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雪見の現

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白く降り積もった雪の中で青年は1人ぼんやりと立っていた。綿のような白い氷の塊は、暖かそうな見た目に反して温もりを与えてはくれず、穏やかな冷たさだけを残していく。手のひらに落ちてくる雪は、触れるとすぐに溶けて水になった。透明な雫を見つめて、青年は不思議に思う。

鬼の身となったこの身体にも熱はあるのだと知った。

(このままここにいれば、この身体も冷たくなるかな。)

そうすれば、あいつは触れないでくれるかもしれない。

そっと、目を閉じた。頭に、肩に、金の髪を隠すように、紅い着物を塗り潰すように、雪はただ白く降り積もる。青年は帰れるような気がした。何処へと問われても答えがない場所へ。静雄という名を持つ鬼はそこへ帰りたかった。

けれど、

「静。」

声が、静雄を引き戻した。柔らかい声音の耳によく馴染むその声は、けれど静雄は苦手だった。相手が誰かなんてわかりきった問だ。静雄をこう呼ぶ人間はたった1人きりしかいない。振り返るのは億劫だったが、静雄が反応しなければ、相手はいつまでも待ち続けるだろうこともわかっていたので、ゆっくりとした動作で首だけを後ろへ向けた。声の主は、柱に寄りかかってこちらを見つめている黒髪の美しい青年。その青年が持つ一対の赤い瞳と目が合った。静雄は、この赤い瞳も苦手だった。それが、表情に出ていたのかもしれない。出ていなかったかもしれない。静雄にはどちらでもいい話だ。どちらにしても、静雄の飼い主である奈倉は、赤い瞳を細めてクスリと上品に笑うだろうことを静雄は知っていた。

「部屋にいないと思ったら中庭にいたとは・・。雪遊びをしていたんだね。」
「・・・・・・。」
「雪が珍しいのかな。でもその格好では風邪をひいてしまうよ。こちらにおいで。」

奈倉は白一色に染まりつつある中庭に足を踏み入れ、だらりと力なく垂れ下がっていた静雄の腕を取った。何が楽しいのか、クスクスと穏やかに笑いながら静雄の腕を引き奥の部屋へと向かう。静雄の髪や着物に積もった雪を払うこともせず、奈倉は楽しそうに歩く。仕方ないので雫で濡れた裸足のまま静雄も歩く。床が汚れると思ったが当の家主が気にしていないので、静雄も気にしないことにした。静雄の腕に触れる奈倉の手は、雪程ではないにしても冷たく、それも静雄にとって苦手なものの1つだった。

「驚いたよ。でも、静と雪の組み合わせは綺麗だね。静には白がよく似合う。」
「・・・。」

無言の静雄に気を悪くする風もなく、奈倉は奥の襖を開けて、黒と赤の柱で作られた檻に手を掛け、意味の無い鍵がつけられている入り口の格子を開ける。1部屋分の広さのある檻。逆に言うと、1部屋を檻として作ったもの。静雄はここで奈倉に飼われている。この屋敷には奈倉以外の人間はいない。本当はいるのかもしれないが、静雄は見たことがなかった。目覚めてから、奈倉と奈倉が使役する式以外のものに会ったことはない。奈倉は静雄が屋敷から出ることを良しとしなかった。せっかく手に入れた化け物を使うことを奈倉はしなかった。静雄にはそんな奈倉の考えが読めない。
そんなところも苦手だった。
一面に敷かれた布団の上に座る。朝起きた時とは違う布団に変わっていた。おそらく奈倉の式が変えてくれたのだろう。外は雪だというのに布団からは暖かい日の匂いがした。静雄はそのまま横になってしまいたかったが、奈倉が正面に回ってきたので、止めた。

「すっかり濡れてしまっているね。ずいぶんと長い間外に出ていたようだ。」
「奈倉、いい。自分でできる。」
「いいよ。私がしたいだけだから。」

ふわりふわりと布越しに奈倉の手が静雄の髪を撫でる。普段猫っ毛のある金の髪は、水を含んでおとなしく、奈倉の手を拒まない。俯いた静雄の顔が見えないのが奈倉には少し残念だったが、おとなしいその姿が可愛らしく、気に入っていたので気の済むまで金の髪と戯れることにした。

「・・・忘れてたんだ。」
「うん?」
「雪。冷たくて、俺が触ると溶けるんだな。」

くいと首を上げて朱色の布と金の髪の間から子供のような透明さがある緑色の瞳が奈倉を見上げてきた。

白。

ドキリと奈倉の心臓が一際大きく鳴る。

(ああ、性質が悪い。)

不意打ち。この目覚めたばかりの鬼は、時々こうやって奈倉を無自覚に振り回す。

(まあ、そういうとこ含めて気に入ってるからいいけどね。)




あらかた拭き終わると、ずっと黙りこんでいた静雄がくいと奈倉の着物の裾を引く。正面に座る奈倉と目が合うように顔を上げ、緑色の瞳に奈倉を映した。

「なあ、溶けない雪はないのか?」
「うーん、どうだろうね。私は見たことないなあ。」
「そうか。」

少し残念そうな声が檻の中に溶けていく。静雄はこてんと奈倉の方に頭を預けた。ふてくされた子供のような仕草に、奈倉の顔に笑みが浮かぶ。母親が子にするように背中へ手を回し、穏やかなリズムで優しくその背を叩いた。

「眠くなった?まだ駄目だよ。着替えてからね。そのままじゃ風邪ひくから。」
「ひかない。」
「でも駄目。もう正君が取りに行ってくれてるから、ね?ほら、足も拭いてあげるから。」

身体を離そうとすると、着物の裾を掴む静雄の手に更に力が込められた。ぐりぐりと頭を奈倉の肩口に押しつけて、顔を上げようとしない。

(ほんとに子供みたい。)

さてどうしようかと奈倉が悩んでいると、格子の外から明るい声が飛んできた。ふわり、と日の匂いが一緒に檻の中に流れてくる。

「はいはい、持ってきました、持ってきましたともよゴシュジンサマー。この全国の妖の憧れの的!美形妖狐代表及び彼氏にしたい妖No.1の正臣をこき使ってくれやがります鬼畜外道陰陽師奈倉様ー。何いちゃついてるんですか?静雄さん可哀相じゃないですか。濡れ鼠ですよ、鬼だけど。ほら、さっさとちゃっちゃと着替えますんで、早く出ていっちゃってくださいませー。」

赤い着物を抱えた茶色の髪の少年が、格子の前で仁王立ちしている。少年は茶色の髪から伸びる白い狐耳をぴくぴくと震わせ、背後ではふさふさの2つの尻尾をせわしなく動かしていた。正臣がいることに気付いた静雄は奈倉を突き飛ばして、格子の傍に寄った。軽く吹っ飛ばされた奈倉は反転した視界にため息を吐く。肩が痛い。下が布団でなければ、無傷では済まなかっただろう。

「すまねえ、正臣ありがとな。」
「ああ、静雄さんが謝る必要はこれっぽっちもないっすよ。あっちの人にはめりこむくらい土下座して欲しいですけど。」

ちらりと倒れている奈倉に目をやる正臣の表情には嘲りの色が混じっていた。一瞥をくれるとすぐに切り替えて、すまなそうな顔でこちらを見ている静雄に笑いかける。その顔をまた切り替えて、静雄に向けたものとは違う張り付けた笑顔のまま、奈倉を見下ろして言った。

「ほら、早く結界解いてくださいよ。使役してる俺まで締め出すとかどんだけ子供なんですかご主人様。相変わらず趣味の悪いこの赤い着物燃やしてしまいますよ主様。俺の狐火で燃やしたら少しはマシになるんじゃないですか奈倉様。」
「・・正君はほんと私に対して辛辣だよね。」
作品名:雪見の現 作家名:がーと