子供の情景
「アー……」
宿屋のベッドに身を投げ出し、エイトは大きく息をついた。清潔なシーツから立ち上る石鹸と日なたの匂いが、戦闘で張り詰めた精神を緩めてくれる。深い安堵を感じると共に、エイトの脳裏に街の外で休む王と姫の姿が思い出された。夜露に体を冷やしてはおられないだろうか。不安と共に小さな罪悪感が胸をよぎる。
「休めるときに休んでおけ」
実直すぎるエイトの性格をよく知っている王は、いつもそう言って立ち止まる彼の背を押す。その小さな手の温みを感じるたび、エイトは心苦しさと、理解されている幸福を同時に味わうのだ。
目を閉じ、小さな笑みを作るとエイトは、賢明な王に仕えられた幸運を、胸のうち、神に感謝した。
「なに、もう寝ちゃってんの」
声とともにベッドがきしんだ。顔を覗き込まれている気配にまぶたを開く。
「なんだ、起きてんじゃん」
予想どおり、と言っていいだろうか。赤い燕尾服の聖堂騎士がベッドの縁に腰掛けていた。
「夜はこれからですよー、エイトちゃん」
にっと意味深に笑う。ククールはエイトの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるようにしてなでると立ち上がり、腕を組んで小さく首をかしげた。
「それとも、ぼっちゃまはもうおねむの時間? だったら俺、単独行動しちゃっていいかな」
ククールの言葉の意味がわからない。身を起こすと、エイトはただぽかんと彼の顔を見上げた。
「ほんと、起きてんのかよ」
しょうがねえなとつぶやいて肩をすくめると、ククールは大業にため息をついてみせた。
「明日の朝まで帰らなくていいか、って聞いてんの」
「んなわけねえでがしょう」
まだピンと来ていないエイトに助け舟を出すようにして、ヤンガスがあきれたような声をあげた。
「休むためにこの宿泊まってんじゃないですか。外で寝てるおっさんのことも考えてやんなさいよ」
「休むって体だけじゃないだろ。ホラ、俺は回復も仕事のうちだからさ。心も癒されないとダメなのよね」
ククールの軽口に、ヤンガスはつける薬はないといった顔をして眉間にしわを寄せた。
「破戒坊主ってのはあんたみたいな人のことを言うんでがしょうな」
「光栄の至りだぜ」
組んだ腕を解くとククールはヤンガスに向かい優雅に腰を折ってみせる。うんざりとゆがむヤンガスの顔を見て満足そうな笑みを作ると、ククールはエイトを振り返った。
「と、いうわけで、俺、ラブハンターククールさまは夜の戦場へと旅立つんで後はヨロシク」
「ひとりで?」
エイトの質問に、ククールが目を丸くした。
「え、お前、来るの?」
「え!」
ヤンガスからも時を同じくして驚嘆の声があがる。もちろん見覚えのあるあのポーズ付きでだ。
ククールは満面に笑顔を浮かべると、再びエイトのベッドに座り、彼の肩を抱いた。
「なーんだよ、最初から言ってくれよ。いーよいーよ、お前なら。お前の邪気のなさは女の子に受ける。間違いない。俺が保証する。だがヤンガス、お前は来るなよ。愛嬌のある不細工は場を和ますが、お前の顔は剣呑過ぎだ。付き合ってみるといいヤツ、ってのは一晩じゃ伝わらないからな」
「頼まれたって行きやせんよ」
不機嫌に顔をそむけたヤンガスを見て、何か気づいたように眉を上げると、ククールは揶揄するようにニヤニヤと笑った。
「必要ないってか。ゲルダ、美人だもんなァ?」
「なっ」
からかう声にヤンガスの顔に血がる。彼は見る間に真っ赤になった。
「か、関係ないでがしょう、ゲルダのことは。っていうかあんた、なんで名前覚えてんですか」
「レディの名前を忘れるほうがどうかしてるだろ。あんないい女。なあ、エイト」
「え」
きょとんとした顔でふたりのやりとりを聞いていたエイトは、急に話をふられ、驚いてまばたきをした。
「あ、うーん……どう、だろ……」
申し訳なさそうに頭を掻くと、ふたりは、それぞれに毒気を抜かれたようにため息をついた。
「気が抜けた」
ひざの力を抜き、ククールは、ぽすん、と再びエイトのベッドに腰掛けた。
「もう今夜はガキのよーに恋話で夜を過ごす。決定。はい、いちばん。ヤンガスくんどうぞ」
「え!」
「そのポーズはもういいからさ」
うんざりとした顔で手を振ると、ククールは己の腿にひじを置き、頬杖をついた。それから、ころりと表情をかえ、人の悪い笑みを浮かべると、
「ゲルダの肌は柔らかかったかい?」
身も蓋もない質問をする。
「恋しくいなら俺がルーラで送ってやってもいいぜ。朝迎えに行ってやるからさ」
もう一度いつものポーズが見れるかと思われた。
「結構でがす」
けれど、ヤンガスはククールを相手にしなかった。暗い目でククールを見る。
「俺はおっさんの様子を見てきますよ。恋話も結構ですが、それ以上ゼシカに軽蔑されたくなきゃ、となりの部屋に聞こえないようやるんでがすね」
冷静なようで重くこわい声はヤンガスの元の職業を思い起こさせる。自省を促すようにヤンガスは首を横にふった。それから、失礼しますと言って小さく頭を下げると、彼は言葉どおり部屋を後にした。
ドアが閉じるとヤンガスの作った固い空気が溶ける。ククールは大きく息を吐きながら、そのまま後ろへと体を倒した。勢い、エイトの膝に肩があたる。
「いて」
ククールは小さな抗議の声をあげた。
「男の膝枕は固いな」
文句をいいながらもククールはエイトの上から頭をどかそうとしない。
ククールの態度に戸惑いを感じながら、エイトは口を開こうとした。
「わかってるよ」
その言葉を奪うようにつぶやくと、ククールは拗ねるように視線を外し、横を向いた。
「今のは俺が悪かった」
悪ぶって見せるくせに性根はやけに素直だ。エイトはククールの様子に小さく笑顔を作った。
「どうしてククールは、いつも誰かと恋をしたがるの?」
「どうして?」
ククールは向き直ってエイトを見上げる。
「相手の心が動く瞬間とか、たまんなくないか? 愛されてる感覚とかさ」
「でも、その割にはドニの街へ戻りたがらないよね」
「まったく、なんにもわかってねえな、ぼうず」
疑問含みのエイトの言葉を、ククールは鼻で笑い飛ばした。
「得られる愛は多きゃ多いほどいいんだよ。神様ですら、あまねくすべての人々に愛されることを願ってる。卑賤なる人間である我が、それを望まずにいられるわけがない」
芝居じみたしぐさで胸の上で両手を組む。
「後は、体温だな。あれは、いい」
小さなため息とともに吐き出されたつぶやきは、淫靡に響くはずなのに、不思議と寂しさを含んでいた。
ククールの言葉に、エイトは何か考えるように小さく視線をさまよわせた。それから、ふと、膝の上のククールの顔を見下ろし、
「それは、少しわかる」
同意を示す。
ククールは驚いた顔をして、エイトの膝から跳ね起きた。エイトはぶつからないよう慌てて身を後ろへとそらす。ひどく子供じみた表情をしたククールが、エイトの瞳を覗き込んだ。
「なに、お前、済みなの。俺てっきり……」
「いや、多分ククールが考えてるようなことじゃなくて」
何かを勘違いしたらしいククールの言葉を、エイトは苦笑交じりで止めた。
「手、がさ」
「手?」
「子供の頃、ひとりで泣いてた俺の手を引いてくれた人がいて」
宿屋のベッドに身を投げ出し、エイトは大きく息をついた。清潔なシーツから立ち上る石鹸と日なたの匂いが、戦闘で張り詰めた精神を緩めてくれる。深い安堵を感じると共に、エイトの脳裏に街の外で休む王と姫の姿が思い出された。夜露に体を冷やしてはおられないだろうか。不安と共に小さな罪悪感が胸をよぎる。
「休めるときに休んでおけ」
実直すぎるエイトの性格をよく知っている王は、いつもそう言って立ち止まる彼の背を押す。その小さな手の温みを感じるたび、エイトは心苦しさと、理解されている幸福を同時に味わうのだ。
目を閉じ、小さな笑みを作るとエイトは、賢明な王に仕えられた幸運を、胸のうち、神に感謝した。
「なに、もう寝ちゃってんの」
声とともにベッドがきしんだ。顔を覗き込まれている気配にまぶたを開く。
「なんだ、起きてんじゃん」
予想どおり、と言っていいだろうか。赤い燕尾服の聖堂騎士がベッドの縁に腰掛けていた。
「夜はこれからですよー、エイトちゃん」
にっと意味深に笑う。ククールはエイトの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるようにしてなでると立ち上がり、腕を組んで小さく首をかしげた。
「それとも、ぼっちゃまはもうおねむの時間? だったら俺、単独行動しちゃっていいかな」
ククールの言葉の意味がわからない。身を起こすと、エイトはただぽかんと彼の顔を見上げた。
「ほんと、起きてんのかよ」
しょうがねえなとつぶやいて肩をすくめると、ククールは大業にため息をついてみせた。
「明日の朝まで帰らなくていいか、って聞いてんの」
「んなわけねえでがしょう」
まだピンと来ていないエイトに助け舟を出すようにして、ヤンガスがあきれたような声をあげた。
「休むためにこの宿泊まってんじゃないですか。外で寝てるおっさんのことも考えてやんなさいよ」
「休むって体だけじゃないだろ。ホラ、俺は回復も仕事のうちだからさ。心も癒されないとダメなのよね」
ククールの軽口に、ヤンガスはつける薬はないといった顔をして眉間にしわを寄せた。
「破戒坊主ってのはあんたみたいな人のことを言うんでがしょうな」
「光栄の至りだぜ」
組んだ腕を解くとククールはヤンガスに向かい優雅に腰を折ってみせる。うんざりとゆがむヤンガスの顔を見て満足そうな笑みを作ると、ククールはエイトを振り返った。
「と、いうわけで、俺、ラブハンターククールさまは夜の戦場へと旅立つんで後はヨロシク」
「ひとりで?」
エイトの質問に、ククールが目を丸くした。
「え、お前、来るの?」
「え!」
ヤンガスからも時を同じくして驚嘆の声があがる。もちろん見覚えのあるあのポーズ付きでだ。
ククールは満面に笑顔を浮かべると、再びエイトのベッドに座り、彼の肩を抱いた。
「なーんだよ、最初から言ってくれよ。いーよいーよ、お前なら。お前の邪気のなさは女の子に受ける。間違いない。俺が保証する。だがヤンガス、お前は来るなよ。愛嬌のある不細工は場を和ますが、お前の顔は剣呑過ぎだ。付き合ってみるといいヤツ、ってのは一晩じゃ伝わらないからな」
「頼まれたって行きやせんよ」
不機嫌に顔をそむけたヤンガスを見て、何か気づいたように眉を上げると、ククールは揶揄するようにニヤニヤと笑った。
「必要ないってか。ゲルダ、美人だもんなァ?」
「なっ」
からかう声にヤンガスの顔に血がる。彼は見る間に真っ赤になった。
「か、関係ないでがしょう、ゲルダのことは。っていうかあんた、なんで名前覚えてんですか」
「レディの名前を忘れるほうがどうかしてるだろ。あんないい女。なあ、エイト」
「え」
きょとんとした顔でふたりのやりとりを聞いていたエイトは、急に話をふられ、驚いてまばたきをした。
「あ、うーん……どう、だろ……」
申し訳なさそうに頭を掻くと、ふたりは、それぞれに毒気を抜かれたようにため息をついた。
「気が抜けた」
ひざの力を抜き、ククールは、ぽすん、と再びエイトのベッドに腰掛けた。
「もう今夜はガキのよーに恋話で夜を過ごす。決定。はい、いちばん。ヤンガスくんどうぞ」
「え!」
「そのポーズはもういいからさ」
うんざりとした顔で手を振ると、ククールは己の腿にひじを置き、頬杖をついた。それから、ころりと表情をかえ、人の悪い笑みを浮かべると、
「ゲルダの肌は柔らかかったかい?」
身も蓋もない質問をする。
「恋しくいなら俺がルーラで送ってやってもいいぜ。朝迎えに行ってやるからさ」
もう一度いつものポーズが見れるかと思われた。
「結構でがす」
けれど、ヤンガスはククールを相手にしなかった。暗い目でククールを見る。
「俺はおっさんの様子を見てきますよ。恋話も結構ですが、それ以上ゼシカに軽蔑されたくなきゃ、となりの部屋に聞こえないようやるんでがすね」
冷静なようで重くこわい声はヤンガスの元の職業を思い起こさせる。自省を促すようにヤンガスは首を横にふった。それから、失礼しますと言って小さく頭を下げると、彼は言葉どおり部屋を後にした。
ドアが閉じるとヤンガスの作った固い空気が溶ける。ククールは大きく息を吐きながら、そのまま後ろへと体を倒した。勢い、エイトの膝に肩があたる。
「いて」
ククールは小さな抗議の声をあげた。
「男の膝枕は固いな」
文句をいいながらもククールはエイトの上から頭をどかそうとしない。
ククールの態度に戸惑いを感じながら、エイトは口を開こうとした。
「わかってるよ」
その言葉を奪うようにつぶやくと、ククールは拗ねるように視線を外し、横を向いた。
「今のは俺が悪かった」
悪ぶって見せるくせに性根はやけに素直だ。エイトはククールの様子に小さく笑顔を作った。
「どうしてククールは、いつも誰かと恋をしたがるの?」
「どうして?」
ククールは向き直ってエイトを見上げる。
「相手の心が動く瞬間とか、たまんなくないか? 愛されてる感覚とかさ」
「でも、その割にはドニの街へ戻りたがらないよね」
「まったく、なんにもわかってねえな、ぼうず」
疑問含みのエイトの言葉を、ククールは鼻で笑い飛ばした。
「得られる愛は多きゃ多いほどいいんだよ。神様ですら、あまねくすべての人々に愛されることを願ってる。卑賤なる人間である我が、それを望まずにいられるわけがない」
芝居じみたしぐさで胸の上で両手を組む。
「後は、体温だな。あれは、いい」
小さなため息とともに吐き出されたつぶやきは、淫靡に響くはずなのに、不思議と寂しさを含んでいた。
ククールの言葉に、エイトは何か考えるように小さく視線をさまよわせた。それから、ふと、膝の上のククールの顔を見下ろし、
「それは、少しわかる」
同意を示す。
ククールは驚いた顔をして、エイトの膝から跳ね起きた。エイトはぶつからないよう慌てて身を後ろへとそらす。ひどく子供じみた表情をしたククールが、エイトの瞳を覗き込んだ。
「なに、お前、済みなの。俺てっきり……」
「いや、多分ククールが考えてるようなことじゃなくて」
何かを勘違いしたらしいククールの言葉を、エイトは苦笑交じりで止めた。
「手、がさ」
「手?」
「子供の頃、ひとりで泣いてた俺の手を引いてくれた人がいて」