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White Night Nightingale

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 その夜は後に記録的な豪雪だったと気象記録に残されることになる。だが勿論その只中にあった時のエドワードにはそんなことはわからなかったし、それはロイにしても同じ事だった。
 尤も、たとえ積雪が記録的なレベルだったとしても、二人にとってその夜とはもっと別のことにおいて記録的な、印象的なものだったから、そんな事実がわかったとしてもさしたる意味はなかっただろう、きっと。

「…あれ、雪…」
 査定の件で話がある、と言われていたからその時東方司令部にいたのはエドワード一人だった。弟を宿に残してやってきたエドワードを、よく来たねと執務室の主は迎え入れた。
 わざわざ呼び出したのはもしかしたら査定以外にも話があるのでは、と少しだけ警戒していたエドワードだったが、ロイの話は本当に査定についてだけだった。拍子抜けしてしまったのは、言うまでもない。
 査定について、と言ったところで年でそう違いの出るものでもない。すぐにも話は終わってしまって、後はぽつりぽつりと近況を聞いて、聞かれてになる。
 そうして部屋が静かになると、それだけでもなく随分と静かなように思えて、エドワードは窓の外を見た。そして知ったのだ。威容に静かなそのわけを。
「…ああ、…寒くないか」
 ロイもまたエドワードの声に釣られて外を見、灰色の空から落ちる白いものに気づいた。気づけば彼は、すぐにそう尋ねてくる。意識しているわけでもなさそうだから、元々気の利く男なのだろう。
 まあ、そんなことは前から知っていたけれど。
「平気。大体こんなあったかい部屋の中にいて寒いも何もない」
「そうか、…いや、こんなことを言って気を悪くしないでほしいんだが」
「…なに?」
「痛まないかな、と」
 ロイは言いながら、自分の右肩を軽くたたいて見せた。その仕種にエドワードは軽く目を瞠った。そうして、困ったように眉尻を下げて肩を竦めた。
「…そうでも、ないぜ」
「そうか…」
 それで一端会話は途切れてしまった。その継ぎ目を探すように、エドワードは腰を上げた。そうして何かを探すように、ごまかすように窓の外を見る。雪の具合がひどければ、早々に引き上げた方が賢明というものだった。
「…結構降って、」
 だが、少年の意識が外に逸れたとき。
「…っ、た、…い、さ…?」
 ふわりと後ろから抱きしめられて、見知らぬ香りに息を飲む。他人のぬくもりを感じれば、自分がいかに冷えていたかを知らざるを得なかった。
「――うそつきだな、君は」
 囁きに肩が揺れたのはもう、不可抗力だとエドワードは思う。
 こんな風に甘く囁かれたら、こんな風に優しく抱きしめられたなら、誰だって肩が震えておかしくない。
 ロイの声は、まるで魔法のように響いたのだから。
「こんなに頬が冷たい」
「……」
 大きな手がさらりと触れて、それは頬の一点だったはずだが、体は大げさに跳ねた。だがロイは笑ったりしなかった。いっそ笑ってくれたらよかったのに。彼は、そうはしなかった。
「…ここだって、本当は随分冷えているんじゃないのかね」
 手はゆっくりと肩の上を擦った。労わるような手つきであるのに、エドワードの体はそういう風には受け取ってくれなかった。冷たいなんてきっとあるわけない、と少年は唇をかみ締めながら思った。こんなにも熱が上がって感じるのに、冷たいはずがないと。
 だがロイは手の動きを止めなかった。
 気づいていてやめないようにエドワードは感じたが、だからこそ、やめてほしくないと思っている自分に気づいて愕然とした。触れられることを、少年は意識の外では嫌がっていなかったのだ。驚いてはいたにせよ。
「…ああ、本当だ、随分降ってきた」
 ロイはとうとうエドワードの小柄を胸にしまいこんでしまった。そうして、やんわりと、だがしっかりと抱き込んで外を見る。その口調は欠片も困ってなどおらず、ただ儀礼的にそう呟いてみせただけのようにも思えた。あるいは、思い知らせるように。
「…アルフォンスには、電話を」
「…電話…?」
 抱え込まれたままに、エドワードはただつま先を見ていた。音量が下がったのは雪の静けさに怯えていたのかもしれない。
「痛むだろう」
 先ほど同じ台詞は、しかし、今度は問いかけるものではなかった。断定されてエドワードは不意に覚った。ロイがなぜそんなことを口にしたのかを。
 彼は、理由をほしがっているのだ。
「…いたい、な」
 声が震えないようにエドワードは気にしなければならなかった。務めて平静に返せば、ロイの、自分を抱く腕の力が少しだけ強くなった気がした。つまり、正解だったのだ。
 彼は理由をほしがっている。エドワードを足止めするための理由を。…何のために? 
 ぎゅう、と目を閉じた。心臓が耳のそばにでも移動したかのように鼓動が大きく聞こえてくる。こんなに静かではロイにも聞こえてしまうのではないか、と埒もないことを考えた。
「…あんたは、」
 しかし、意識せずに不意に冷静な声が飛び出してくるに至って、まるで他人が喋っているようだと思った。意識と体は線を結ぶことを忘れてしまったように遠い。
「…あんたは、たった一晩の理由でいいの」
 ぽつりと尋ねれば、ロイからはわずかに息を飲んだ気配が伝わってきた。彼にしても意外だったのかもしれない。
 やがて驚きは苦笑に変わって、エドワードの頭にはロイが顎を当ててきたために微かな重みが加わった。だがそれは心地よい重みだった。不思議なことに。
「…人間の欲には限りがないから」
「……」
 エドワードは顔を上げて、窓の外を見た。雪はやむ気配を見せていない。ただ淡々と降り続けている。見つめていれば風の音さえ聞こえてきそうな、そんな冷たい空模様だ。
 しくりと痛む機械鎧の接合部に、軽く眉をひそめる。鋼鉄の手足はまるで氷のように冷え切っていて、エドワードの痛覚を苛む。
「ただ一言話が出来ればいいと初めは願う。だがひとつ叶えば次へ次へと願いは増えて大きくなる。笑ってくれればそれでいいと思えたなんて、本当に最初のことだ…」
 自嘲気味の気配に、エドワードはそっと、自分を囲い込む腕を外させた。
「……」
 そうして自分から、今度はロイの手を捕まえて、静かに見上げる。黒い瞳はなぜか正反対の色合い、真っ白に染め抜かれた雪景色を連想させた。どこまでも白く、他に何もない世界を。
 恐らくは外に降る雪からの連想だろう、そう思いかけて、エドワードは違うかもしれないと考え直した。白と黒とは対極だ。つまり似ていないようで何より似ている。
「…人間の、」
 エドワードは瞬きもせずに口を開いた。
「欲の深さも限りのなさも、オレはよく知ってる」
「……鋼の、」
「――アルには電話するから、大佐」
 言葉を探しているようだったロイの顔が、そこではっとした表情になった。エドワードは深くは語らず目を細めた。
「あんたの家に、泊めてよ」
 ロイは一瞬顔を歪めた後、それまでとは打って変わった激しさで少年を抱きしめた。背中に食い込むほどの腕の強さは息苦しさを覚えさせたが、エドワードは離せとも駄目だとも言わなかった。勿論、嫌だ、とも。

「あら、エドワード君。…大丈夫? この雪…宿まで送りましょうか?」
作品名:White Night Nightingale 作家名:スサ