It's My Last Word
死神は鈴仙を指差した。一応面識のある相手だ、鈴仙がどういう人物であるかは分かっており、なおかつ人を見抜く眼があるのだろう。閻魔や三途の川の渡し守とはそういうものだ。
「ただひたすらに生きる。それだけで生きていることを実感する。それは何も当人だけの感覚じゃないのさ。その姿を、生きていない者に見せてみな。結構、心を打つもんだよ」
「あっ……」
生きていない。
それは、あの二人に誰よりも当てはまる言葉だった。
そう、蓬莱山輝夜がなぜあれほどまでにもう一人の蓬莱人に固執するのか。それはずっと理解できないような気がしていたけれど。
生き物は必ず死ぬ。ならば永遠は生きていないと言えるだろう。それでなお生きていることを演じなければならない彼女らに、生きている実感など感じられないだろう。生きているという実感、それを与えてくれる人がいるなら、きっとその人を愛せるはず。たとえ相手が自分を憎んでいても、それを糧に生の実感をくれるなら。
「――――ぁ」
気づく。自分が何をしてきたのか。
生きてきた。何よりも優先して生きることを選択してきた。生きていない人たちの目の前で、必死になって生きてきた。
それは、あの二人にどう映ったのだろう。もうそれを確認することはできないが、この死神が示唆するとおりならば、鈴仙の行動は二人に生きる実感を与えていたことになる。
生きる。ただそれだけのことが、あの人たちにとっては特別なことだったのだ。
「じゃあ……それじゃあ…………っ」
『姫以外に心を許したのは、貴方だけ。できることなら、逝かないでほしいの』。
だから、心を許した。だから、蓬莱の薬を与えようとした。鈴仙が生き物でなくなっても、その生きる姿勢は変えないと思って。
だから、愛してくれたのだ。
「あ……! あぁ……!」
その額が教えてくれる。自分が犯した罪の根幹が、その罪をも凌駕するほどに徳を生み出していたことを。
「そんな……!」
鈴仙はくずおれた。
それだけのことをしていたなんて、それに気づかなかったなんて、本当に自分勝手だ。自分の見える範囲だけのことしか考えず、これだけ愛されていたことに気づかず、そして何も言わぬまま死ぬだなんて。
ようやく分かった。自分が何を求めていたのか。なぜ必死になって生きようとしていたのか。
生きた証が欲しかったのだ。
自分がこの世界に、或いは誰かに何も残さないまま死ぬことが嫌だったのだ。自分が自分であるという証拠として、何かを残したかった。それが死ぬときになって、生きた証になるのだから。
それは例えるなら名声で、例えるなら大業で、例えるなら誰かの愛で。
誰かからの愛は、既に達成されていた。ただそれが自分の目に見えていなかっただけの話で。
鈴仙は、生きた証をとっくに手に入れていたのだった。
「……死ねないっ!」
泣きじゃくる中で、鈴仙は声を絞り出す。
このまま三途の川を渡るわけにはいかない。あんな言葉だけの「ありがとう」じゃ何も伝えきれていない。自分をたくさん愛してくれた、生きた証をくれた人たちに、まだ何も言っていないのだから。
永遠に生きることを放棄しても、これだけはあの人たちに伝えなければならなかった。
「お願いっ! 少しだけ待って! 少しだけ……別れを告げるだけでいいから、時間をください!」
鈴仙は死神に懇願した。この魂を、少しの間だけあの永遠亭に返したい。その徳が消えることになっても、地獄に落とされることになろうとも、鈴仙は自分が生きたことを伝えておきたかった。このまま彼岸に渡るなんて冗談じゃない。鈴仙は泣きながら死神につかみかかった。
まるであのときのように。
鈴仙は異常ともいえる勢いで生を渇望していた。まるで道化のごとく、生と死の境界を渡る者に、死を遠ざけてもらっていようとしていた。
死神の表情は鈴仙からは見えなかった。こんなにも近距離なのにどうもぼけて見える。そんなことは気にせず、鈴仙は見えない相手に自分の思いを伝えようとした。
答えはすぐに返ってきた。
「そうかい、ならさっさと行ってきな」
意外にも、それは肯定の答えだった。鈴仙は少し呆気に取られる。
「え……いい、の?」
「気にすんな、これは夢だ」
「夢……?」
死神がこくりとうなずく。
「あんたはまだ眠ってるだけさ。目を開けりゃあ、あんたの会いたい人がすぐそばにいるよ。会いたいんだろ? 行ってきな」
実にあっさりと、死神は承諾してくれた。いつの間にかここにいたのだから、死んだと考えるのが自然なのに、ただの夢であるなど考えられない。そんな都合のいいことがあっていいのだろうか。胡蝶夢丸の魅せた夢。そうなのだろうか。
よく分からないけれど、死神がにかっと笑ったような気がした。
「じゃあ……はい」
よく分からない。これが夢だと言われてもなんとなく騙されているような感じだった。
だが、これが夢ならば、まだ死んでいないのならば。それなら帰れる。あの人たちに伝えられる。そんな小難しいことをいちいち考えることもないだろう。死んでいないならばそれで、今にも死ぬかもしれないのだから。
帰り方は分からない。しかし何となく鈴仙は目を閉じ、あの風景を思い浮かべた。それだけで、行けるような気がしていた。
自分も愛した人たちの顔が浮かぶのと、鈴仙の意識が再び消えるのは、ほぼ同時だった。
そして視界に光が入る。目が認識したのは、毎日見慣れたあの天井。
寝惚けることもなく、鈴仙は瞬時に自分が永遠亭に戻ってきたことを理解した。
「ウドンゲ……?」
鈴仙が体を起こそうとすると、永琳が心配そうに上から覗き込んできた。
「大丈夫? 急に泣き出したけど、薬間違えてた?」
おどおどと永琳が尋ねる。そんな表情を見るのも初めてだが、今はそれどころではなかった。
「師匠……」
夢の中で、誰よりも会いたかった人。鈴仙は、夢とは違って鉛のように重たい体を引き起こし、永琳に抱きついた。
「え、ウドンゲ?」
「……師匠っ」
その声を聞いて、その顔を見て、もう感情が抑えられなかった。夢の中で知った彼女からの愛、みんなからの愛。
「…… ありがとうございますっ!」
それを言いたくて、しかしもう頭がまわらなかった。鈴仙は永琳の体を抱きしめ、眠りに落ちる前と同じ言葉を繰り返した。
死ぬだの生きるだの、もう関係ない。ただあふれる涙と感情に任せて、鈴仙は精一杯腕に力を込めた。
「私、生きましたっ! たくさん、たくさん幸せに生きましたっ!!」
過去、犯した罪を省みて。
「今までそれを感じたことはなかったけど、でも! 私は生きました!」
罪悪感にさいなまれ。
「最期まで一緒にいてくれて、ありがとうございます! 一緒に生きてくれて、ありがとうございます!」
それでも尚生きたいと願って、そして。
「生きた証を……ありがとうございます!!」
それは死を目前にして、ようやく手にすることができた。
涙と共に、鈴仙は伝えたいことを一気に叫んだ。
幸せに過ごさせてくれたことに感謝して。生きた証を見せてくれたことに感謝して。
もう残り少ない命で、鈴仙は自分の心を永琳に伝えた。
作品名:It's My Last Word 作家名:天馬流星