闘神は水影をたどる
3.姫と密航者
雨はところどころ晴れ間を差し出しながら、ついに日没まで降り続いた。
初夏の日差しに照らされていたオベルはすっかり洗い流された。いくぶん過ごしやすい夜を迎えている。王邸の庭にある白い石造りの水場は一面に星を映し、心地良い風が波紋を起こしていた。夕餉の後片づけをする、忙しない音が給仕場から聞こえる。
ロゼリッタはひとり王邸を離れ、前庭を縦断し、兵舎へ繋がる階段を降りていた。
兵舎の喧騒に身を低くしながら、その横を足早に駆け抜ける。
侍従たちにあやしまれることのないよう、普段使いの王族服に着替えていたが、外ではその上から四等海兵の外套をかぶった。地下貯蔵庫の入り口に見張りが立っているのを確認して、大きなシダの葉に隠された抜け穴をくぐる。こどもだけの秘密通路である。小さな割れ目に身を押し込み、貯蔵庫へ通じる地下通路に降りたところでロゼリッタはようやく一息ついた。懐の中にしまっていたものをそっと取り出す。
彼女の手には多少余る、分厚いメダルのようなものだった。
赤土で出来た円板は煤けている。片面には、頭部が猛禽、身体が海蛇、翼の生えた生き物が描かれていた。こちらを表とするなら、裏にはなにもない。ロゼリッタには不思議な獣の名前も、この道具の用途もさっぱり見当がつかなかった。
ただ、だいじなもののように胸に守り、ひやりとする土壁を片手で伝いながら奥へ進んだ。
用具置き場の扉の前へ出る。
扉から太いつかえ棒をようやく下ろし、耳をすませてみても、中からは物音ひとつ聞こえてこなかった。ロゼリッタは一度背後を振り返ってから、意を決して扉を開けた。
微かにすえた匂い。
数時間前と同じように、積み上げられた木箱の後ろから薄汚れた素足がのぞいているのが見えた。足がにゅっと引っ込む。ロゼリッタは息を詰めた。しばらく待っても反応がないので、音をたてぬように近づく。
「寝ていますか」
大声を出さなくても相手に声が届き、かつ充分に距離をとった位置で、彼女は声をかけた。
呼吸のしかたから寝てはいないだろう。ロゼリッタは暗がりに座ったままの相手へもう一度声をかけた。今度は少し強めの声になった。
「座ったままでこちらのほうへ。渡したいものがあります」