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彗クロ 1

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見過ごされた悲劇





 頭痛と、眩暈と、吐き気だ。最悪だった。脳を這う血管という血管が瘤を作って脈打つようで、眼球の内側を透明な蛞蝓が暴れ回っているようで、食道の内側を絶え間なく撫でほぐされているような不快感だった。頭蓋の内側は煮え滾る奔流に乗っ取られ、苦痛だと思考することさえ苦痛を生んだ。足腰定まらず、上手く立っていられなかった。
「キモイ。しねそう」
「頑張ってレグル」
 至近距離で耳馴染んだ声に励まされたかと思うと、出し抜けに体を揺さぶられた。ずり落ちてきたレグルの肩を担ぎなおしただけの動作だったが、そんな些細な振動さえも今のレグルには耐え難くて、情けない悲鳴が力なく喉を抜けた。
「うぅ〜、メティぃ……くるしいよぅ……アタマいてーよぅ」
「だめだよレグル、止まらないでっ。すぐにここを離れなくちゃ」
 ふと違和感を覚えて、レグルは薄目を開けて傍らを見やった。肩口から右腕をたどった延長上、首周りでレグルの半身を支えている、ほとんど体格の変わらない人影。外界から隔離された廊下の暗闇に浮かび上がった横顔が、一瞬、誰だかわからなかった。ぼやけた思考で一拍吟味して、いつものニット帽が見当たらないせいだと思い当たった。トレードマークを取り払ってしまうと、メティはとても地味だった。
 力強く、とはいかないものの、決然として、メティはレグルを引きずるようにして一歩一歩前進していく。なんかおかしいなと、レグルはぼんやり思った。
(メティってこんなんだったっけ?)
 自分の考えが急に怖くなって、レグルは思わず肩の下に潜り込んでいる体を突き放した。途端にひどい眩暈と頭痛に平衡感覚を奪われ、相手を突き飛ばすどころか、レグルのほうが壁際まで弾き出される塩梅になってしまった。
「ちょ、なにっ」
「……っさい、こんくらい、なんでもねー……っ」
 なんでもないわけがなかった。半ば壁にもたれつつ勢い込んで歩き出して、三歩も進まないうちに壁が途切れて見事にすっ転んだ。不意の上下運動と横転がとうとう胃壁を致命的に刺激し、レグルは倒れ込んだその場でげえげえやった。これではまるで酔っ払いだ。
 最悪だ。酸の匂いがきつくなるまで吐いても、楽にならない。格好悪いとか、考える余裕もない。背中をさすってくれる手さえ煩わしく感じた。
「も、やだ」
 少なからぬ苦痛とともにきつく瞼を閉ざすと、生理的な涙が汗と一緒に汚物の上へと滴り落ちていった。森の同胞たちには決して聞かせられない弱音も、虚勢の限界の遥か上方を超えて漏れ出ていく。もういやだ。なんでもいい、楽になりたい……
「なんで……ばっか」
「レグル?」
「なんでさ、なんでこんな、苦しい目、ばっか。つらいとか、痛いとか、悲しいとか、そんなんばっか、残ってて。酷い記憶、しか、なくて。ルークには、それしか残ってなくて。……なんで」
「ど、どうしたんだよ、レグル、なんのこと? しっかりしてよ」
「なんで、生きてるのはあいつらなんだ。どうしてルークがいないのに、平気な顔で。あいつ……『アッシュ』。被験者ならなんでも赦されるってツラで、ルークの持ち物、全部……アイツ、絶対に許さねえ……」
「意味わかんないってば! ルークってなんなんだよ?」
「ウソだ」
 肩を揺さぶってくる手を、レグルはきつく掴み取った。メティは短く悲鳴を上げたが、レグルは引っ込もうとする手を許さなかった。
 衝動のままに吐き出した感情の連なりが、意識を開放していくのがわかった。頭痛も、眩暈も、吐き気も、すべてから解放されるのを感じた。
 欺瞞を斃すのだ。世を支配する不条理は、あまねく滅されなければならないのだから。
 それが、レグルの生まれた意味なのだから。
「メティも本当は知ってるだろ? おれの中にルークがいるって。気づいてるんだろ?」
「い、痛いよレグル……」
「ルークはずっとここにいる。初めから、おれのなかに。一度は死んで、からだも記憶もなくして、でもまだ、ちゃんと『いる』んだ! ……けど、それもだんだん、弱まってきてて……」
「わかんないよ……」
「ルークを助けてやんなきゃいけないんだよっ! あの被験者が生きてたらいつまで経ってもルークは救われない。アッシュ、あいつ、絶対この手で殺」
「わかんないってば!!」
 破裂するような痛みがレグルの手を打った。払いのけられた利き手を宙に浮かせたまま、レグルはぽかんとメティを見上げた。
 メティが、怒りに声を荒げるなんて、初めて見た。
「さっきからおかしいよレグル! いつもちょっとおかしいけど、今日は格段ヘンだよ! あの赤い髪のオリジナルが何!? あんなのどこにでもいる傲慢被験者じゃないか! ああいう手合いに真正面から体当たりしていいのは、昼間、第三者が大勢見てる時だけ! わかってる!? レプリカっていうのは、そうやってオリジナルたちの作った法とか良心とかを頼ってうまくやってくしかないんだよ!?」
「な、なん――」
「生かされてるんだよ!!」
 恐ろしい早口で畳みかけられ、口をぱくつかせているうちに、メティの、いつもは長すぎる前髪の奥に隠れがちな大きな両目が、目の前にあった。鼻先がこすれあうほどの至近距離で、朝焼け色のビー玉がふたつ、レグルの碧玉を赤裸々に覗きこんでいる。
「どんなに自立できてるつもりでも、結局! ……レプリカは種族全体、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、どんなに正論振りかざして吠えたてたところで、本当は誰かに手を引いてもらわないとまともに歩けもしないんだ。この世界は圧倒的にオリジナルが多くて、実際に何千年っていう歴史を築いてこの地上で生きながらえてきた種族は、きみらじゃない、彼らなんだから。レプリカはオリジナルの手によって創り出された。オリジナルの存在を無視して生きていけるレプリカなんかどこにもいない!! なのに、レグルはいつもいつも……っ」
 思いの丈をありったけ吐き出すメティの目尻はうっすらと水気さえ帯びていた。けれどレグルの思考は、再び勢力を取り戻し始めた頭痛と眩暈に押しつぶされて、三年来の友人の涙の意味を、きちんと受け取ることができなかった。
(うるさいな)
(……聞きたくない)
「……レグルはいつも、ちょっと勘違いしてるよね。自分ひとりで生きてるような顔して、他人を平気で傷つけてる。オリジナルを糾弾すればそれが正義になると思ってる。でも、そうやって声ばかり張り上げて、どうにかなった? 現実を変えることができた? 口先ばっかで……ちからもない、なにもできない、そんなやつが被験者を『殺す』だって? そんなの……ば、ば、ば――っかじゃ、ない、の!?」
 絶え間ない言葉の雨に乗せて降り注ぐメティの感情は、鈍い痛みを伴ってレグルの心臓を直接叩いていく。レグルはそれを知っていた。オリジナルたちに幾度となく浴びせられたものと同じだった。メティが……あのメティが、同じものを持っているなんて、疑ったことさえなかった……。
 レグルは、もはやものを見ているだけでも疼痛をもよおさずにはいられない眼球の、瞼の合間からかろうじて露出させた部分だけで、混沌と渦を巻く視界に目を凝らした。美しい紫色が幾重もの残像を描いて世界を暁の暗さに塗りつぶし、揺らぎ歪む輪郭は人の形をしていない。
作品名:彗クロ 1 作家名:朝脱走犯