくて。

 キノンはうつぶせになってクッションに顔を押し付けた。言い知れない不安で、いたたまれなかった。何が不安なのか、自分でも分からない。こんな気持ち、前は知らなかった。呼ぶ名前は決まっていたはずだ。死んだお父さん、お母さん、いつもいっしょのお兄ちゃん、お姉ちゃん、キヤル。

 でもいまはもう違う。

 後ろを向くのはやめよう、と決めた。不安な心があるなら消せるようにがんばろう。できるだけ早く動いて、頭を働かせて、役に立つんだ。

 私、がんばります。これからもがんばります。顔もちゃんと洗います、シャワーも浴びます、きちんと着替えて、寝坊せずに出勤します。

 だから夜の神様お願いです。

 あの人が今日こそは、ゆっくり眠れますように。

 悪い夢、見ませんように。





SIDE R


 タクシー券を使うのは初めてだな、と彼は思った。自宅フラットの前で降りて、玄関を開ける。ただいま、というつぶやきが自然と漏れて、ひとりで苦笑した。ミギーもダリーももういないのに。

 きちんとブーツを脱ぎ、少しほこりを払って壁際に立てかける。上から新しいブーツを出して、その脇に置いておく。これで朝、慌てることもない。そのわずかな作業にさえ今日はどっと疲れて、そのまま倒れそうになった。いけない、いけない。まだここは玄関だ。

 居間に入って軍服の襟を緩めると、ため息とともにソファに座り込んだ。疲労の分だけ、ソファが大きな音できしんだような気がした。

 テレビは見ないようにしよう、と思った。政府を批判する番組もあるし、無駄なところで疲れたくない。夕飯も軽く食べた。シャワーは寝る前に浴びよう。そうすると、もうやることが無かった。かばんいっぱいに持ち帰った仕事以外には。

 もう少ししたら、仕事しよう。ロシウはため息をついてソファに深く身を預けた。

 家の中は静かだった。いつからこんなに静かになったんだろう、この家は。あの村の人々が見たら驚くような、明るくて、きれいで、清潔な家。ミギーとダリーが自分の制止を振り切って出ていき、そうして自分も忙しさを理由にあまり帰らなくなって、おそらく家はだんだんと人の気配を失っていったのだろう。部屋の四隅には沈黙がよどみ、静けさの降り積もる音さえ聞こえてきそうだ。誰もいない、からっぽの家。寂しい家だった。

 顔を洗おう、と彼は立ち上がった。すっぽりと軍服を脱ぎ、ゆるい格好に着替える。そのまま洗面台に立って、石鹸を泡立てて、丁寧に顔を洗った。冷たい水が心地良い。丁寧なすすぎのあと、タオルで水を拭くと、彼はまじまじと自分の顔を見た。自分の顔をこんなに間近で見たのは久しぶりだ。相変わらず、おでこ広いな。広がってるかな。ああ、目の下にクマが。頬もちょっとこけちゃったな。

 なんだか疲れた顔になったな、僕。

 疲れてなければ、母さんに似てたのかな。

 ぶんぶん、と頭を振ってその考えを振り払い、ロシウは居間に戻ってソファに身を投げ出した。
作品名:夜の神様お願いが 作家名:桐村きりを