闘神は水影をたどる
賑わいの午後市にて
馬の後ろは恐い。尻の下が緩やかな斜面になってしまうので、安定が悪いのだ。
フェリドが何度まえに乗るよう促しても、アルは頑として聞き入れなかった。たまに風音のような高い悲鳴が背中からか細く聞こえてくるものの、決してしがみつこうとせずに着物の端を握り締めるので、フェリドとしてもいつアルが落馬するか気が気ではなかった。
ようやく下ろされた地面にぐったりと蹲るアルだった。フェリドは馬の鼻息を宥めながら、からからと笑った。
「おまえが怖がるからこいつも不本意そうだ」
「あとで謝ります。いま、ちょっと……」
内臓ごと揺すぶられて言葉が出てこない。
やっと顔を上げたアルは、目の前に広がる光景に顔つきを険しくした。
休日の午後に活気づくオベル主港随一の市場だった。ユーレスク妃の出産を控え、街は至る所で飾り付けが行われている。
鮮やかな色紙で囲った提灯が窓から窓へと渡され、祝辞の書かれた垂れ幕が軒から吊されている。その下で商人たちが威勢良く売り声をあげる。次々に水揚げされる銀色の魚たち、潮風を防いで育てた野菜の数々、燻製にされた薔薇色の肉の塊に、色とりどりの生成り糸。目移りするような品々に目もくれず、アルはフェリドを睨みつけた。
「馬は買いません」
フェリドは飄々とした態度のまま、馬を引いて市場のなかへ歩き出した。
「フェリド」
アルは一度呼びかけてから周囲を見回し、フードを目深に被り直してフェリドのあとに続いた。
フェリドが歩くと、方々から声が掛かった。自らの品物を自慢げに勧めながら敬意をもってフェリドにはなしかける姿は、年齢こそ違えども、こどもが親に向かって自分の自信作を褒めてもらおうとする姿のようにアルの目に映った。フェリドは明るく応えながら、ときに笑い、ときに驚き、差し出された果物の欠片を美味そうに頬張ったりした。割った果物の片方を分け与えられたアルも、少しだけ目を輝かせた。
「うむ、美味い。よく耕してた良い土でできている。ところで主人、こんな馬を見なかったか」
「へえ、じゃじゃ馬ならここにいますけどねえ。そんな綺麗な駿馬はとんと見とりません」
店の主人は大声で答えて隣にいる少女を叩いた。眉の揃い方が瓜二つで、娘だろう。少女は小煩そうに父親の手から離れて、フェリドの視線に小さくはにかんで見せた。フェリドは笑って顔の前で手を振った。
「こういう色の馬でいいんだ」
「それならさっき、向い通りで」
「売られているの」
アルが悲痛な声を出した。主人はアルの剣幕にばつが悪そうに肯定した。フェリドは果物ひとつ分の通貨を払うと、身を翻したアルを足早に追った。