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紺碧の空 番外編【完結】

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紺碧の空 7





 それは突然の出来事だった。
 身体に慣れ親しんだ航空プログラムの内容は、自分達パイロット候補生にとってはとうにナイフとフォークを操るかのごとく、四肢に馴染んでいたものだった。操縦桿を握る掌、微調整を行う指先、計器の上を軽やかに走る五本の指、どれを取っても寸部の狂いも無く、例え目を瞑っていたとしても正確に操作出来るだろうと全員が自信を持って頷けるだろうと思う。
 200ノットからマッハ1の音速に移動するまでのたった30秒の間に、身体に襲い掛かる凄まじいGの体感は、一度覚えたら病みつきになるのだ。
 全ては今日の為に繰り返し練習し、培ってきた経験と技術だった。
 この演習が無事成功すれば、長いようで短かったパイロット候補生としての過程が終了し、メンバーは候補生の肩書きが外れて晴れてプロの仲間入りを果たす事が出来る。言わば卒業試験と同等の意味を持つ航空ショーだった。その事もあり、メンバー全員が並々ならぬ気合を入れて挑んでいるのだ。
 繰り返し練習してきた甲斐もあり、途中まではパーフェクトの出来だったと思う。
 異変は唐突に起こった。アルフレッドの直ぐ隣を飛んでいた機体が、突然の不安定な動きを見せるようになったのだ。不審に思って無線機で話し掛けても普段は滅多なことでは動揺しない冷静沈着な同僚なのに酷く焦った様子をしていて、これは只事ではないとアルフレッドも気持ちを入れ替えた。すぐに飛行している全機と本部にSOSを発信し、緊急離脱しようとした矢先に、コントロールを失った彼の機体が一直線に突っ込んできたのだった。
 咄嗟にグリップを操って機体を逸らしたものの、交わしきれなかった垂直尾翼に右翼が接触して思い切り弾き飛ばされた。互いの機体の一部分が掠めた程度の干渉だったけれど、威力は予想を超えて凄まじく、まるで小規模の爆発が起きたのではないかという衝撃だった。
 ガクンと首が持って行かれて座席のシートに後頭部が叩き付けられる。一瞬だけ意識が遠退いて操縦桿を離した隙にバランスを失った本機は真っ逆さまに海へと落ちて行った。だが、幸運にもすぐに意識を取り戻す事が出来たので土壇場の所で僅かに機体を操るに至り、何とか腹の部分で着水する事に成功したのだ。
 それでも高度500フィートの高さからの落下ダメージは計り知れず、海面に胴体着水した瞬間は、本気で俺はもう死ぬかも知れないと覚悟を決めた程だった。波にぶち当たった衝撃で機体がバラバラになったり、もしかしたら燃料漏れによる爆発に繋がるかも知れないと危惧したが、どちらもその傾向は見られなかったので、一先ずは安心する。
 激しくバウンドするのを身体を縮めて耐え抜き、恐る恐る目を開けてみて、なんとか命だけは助かった事を知りジワリと涙腺が緩んだ。良かったと心から安堵する反面、全身が激痛に襲われて指先を動かす僅かな動作でさえ苦痛を伴うようになっていた。条件反射で咄嗟に脚を床に突っ張ってしまったので、骨に皹が入ったか、若しくは折れているか。満身創痍の中でも特に脚と頭の痛みは尋常では無く、このまま気を失ってしまえればどんなに楽だろうと思った。
 意識は今のところはっきりしているけれど、救助が来るまでの時間を待てるかどうか、正直解からない。だが今眠ってしまったらもう二度と覚醒できないかも知れないと思うから、その恐怖心を糧として何とか気絶すれすれの状態で意識を保っていた。
 海は相当荒れているらしい。打ち寄せてくる荒波に小さな戦闘機は忽ち翻弄を受けて弄ばれる。頼むから転覆だけはしないでくれよと半ば神にも祈る気持ちになった。座面から伝わる力強い波濤に揉みしだかれてみるみるうちに沖へと流されていくのを感じた。これでは折角救難ヘリに出動して貰っても海面に近付くのは難しいだろうなと他人事のようにぼんやりと思考する。
 こめかみから頬を伝って顎に掛けて、生ぬるい液体がどろりと流れ落ちていった。気色の悪い感触に、しかしメットを脱いで拭うだけの気力も生まれなかった。
(空……)
 ふと外の景色が見てみたいと思った。同時に墜落した同期の機体が近くにあるかも知れない。鈍痛する頭部を上向けて、何とか操縦席のフロント強化ガラスへと視線だけ動かすと、其処には見渡す限りの蒼い空が広がっていた。
(誰もいない……)
 早朝から恵まれていた天候にあったが、少しずつ天気が傾いているのか心持ち瞳に映る蒼がくすんで見えた。それとも自分の視界が暗くなっているだけなのだろうか。
 空の蒼を溶かし込んだみたいだと良く誉めてくれた元恋人の声を思い出し、不意に唇から力の無い自嘲の笑みが漏れた。
 彼の好きなスカイブルーでは無かったけれど、藍色の混じった深い色合いをしている空もまたとても綺麗だった。あの色が実は太陽の光が空気中の分子やほこり、水滴などにぶつかって、色々な方向に跳ね返ることが原因で発生する光の散乱現象だと知った時は酷く残念な気持ちになったけれど、それでも季節や時間によって少しずつその表情を変えていく空の蒼を美しいと思う心に変化は生じなかった。
 対して、海は日光が水中に入ると同時に一部が吸収され、一部は反射をするようになる。水は青や緑の光を吸収せずに、その光を反射する作用がある為、海は蒼く碧い色として自分たちの目に映っているのだ。全く異なる原理によって、似た色身を持つ空と海だった。
(あぁ……何だか、)
 こうやって下から上を見上げていると、まるで天地が逆転したみたいに見えるじゃないか。
 ふと気付いた事実にアルフレッドは閉じかけていた瞼を震わせながら開けた。
 いつも練習機に乗って上空から海上を見下ろしている景色と、今波に揺られながら寝転がって空を見上げている光景と、瞳に映る色は何ら変わる事は無い事実に気付いて驚いた。
 何処までも、何処までも、吸い込まれていきそうになる蒼。
 気を抜くと魂までをも奪われそうになる紺碧の空。
(アーサー……)
 今この場所に居ない別離した兄の名を、アルフレッドは唇の中でそっと呟いた。
 沖の深海の美しい碧色をした水面は、まさしくアーサーの瞳そのものだった。広く、深く、強く、美しく、いつだって自分の心を奪って止まない。
 やっと解かったような気がした。自分が空を好きな理由。アーサーにとっての海が大きな意味と役割を持っているように、自分にとっての空の存在意義。
 何処まで行っても平行線でしか無い海と空の関係に虚しさを覚える事もあった。寂しさを覚える事もあった。どれだけ想っても報われる事の無い恋心みたいに、哀しくて苦しくて好きでいる事が辛いと感じた事さえ少なくは無い。
 だけど視点を変えてみれば簡単に逆転する。
 尽きることの無い崇高な羨望。
 そして、走行中の飛行機の中から覗く紺碧の地平線。
 本当は地球を一周してもそれらが交わる事は決して無く、進んでも進んでもどんなに手を伸ばしても追い付く事は出来ないけれど、視覚している中で交わっているように見えるその景色に何度勇気を貰った事だろう。
(アーサー)
 君は、いつも俺のすぐ傍に居てくれたんだね。
 彼を想って初めて、敬愛する海と、自分の居場所でもある大好きな空は、一つに交わる。