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It's My Last Word

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 ――ざぁん


 ――ちゃぽ、ん


 霧のかかった河のほとり。白い丸石が敷き詰められた川原で、鈴仙はぼんやりと突っ立っていた。
 静かだった。河の水が岸辺に打ち当てられる音だけが響く。その大きな耳を澄ましても、水音以外に何も聞こえない。河の水はゆるゆると流れ、時たまうねりを見せるだけの白い平面だった。
「何ぼけっとしてんだい? 次はあんたの番だよ」
 不意に静寂を破る声。ふと顔をそちらに向ければ、小船から降り立つ少女が見えた。よく通る声で、鈴仙に話しかける。
「そろそろ終いにしたいんだ。ほら、さっさと来な」
 霧がかかっているからだろうか、少女の声は分かるものの、顔が見えにくい。会話ができる距離にいるというのに、鈴仙の目は少女の表情を認識できなかった。


 ――ああ、そうか。


 けれど、聞き覚えのあるその声を聞いて、鈴仙は全てを理解した。
 ここがどこで、自分が誰で、何をしていて、何をするのか。
「私は……」









 体がだるい。手を動かそうにも、まるで神経がぶつ切りになってしまっているかのように、自分の意思をうまく四肢に伝えることができなかった。目は天井を見ることしかできず、首から下は布団にのしかかられたままろくに抵抗することもできない。もどかしさにため息をついて、鈴仙は中空を見つめた。
 生まれ落ちて幾百年。外見こそ昔と変わらないが、その内側は果てしなく老いていた。肌や髪もいくらかがさついてはいるが、しかし過去の姿と現在を見比べても、鈴仙を鈴仙と認識できない者は誰一人としていないだろう。でも、筋肉は自重を支えたがらないほどに衰え、内臓も食物を多量に摂取することを常時拒否していた。かつて手にしていた膨大な魔力は体力の衰退と共にしぼみ、今や昔日の自分の面影といえば、紅く紅く灯り続けるその魔眼だけだった。狂視の力だけは健在で、恐らく数十匹程度の兎なら負けはしないだろう。無論、そんなことをする気はないが。
 すう、すう、と自分の呼吸がこだまする。静寂を具現化した永遠亭において、そんなかすかな音を聞き逃すことも許されないのは日常的なことだった。
「……はぁ」
 ひと際大きく息を吸って、鈴仙はため息を吐く。たとえ体が寿命で朽ちる寸前にいようと、思考は変わらずクリアであった。演算能力は確かだし、年寄り臭い反応をすることもない。
 だから余計に、「死」が迫っているのがはっきりと理解できた。

 鈴仙には分かっていた。自分がそろそろ死ぬことが。

 今日なのか、明日なのか、それは分からないが、近いうちに死ぬだろうと。自分の人生に終止符が打たれようとしていると。
 もう長くないことは自分でも分かるし、永琳もはっきりと宣言してくれた。おかげで、覚悟はついている。死ぬことも、地獄に落ちることも。
 考えることなどない。泣いても笑っても終わるものは終わるのだから。生きているものには、等しく訪れるものなのだから。


「ウドンゲ、入るわよ」
 鈴仙がぼうっとしていると、襖が開いた。そして、その等しく訪れるはずのものが訪れない人が入ってきた。
「師匠……」
「気分はどう?」
 永琳は手に持っていた盆を傍らに置くと、鈴仙の枕元に座った。
「そうですね……まあ、そろそろかな、と」
「そう……」
 鈴仙は軽く苦笑してそう答えた。もはや感覚すら途切れ途切れである。肉体が何もできないことを示唆していた。永琳に聞けば、生き物は死ぬ寸前に首から下の神経が得る感覚を全てシャットアウトしてしまうそうだ。そうすることで、体の苦痛を全て忘れるのではないかという。
 死ぬことは、苦しくもなんともないことなのだそうだ。
「大丈夫、怖くないです」
「……ん」
 永琳は鈴仙の頭を撫でた。しばらく洗っていない髪がばらばらと額からこぼれる。
「ウドンゲ」
「はい?」
 しばし鈴仙の頭を撫でていた永琳は、表情を引き締めて鈴仙を見つめた。最近はみな鈴仙を気遣って優しくしていたので、そんな顔を見るのは久しぶりだった。それゆえに鈴仙は少し驚いた。
「…… もうすぐ死ぬのなら、今決めてもらうわ」
「え、何をです?」
「これよ」
 永琳は鈴仙の頭から手を離すと、盆の上にあった小瓶を持ち上げた。それを鈴仙の目の前に持ってくる。
「これは……?」
「蓬莱の薬」
 瞬間、鈴仙の体が強張る。たった八文字の名詞が持つその意味を瞬時に理解したからだった。
「えっ……?」
「死ぬのは怖くないなんて言うけれど、私は知っているわ。貴方が……誰よりも生に執着していることを」
 永琳は冷ややかな眼差しで鈴仙を見た。それは全てを見透かすような視線で。
「それに……姫以外に心を許したのは、貴方だけ。できることなら、逝かないでほしいの。……勝手な話だけどね」
 しかしそれはすぐに和らぎ、永琳は泣き笑いのような表情になった。悲しむような、嘲笑うような、見たことのない顔。長く生きてきたが、永琳のそんな表情を見るのは初めてだった。
 それはきっと、彼女の本心。だから、今一度禁忌とされた薬を作った。弾幕としてそれを具現化したことはあったけれど、自分に対して使って以降薬そのものは一度も作っていないはずだ。それは何も月の禁忌だからではなく、使う相手がいなかったか、或いはそれの持つ意味を身をもって知っているからだろう。だからこそ、月ではなく己の禁忌として封印していた。
 今再び、彼女はその禁忌を解いている。数百年の時を共に過ごした弟子に、その薬を渡そうとしている。
 そう、たかだか数百年だ。鈴仙は、自分が師匠からその禁薬を授かるには値しないと思っていた。それにたとえその資格があろうとも、永琳が作るはずがないと思っていたのだ。たかが数百年、それは永遠を生きる彼女には何も影響を与えることはないと思っていた。
 なのに、それはここにある。永遠をもう一つ生み出すために、永琳は蓬莱の薬を作り出したのだ。
「師匠……」
 どうしていいか分からずに、鈴仙は永琳を見る。しかし永琳は目を伏せていた。恐らく、鈴仙からの答えを待っているのだろう。
「あの……仮に飲んだとしても、この体じゃ……」
「それは大丈夫よ、改良してあるから。飲んだ時点から数百年ほど肉体年齢が若返るはずだわ」
 用意のいいことだ。もちろんそれができなければ、飲ませたところで苦痛以外の何物でもないわけなのだが。
 つまり、条件は整っている。鈴仙がこれからも生きる条件は整っているのだ。
 多くの、否、全ての兎たちとは別れを告げなければならない。しかしそれと引き換えにして、永遠に生きる人たちと永遠に過ごせる。永遠に、生きられる。
「あ……う……」
 その小さな小瓶の中に、それがあった。ここへきて永琳が冗談を言うはずもないだろう。それは正真正銘不死の妙薬だ。
「……か、考えさせてください」
 薬を手に取ろうとして、鈴仙は布団の中でもぞもぞと動いた。緩慢な動作で腕を出し、小瓶に触れる。しかし触った瞬間に何かが自分を押しとどめていた。
 早まることはない。もうすぐ死ぬ体だが、少しは考えてからでもいいはずだ。死か、永遠か。それは、即断するほどに軽いものではないのだから。
作品名:It's My Last Word 作家名:天馬流星