ただひとりのひと
「あっれ、隊長これなんスか?」
素っ頓狂な声を上げた海燕が、浮竹の机から木の実の乗った籠をひょいと持ち上げた。
浮竹は何のことだかわからず首を捻る。
「どれだ?」
「これこれ。このドングリ、なんか糸みたいの絡まってんスけど」
目の前に示されたそれには、確かに海燕の言う通り淡い桃色の糸が結びつけられていた。たまたま糸くずが落ちて絡んだのではなく、どうも丁寧に巻き付けてあるようだ。糸の端を引いても、ちょっとやそっとでは取れないようにきつく縛ってある。
誰がやったんだか知らないが、随分器用なヤツだな。
無意識にそう考えて、浮竹ははたと思い至った。誰がなんて、そんな、やったのは一人しかいないじゃないか。
そうと気付けば、桃色の糸は彼の好む派手な羽織から一本抜き取った物のようにも見える。だが、その意図までは読めなくて、浮竹は困惑した。
あいつのやることは、いつもながらわからん。
そこへ清音の明るい声が割り込んだ。
「ハーイ、ハイ、ハイ! 隊長、私その意味知ってます」
「あ? なんだよ清音、こいつに意味なんてあんのか?」
仙太郎はよその隊に届け物に言っている最中だったので、つっこみという名の会話を促す役は海燕が引き受けた。浮竹はただ黙って耳を傾ける。
「それが、あるんですよ! 副隊長、それって何の実だと思います?」
「何の……って、ドングリじゃねぇのか?」
「ドングリって、つまり椎の実じゃないですか」
「それがどうした」
「椎の実に糸を結びつけて、意中の相手のお家の前に埋めるんです。『愛しいあなたと結ばれたい』ってね。女の子の間では有名なおまじないなんですよ」
「はあ? なんだそりゃ。女ってのは何考えてるかわっかんねーなぁ」
「隊長のこと密かに慕ってる女性がいて、その人が置いてったんですよ、きっと!」
きゃあきゃあ騒いでいる清音の声が、遠くに聞こえた。耳が熱い。押さえがきかない。
口元を押さえて俯く浮竹の顔を、いぶかしげに海燕が覗き込んだ。
「どうしたんスか? 隊長、気分でも……って、アンタ、ホントにどうしたんだ? 顔、真っ赤ッスよ?」
「……聞いてくれるな」
「はァ?」
心配顔の三席一人と、呆れ半分の副隊長を残し、浮竹はよろよろと執務室を後にした。
京楽の想いが込められたドングリを、大事に懐にしまい込む。胸の奥がほんのり暖かくなった。
詰所から出ると、目的の物はすぐに見つかった。浮竹はその木の根本にかがみ込む。はたして自分はこんな小さな木の実に上手く糸を括ることができるだろうかと考えながら、浮竹はふっと微笑んだ。あの男はおそらく、浮竹が椎の実の真の意味に気付くとは思っていまい。
今夜にでも八番隊隊舎を酒瓶と共に来襲して、こっそり猪口の中にでも落としてやろう。
京楽の驚く顔を思い浮かべて、浮竹は更に笑みを深くする。
願わくは、自分が感じた幸福感の半分でも、彼が感じてくれるよう。
祈りをこめた口づけを木の実に落とし、浮竹は夜の準備をするため勢いよく立ち上がった。