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HONEYsuckle

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駆け落ち最終日


 枯れた花は二度と咲かないけれど種は出来る。濡れた土地に落ちた未練はやがて別の実を結び、誰かを潤してまた土に生命を残して土に還るだろう。
 死んだ人間は生き返らない。だけれど世界はその先にも続いていく。過去は変えられないけれど、未来は常に動いていて、その変化を生み出すのはいつだって今だけだ。
 枯れもせず、根を伸ばすことも葉を広げることもない種だけが、何処に向かうことも出来なくて、土の上で転がりながら、その乾いた地面を嘆いて何も変わらない。変えられない。俺はそれを選んだのだ。
 失うものは何もないなら、たとえ何も得られなくても、もう、良いかなと思った。鬼道が俺を嫌いにならないなら、それで良いような気がした。


「トム・ソーヤーってさあ、俺あんま知らないけど、冒険した人なんだよな」
 唐突な話題に鬼道が首を傾げるように相槌を打つと、鬼道越しに窓の外を眺めるようにして、円堂は遠い目をした。車窓にはもう風情の欠片もないような直線だらけの景色が広がるばかりで、鬼道はそれを見ないように、体を車内に僅かに傾けていた。
「そいつは家に帰るとき、どんな気分だったのかな」
「…多分」
「え?」
「…いや。今度貸してやるから、自分で読んでみたらどうだ」
 鬼道の言葉に、円堂は僅かに肩の力を緩めたように深く座席に凭れ掛かって、手を離れかかった風船の糸を辛うじて掴んだような、切羽詰まった顔で、うん、と短く返した。含みのある表情だったが、鬼道は目を背けていて見ていなかった。
「お前じゃ最後まで読むのに一年は掛かりそうだな」
 何気ない言葉に円堂は弾かれたように、安心したように笑った。穏やかな声で、うん、と何度か噛み締めるように呟く。顔を上げた鬼道は、その円堂の壊れそうな笑顔を目の当たりにして、はっとなって唇を噛んだ。何かが透けて見えてしまった気がした。
「ばか…」
 些細な約束ひとつで救われたような顔をする円堂を、憐れだと思った。次いつ会えるか、次なんてないんじゃないかと、不安がって怯える肩が小さく見えて、慰めや言い訳なんて、口には出来ない。じわりと血が滲むように胸に広がる痛みはどれだけ洗ってもこの先二度と、消えることなどないのだろう。新しい何かで埋めない限り、と鬼道は考えて、見たくもない窓の外へと視線をずらした。

 最後に行きたかったところがある、と鬼道は告げて、手を引くように円堂を連れて再び電車に乗った。鬼道の家とも円堂の家とも方向の違う寂れた私鉄は、金属音を車内に響かせながら都心を抜けた。
 駅から歩く間、鬼道はほとんど話をしなかった。足を止めたのは低い造りの図書館のような家で、円堂は鬼道の一歩半後ろからその建物を見上げ標札に目をとめた。そこにははっきり児童養護施設と書いてあって、円堂は戸惑った様子で鬼道の背中を見る。
「影山が俺を見付けた場所だ」
 静かな声を乗せた舌は自虐の色を匂わせてそう告げた。入り口から覗くことの出来る庭には子供達が駆け回っており、黄ばんだシーツが埃を避けるように隅ではためいている。影山もこうして鬼道を見ていたのだろうか、と考えて、円堂は理由もなく胸が支えるのを覚えた。
「サッカーをしてて良かった」
「…なんだよ突然」
「此処でサッカーを始めて鬼道になったからこそ、お前に会えた。帝国でサッカーが出来て、お前を見い出して、惹かれて、雷門にまで行って、全国の、世界中の奴等と試合が出来て…」
「鬼道!」
 叫んだのどが涸れて痛んだが、その割りに発せられた声は弱々しいものだった。子供が建物の影から此方を覗いて様子を伺い、円堂の顔を見て、怪訝そうに眉を潜めた。
「…トム・ソーヤーも親を亡くして兄弟二人きりだったんだ」
 唐突に切り出した鬼道が鞄を地面に置き、空いた手で此方を覗いている子供の頭を撫でた。それはまるで親のようで、未来の姿を映し出すようで、円堂は見ていられなくなる。嫌なんだと言う権利も否定する言葉も持ってはいないのに、いつか鬼道が手にするその幸せの中に、鬼道の未来の中に、自分がいないことを突き付けられるようで。
「彼の旅の結末には、輝かしい成果が描かれていたな」
 自分達の逃げるだけの旅に得たものも残されるものもなく、どこか道端で落とした涙も、乾いて空へと消えていくだろう。
 そういう恋をしていた。どんなに遠くへ行ったって、そういう愛しか見つけられなかった。でも探し物のない旅の中で、分け合った巡るだけの思い遣りはあたたかくて、最後に見付けた大切な人の幸せの形はぬくもりに満ちていて、俺は、地図にいくつも丸を描ける。ここには宝があったのだと。俺と鬼道はなにかを見つけて、それは確かに光輝きはしないけど、心に小さな灯をともす、とてもかけがえない宝物だったと。
 円堂は胸に手をあてて言葉が詰まったそこを撫で、旅の終わりを感じていた。終着駅に奇跡はなかった。地図はきっと他人には真っ白なまま、炙り出しのように見えない丸ばかり刻まれて、自分だけがそれを知っていれば良い。大人になってから埋めたタイムカプセルは土じゃなくこの胸の奥深く、誰にも気付かれることなく語り続ける。
「なあ円堂、旅費の残りで、こいつらに食べきれるだけ菓子を買って来るってのはどうだ」
 俺は幸せだったんだよと。

作品名:HONEYsuckle 作家名:あつき