It's My Last Word
「……ありがとう」
不意に、永琳の腕が鈴仙を包む。
「私は、その姿が好きだったわ。そうやって生きている貴方の姿が、本当に好きだったわ」
ぎゅっと、優しく、永琳は鈴仙を抱きしめた。
その言葉はあの死神が言っていたものと同じだった。鈴仙の姿勢は、確かに生きた証になっていたのだ。
「師匠……」
そして――。
「生きている証を、ありがとう」
「生きた証を、ありがとう」
「……ウドンゲ?」
「………………」
「…………もう、最期まで自分勝手な子ね。さよならくらい言わせてよ」
――おやすみなさい。
静かに流れる水が、川岸の石にぶつかる。
鈴仙は再び三途の川岸に立っていた。
「よう、お帰り」
ぼんやりしている鈴仙に、死神の声が聞こえてきた。見ると、平たい岩の上で握り飯を食べながら寝転がり、にやにやしながら鈴仙を見ていた。
「あ、どうも。……って、え?」
その呑気な様子に呆れつつも鈴仙は反射的に礼をする。と、そこで死神のセリフに違和感を感じた。あれは夢だったのではないのだろうか。
「ああ、気になってるみたいだな。まあ、所謂仮死状態ってやつさ」
鈴仙の疑問に気づいていたのか、死神は先手を打った。握り飯を食べ終え、指についた飯粒を舐め取ると、どっこいしょと年寄り臭い掛け声と共に立ち上がった。
「仮死状態……?」
「そ。あんたはちゃんと死んでなかったんだよ。といっても死ぬ寸前だからここに来ることはできるし、金を払うこともできる。あんたがすぐに死ぬのは視えてたから、先に払ってもらったのさ」
死神は舟の櫂を取りながら鈴仙に説明する。
「さっきは視界が悪くなかったかい? そいつはちゃんと死んでない証拠さ」
そうして、少し離れた位置に停泊している舟を櫂で引き寄せた。
確かに視界は悪かった。声は聞こえても死神の顔は常に見難かった。それは単に夢だからというわけではなく、鈴仙がまだ完全に魂の状態にいなかったということらしい。
「じゃあ……なんで夢だなんて?」
おかげで本当に死んだものと誤解してしまった。死神は寿命が視えるらしいが、それにしてもたちの悪い悪戯だと思う。
だが、死神はそれとは全く違う答えを出してきた。
「だって……そのほうが夢があるだろ?」
本当に、馬鹿馬鹿しい答えだった。
思わず苦笑してしまうほどに。
「じゃあ、そろそろ乗んな」
死神の好意に呆れていると、彼女は表情を引き締めて舟に乗り込んだ。どうやら、これで本当に現世ともお別れらしい。鈴仙は死神に続いて舟に足を入れた。
「未練は……ないな?」
そこに死神が問いかける。今まさに乗り込もうとしているときに、惑わせる言葉。
「……あります。たくさん」
生きたい欲も、楽しい思い出も、全てを今、鈴仙は懐かしんでいた。
死んでようやく、生きていたことを実感した。
「でも……もう踏ん切りはついたから……」
――ぎっ
舟が軋む。鈴仙が地面から足を離し完全に乗り込むと、舟はわずかにぐらぐらと揺れた。
未練なんていくらでもある。生きたいかと問われれば、絶対にはいと答えてしまうだろう。けれど、もう別れは言えたから。生きた証も手に入れられたから。
もう大丈夫。もう、旅立つ準備はできていた。
「……そうかい。じゃあ行くよ。なに、あんたの徳なら向こう岸なんてあっという間だ。その分閻魔様に説教されてくるんだね」
ししっ、と笑って、死神は櫂でそばの岩を押した。その反動で、舟が川岸から離れ出す。
鈴仙は、自分が今いた場所を振り返った。誰もいない、虚無に満ちた川原。
あの向こうに、自分はいた。あの向こうに、全てがあった。
ここにはもう何もない。全てを置いて、自分はこの舟に乗っている。遠くなり始める川岸を見つめ、鈴仙はふと物悲しい気持ちになった。
だが、決して寂しくはない。あれだけ生きたがっていた自分が、今こうしてここにいられるのだから。あの向こうに何も残っていなかったのならば、きっと今は赤ん坊のように泣き叫んでいたことだろう。
言いようのない満足感、安息感。それもまた、自分勝手な満足だったかもしれない。でも、自分を愛してくれた人がいた。その人と「生きる」ことができた。それはきっと、自己満足じゃないはずだ。
だから、大丈夫。
此岸が消える。生と死の境界を渡る。真っ白な世界で、鈴仙は目を閉じた。
走馬灯のように、長い長い自分の歴史が思い出される。戦い、逃げ、生きて、自分勝手な過去が流れてゆく。
行こう。この全てを、閻魔に裁いてもらうために。罪も、思い出も、何もかも。
目を開け、鈴仙は今一度此岸のある方を見た。
もう会えない人たちに、最後の言葉を。
幸せな生を、ありがとう。
生きた証を、ありがとう。
――ちゃぽ、ん
――ざぁん
作品名:It's My Last Word 作家名:天馬流星