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闘神は水影をたどる<完>

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戦いの口火



 アルは男たちから差し出された食料を食べた。小さな小麦のパンと、山羊の乳を固めて味付けたものを囓るのに両手の縄を解かれることはなかったし、紋章魔法を発動する隙を与えぬよう抜き身の剣を手にした男が側に控えていた。
 しかし身の不自由に加えて体力まで削いでしまっては元も子もない。
 パンで乾く口腔を山羊の乳の油濃さで潤しながら、アルはじっと考えていた。
 男たちの出した食べ物に口を付けたのは、アルがどうやら人質のような立場にある前提とは別に、身に染み込んだものを彼らに感じるからである。
 彼らから感じる鬱屈した気配をアルはよく知っていた。
 ファレナの王宮、太陽宮の磨き上げられた床に彼らの姿が映り込むとき、午後の太陽が細工窓に嵌め込まれた色とりどりの硝子を通して彼らを照らし出すとき、元老院の冴え冴えとした石の扉の前で彼らが挨拶するとき、アルは全身で、その暗い気配を感じ取る。

 彼らは貴族だ。そうでなくともファレナに縁ある者。

 生まれてからずっとそれに晒され続けたアルの肌が、いまこの古い幌馬車のなかでそう強く訴えるのである。
 しかし当のアルにはその意味がこの現実と繋がらない。
 逃げなくてはならない。しかしもし彼らがファレナの貴族であるなら、確かめなければならない。
 最後の一欠片ずつを抱えて口のなかのものを嚥下した。小さな草食動物のように細かくパンを囓っていくアルに対して、剣を持った男が急かしてくることもなかった。おかげでアルは充分に満腹感を得るだけの咀嚼をすることができた。
「あ」
 アルの手から落ちた食べ物は、的確に男の足下まで転がっていった。
「拾ってもらえるか」
 男は軽く身じろぎをして、パンの欠片とその転がってきた軌道を見た。そこは土足で何人もが歩き回り、街道を走る上で目眩ましに積んだのだろう荷物には、乾いた泥がこびりついていた。
「食べるのか」
「空腹には換えられない。早く」
 男は誰かに確認を求めるように空中を見遣り、欠片を摘もうとぎこちなく屈み込んだ。すかさず、アルは折り曲げていた脚をバネにして、男の顔面に思い切り頭突きをした。本来は昼間フェリドに仕掛けたように顎を狙ったのだが、効果はあった。
 男は鈍い呻きをあげて幌に背中から倒れ込んだ。
 異変に気づいた仲間たちが駆け込んでくる前に、アルは素早く男が持っていた抜き身の剣を拾った。

作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ