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HONEYsuckle

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卒業三ヶ月前


 写真一枚あれば思い出せることはたくさんあるだろう。行った場所、着ていた服、隣にいる人間との身長差や距離感や、その瞬間の笑顔。泣き顔だって良かった。写り込むものは全て事実で、見えないものや見えていなかったものさえ、そこには残るのだ。
 俺の人生にはあまり写真という形の思い出が残っていない。大切でかけがえのない時間であればある程その瞬間だけを見てしまって、形を残そうと考えられなくなるからだ。いつかそれを後悔する日が来るのだろうか。胸の中だけには仕舞いきれないようなたくさんの日々を、思い返さなければならないような時は、いつか来るのだろうか。


 一人だけでは広すぎる部屋の中に、鉛筆が走る音が二つ響いていた。
「俺さあ、無事に卒業できそうなんだ」
「…別に余裕だろうお前なら」
「そうでもないって。鬼道にはたくさん勉強教えて貰ったから一応報告」
 鬼道は受験を控え、円堂もまた卒業試験の最中だった。
「まだあと二科目残ってるだろう」
「明日数学なんだよなあ…すげー不安」
 日々は殺伐としてきていた。部活はとっくに引退し、単調に毎日は流れ、進路を決めるのに忙しくて時間はあまりに足りていなかった。一ヶ月に一度も会えないことさえあった。クリスマスも一緒には過ごせなかった。鬼道には記念日を隣で過ごすべき相手がいたし、円堂も他から誘いがあって特に拘ることはなく、それでも結局はお互いに少しだけ後悔をした。いつが最後になるかは分からないのだ。だから正月は一緒に過ごした。会えるときは、時間のある方が会いに行った。今日のように円堂が鬼道の家を訪れるのも、珍しくはない。
「なあ受験終わったら海行こうぜ」
「まだ寒いだろ」
「寒いから良いんじゃん。誰もいなくて」
 家でなら不自由なく二人きりにはなれたが、円堂は理由をつけて外に出たがった。人のいない場所を選びながら、内心では誰かに自分達が一緒にいるところを見て欲しかったのかもしれないと円堂は思う。保証がない代わりに些細でも、約束と事実が欲しかったのだ。
 時間はそれほど穏やかに緩やかには過ぎなかった。限られているはずの一緒にいられる期間はおそらくもう、ほとんど残されてはいないと円堂は思った。どうして時間は止まらないのだろう。どうして幸せな時間ほどはやく過ぎてしまうのだろう。そしてこの時間が終わってしまった後のことを想像するのは、あまりに寂しくて、頭がどうにかなりそうになる。
「…手がとまってるぞ。後そこ間違ってる」
 鬼道がテーブルを爪でトントンと叩き円堂の顔を上げさせると、その目を見て困ったように笑った。見破っているような、寛容な目だった。
「休憩するか」
 情けない顔をしていただろうかと尋ねた円堂に、鬼道は構って欲しそうな顔だったと答えた。立ち上がって隣に座る。円堂は密かに、次に目があったらキスをしようて心に決めて、シャーペンを放り出して機会を待った。後ろに倒れ込めば背中がソファーにぶつかって、天井だけが見えるようになる。今までに何度キスをしたかも、ぎこちなく抱き合った回数も覚えてはいない。好きだと言ったのはお互い最初の一回だけで、それ以来口にしていない。古びたサッカー雑誌は今日も机の上に佇むように置かれていて、鬼道の家は相変わらず物音一つしなかった。
「初めて来たときは広くてびっくりしたけどさ、今はもう自分の部屋みたいな感じ」
「ここがか?」
「うん」
 鬼道はソファーに同じように凭れてしばらく黙り、ぽつりと驚いたような声を洩らした。秒針の音より頼りない、潰れそうな声だった。
「…俺はこの家に慣れるのに、五年はかかったのにな」
 円堂はそれを一瞬聞き取れなかったふりをしたいと思い、裏腹に小さく相槌をうった。子供にとって五年というのは、大人になってからでは想像もつかなくなるほど長く、それが苦しい五年間だったなら、鬼道にとってどれだけ果てしない時間だったのだろうと考えて、円堂は黙って鬼道の肩に自分の肩をぶつけた。そして今の自分にとっても、今さら埋めてやることなど出来るはずもないその五年が遣る瀬なく、何もしてやれないということはひどく歯痒い。
「なんだ子供みたいなことして」
 鬼道の呆れたような声に生返事をしたきり、それ以上同じ話題で何かを言うことはなかったが、擦り寄るように頭を押し付けながら、円堂はまだこの部屋のことを考えていた。鬼道の家に馴染んだと言ったわけではない。ただ、鬼道のいるこの部屋が、いつも鬼道の気配のするこの部屋だから、好きだと思うだけだ。微妙にすれ違ったまま届かなかった気持ちをぶらつかせながら、時計の秒針が立てる小さな音だけを聴いている。鬼道の鼓動も、ほんの少しだけ聞こえていた。
「部屋に友人を招いたのはお前が初めてで、父からは驚かれたな」
「…えっ」
「違うぞ別に友達がいなかったわけじゃない」
 円堂が思わず反応したのはそういうことではなかった。がばりと体を起こして正座すると、鬼道と目が合う。
「鬼道って俺のこと、あの頃から友達だと思ってくれてたんだ」
「…まあ…少なくとも今よりは、友人として見ていたな」
「それ、俺、すげー嬉しい」
 鬼道は普段から人を必要以上には近付けない人間で、心を開いている相手にも中々歩み寄らせないところがあることは知っていた。それでも友人だと思っていてくれたということが、素直に嬉しい。
「…もし鬼道が俺のこと好きにならなかったとしても、鬼道は俺のこと、友達として好きにはなっててくれてたかな」
 自分でも驚く程、臆病な質問だった。それはほとんど一人言だった。鬼道はその問い掛けにふっと口元を歪ませるように持ち上げて悪ぶった笑顔を作り、それが真理であるという確証をもって言った。堂々として疑いのない、彼を鬼道有人たらしめるような、不敵で高慢で、そのくせ奥の方で微笑んでいるような、高らかな声で断言した。当たり前だ。
「お前は円堂守だからな」
 なんだよそれ、とはぐらかしながら、その言葉がどれだけ心細さを吹き飛ばしたことか、円堂は忘れまいと決めてその拳を強く握った。どれだけ円堂を救ったかを鬼道は知らない。これといって特別なことを言ったとは思わず、また自分がいつか同じことで悩むと想像することもなく、ただ流されるままに、固く握り締めた円堂の手を包むように触れた。
「俺も鬼道のこと、いい奴だってずっと思ってた」
「過去形か?」
「そうじゃなくてさ…」
 向き合って俯いて、握り締めた手をほどいて鬼道の指に絡めた。触れた部分から分け合われる体温を、知らなかった頃の焦がれる気持ちを思い出せば、今が幸せなのか不幸なのか測り間違えることはない。
「このままずっと鬼道と繋がっていられるかなって思ったんだ。いつか傍にいられなくなっても、友達としてでも、今とは意味の違う好きって気持ちが、互いに残れば」
作品名:HONEYsuckle 作家名:あつき