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紺碧の空 番外編【完結】

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紺碧の空 9終





 皮のグローブの指先が額に触れている。
 肌に冷たくごわごわとした触り心地のそれは、一般的には余り好まれない感触かも知れないけれど、アルフレッドにとっては幼い頃から良く慣れ親しんでいる何よりも安心できる慰撫だった。頬を流れ伝っている涙を拭いてくれる優しい仕草がますます懐かしい心を助長させる。
 その触れ合いは時として過去の思い出を記憶の底から揺り起こす作用があった。
 ――――ねぇ。いらなくなったら、ハッキリそう言ってくれよ。
 初めて彼に出逢った日。
 施設の園長先生に進められて、何と無く受けてみたナショナルテストで好成績を出し、英国の旧家であるカークランド家に引き取られる事になった日の事だった。迎えに来てくれたアーサーに、子供の頃の自分は生意気にもそんな事を告げていたのだと思い出す。
 当時こまっしゃくれた子供だった自分は、小さいながらにも一丁前に己の行く末を案じていたのだ。
 一目で格好良いと憧れた人に付いて行く事はとても嬉しかったし、誇らしかったけれど、もし彼の期待に添えるだけの能力が自分に無いようだったら、その時は自ら家を出ていこうと決めていた。縁者でも無い自分が傍に居る事で、彼や彼の家族たちの迷惑になるのならば、それはとても不本意な事だと思った。
 恐らくは生まれて直ぐに親に捨てられた事実がトラウマとなり、己に対する諦めのような気持ちを前提として他人と付き合おうとする癖が付いていたのかもしれない。だから施設でも学校でも必要以上に明るく振舞って、常にみんなの中心に君臨している傍ら、みんないつまで一緒にいてくれるのだろうと憂いの気持ちを覚えていた事も事実だった。ハイスクールまで? カレッジまで? 大人になっても友達で、仲間で、いてくれるのだろうか。俺の事を覚えていてくれるのだろうか。
 きっと不安だったのだと思う。
 誰かにとって、もし自分が邪魔な存在になったら。いらなくなったら。必要とされなくなったら。
 それらの言葉は胸の一番深い場所にビッシリと根を張り巡らせていて、どれだけ気にしていないと豪語しようにも決して無視する事の出来ない心の傷になっていた。
 自分の存在が他人にとって必需か、そうでないかと言う事に、無駄に敏感になっている自分がいるのだ。
 大切な人に捨てられる経験なんて、人生に一度味わえばもう充分だろうと思う。もしもう一度、特別なヒトに離別を告げられる事があれば……その時、果たして自分は哀しみを耐え切れる事が出来るだろうか。
 だったら、そうなる前に自分から離れるべきだ。
 要らないと言われる前に、自分から逃げてしまおう。
 その思考回路が確立したのは、思い返せば自分にとって特別だと思える存在……アーサーに邂逅したあの瞬間だったのかも知れない。
 ――――……は?
 出逢ったばかりの子供に「いらなくなったら」なんて穏便では無い言葉をいけしゃあしゃあと告げられて、彼は酷く億劫そうな顔になった。何を面倒臭い事を言い出したんだこいつは、と眉間に寄せられた縦皺が雄弁に物語っていて、こんなに露骨に気持ちを表情で表す人も珍しいと逆に関心を覚えた。ちいさなアルフレッドはひどく愉快な気持ちになって、クスクスと笑いながら話を続けた。
 ――――へーきだぞ。俺、捨てられるのには慣れてるんだ。
 海も道も畑も一面が茜色に染められていて、全ての色が自らの持つ主張を奪われている時間帯だった。本心を隠して冗談めかした言葉を用いたのは、逢う魔が時の悪戯で少しだけ大人の彼を揶揄ってみたいと思っただけなのだ。
 繋いだ手の先にある大きな背中に夕陽が被さり、目を開けていられない程に眩しかった。歩幅の違う子供に遠慮してゆっくりと歩いてくれているのだろう、それでものんびりやなアルフレッドにとっては小走りしなければ付いていけない速度で歩いている彼に遅れを取らぬよう、無意識のうちにぎゅっと繋いだ指先を握っている。
 ――――……ざけんな。
 ――――え?
 ――――責任、取れよ。
 夜に向かって冷え始めた海風に攫われた彼の声音は、やたらとザラザラしていて聞き取り辛かった。何を言われたのかが解からずにキョトンと目を丸めている子供に、士官候補生の軍服を着た青年は凡そ名家の子息が浮かべてはいけないような極悪じみた皮肉っぽい笑みを頬に刻んでいた。
 ――――この俺が面倒見てやるっつってんだ。それ相応になって貰わねーと、困る。
 俺に面倒を見させるのだから、お前は将来、当然のごとく立派になって恩返しするのが妥当だろうと、お前は責任を取る義務があるのだと、彼は如何にも偉そうに、横柄な態度でそう言い切った。
 余りにも当然のように主張をひけらかすから、アルフレッドはポカンと瞠目してしまったが、でもクールに見えていた彼の笑った顔は途端に子供っぽくなるから面白いと思った。陽に透けたグリーンの瞳がキラリと悪戯に煌く。
 ――――取るよ。
 気が付いたら、即答している自分が居た。あからさまに挑発されて悔しかったのかも知れないけれど、殆ど空っぽの頭で、無意識に、挑むように、夕陽に透けて赤み掛かった金髪の綺麗な男の人にきっぱりと宣告していた。
 ――――ちゃんと、責任とるよ。
 子供心に凄くワクワクした気持ちで一杯だった。沢山勉強して、運動も頑張って、将来は目の前の彼に負けない位カッコイイ大人になってやる。絶対君に相応しい弟になるんだぞ。そんな風に意気込みながら、今日から始まる生活が楽しみで仕方が無いと思っていた。あの時に胸に抱いた宝箱を開ける寸前みたいな弾んだ気持ちが、吃驚するほど鮮やかに十八歳になった胸の中に押し寄せている。
(そうか)
 俺が言ったんだ……。
 アルフレッドは自らが宣言した言葉の数々を脳内に思い出し、微かな驚愕を覚えていた。
 最初にプロポーズしたのは、アーサーではなく自分の方だった。彼に出逢ったその日に一目ぼれをして、よろしくと言って、責任を取ると断言した。此れがプロポーズで無いなら、何の言葉だと言うのだろう。
 何故今の今まで忘れていたのか。自分はアーサーを幸せにする義務があったのに、精一杯頑張ると誓ったのに、ちっぽけなトラウマから来る恐怖心に負けて、尻尾を巻いて逃げだしてしまった。自分の言葉に責任を持てないなんて、やっぱり自分はまだまだ未熟なのだ。これからもっともっと精進して、努力していかなくてはいけない。
(俺にはもう、アーサーしかいないのに)
 あの時から自分の心は決まっていた。彼に付いて行くのだと、自分の人生は彼と共にあるのだと、決めたのは他でも無い自分自身だった。
 思い出の頃とさして変わらない姿で、あの頃とは違った苦渋の表情で自分を見つめている人へ、アルフレッドはゆっくりと腕を持ち上げて指先を伸ばす。 
 ――――あいつとは別れる。それで、俺は家を出る。
 ――――二人で暮らそう。アルフレッド。
 ――――愛してる。
 アーサーはそう言ってくれた。世間体より、肉親の情より、プライドより、何より迷う事無くまっさきに自分を選んでくれた。恐らく、初めて抱かれたあの夜から、一度だって気持ちが逸れた事は無かったのだと思う。それほど一途に、大切に、彼は自分を想ってくれている。
「アーサー」