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紅梅色の多幸な現

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金陽色


 その日、平和島静雄は出社するために急ぎ足で歩いていた。余裕を持って家を出たというのに絡んできた馬鹿を投げ飛ばしていたらすっかり遅刻するか否かの瀬戸際だ。思い出しただけでも苛立つのでとにかく急ぐことだけを考える。最悪の場合、道路交通法を無視した経路を使わざるを得ないが、習得した経緯がこの上なく腹立たしいのでなるべくなら使いたくはない。それでもそうなった場合を考えて人目を避けて路地裏へ入り込む。わざわざ目立つようなことはしたくない、報われた例がないがそれでも平和で静かに暮らしたいというのが彼の普遍の願望なのだ。
 目論見通りに人のいない道をしばらく進んでいたのだが、行く先に何者かの気配があった。こちらに害を齎すような輩か否かはまだ分からず、ならば迂回をするのも面倒で、何より時間がない、とそのまま足を進めれば、母校の見知った制服を着た男女が2人。眼鏡をかけた大人しそうな少女が、これまた真面目そうな少年の頬を挟むようにして唇を重ねている。唇が離れたところで少女は少年のネクタイを解き、釦を性急な手つきで外しにかかる。
――最近のガキは進んでんなぁ
静雄が呆れ混じりに息を吐いたところで少女が少年の肩口に噛みついた。ガブリ、と恐らく加減もなしに思い切り歯を立てたのだろう、食欲をそそる匂いが鼻を掠める。
――こんな時間から食事かよ
 日も沈みきらない時間帯に、人がいないとはいえ路地裏という屋外で、身を寄せ合う男女2人。
 言葉だけ並べればとても如何わしい、実際の外観も真相が知れないならば充分に如何わしい。如何わしい上に腹が減る。せめて気を紛らわそうと煙草を銜え、火を点けようとしたところで少女と目が合った。

 他所で吸って下さい、彼を肺癌にするつもりですか

 静雄は眉を寄せた。
 捕食者が食餌を気遣うのを初めて見た。何の冗談だと勘繰ってしかし、目は口と異なり嘘を吐かない。ライターを煙草に近づけたままでいれば徐々に殺気まで込めてくる。渋々と煙草を箱に戻せば、少女は静雄の存在など最初からなかったかのように食事を再開した。その表情は殺気とは無縁の、少し罪悪感を帯びた幸福感で溢れている。
 食人種がそんな表情をしているのを初めて見た。人間を食餌としか見ていない輩も少なくないので少女の反応に疑問が生じる。食事にされている少年の方へ解を求めてそちらを見れば、顔色を青くさせているのは当然として、穏やかな表情で身動ぎもせずに食われている。青い顔から死んでいるのかとも思えるが、それでも少年は生きていた。
 首を傾げ、しかし思考が長続きせずに面倒になって直接的に訊いてしまおうと思い至ったところで携帯電話が着信を知らせてくる。既に出社時刻を過ぎていることに気づいた静雄は使いたくなかった手段を用い、道交法を無視して出社せざるを得なくなった。





 静雄は狼男の中でも池袋周辺において最も力のある種『人形』であり、その中で殊更に強い膂力を持つが故の、最早酷いとすらいえる大食だ。如何に狼男が人間にとって無害に近かろうと彼等が捕食者であることに変わりはなく、空腹ならば人間も食餌として認識してしまう。しかし人間を食ったとなれば自分が駆除対象になるのは勿論のこと、同胞まで根絶やしにされかねない。狼男の身内に対する情は厚く、彼等の結束は非常に固い。仲間の為なら嘘偽なく心底から死に物狂いになれる、静雄とて例外ではない。家族や会社の関係者に迷惑をかけてはならないと必死で飢えと戦っている。それなのに他人の食事行為を目撃したせいで食欲が刺激されてしまった。他の捕食者に、その食餌に関わるべきではないと分かっているからこそ、その場を離れた静雄は今日のことを忘れようと決心する。
 したのだが数日後に出くわした。
 場所は闇医者で友人の岸谷新羅の住居、用もなく近場を通ったので寄ってみるかと思ったのが災いしたのだろうか。まあ静雄なら大丈夫だろうとあっさりと通された居間で、先客は先日より明らかに悪くなった顔色でソファを占拠して死んだように眠っている。卓上には何処かで見たような赤い錠剤の入った瓶があり、服毒自殺の現場に見えなくもない。先日の出来事のせいで食欲が刺激され、死んでいたら食っても問題ないだろうか、と物騒な考えが頭を過ぎる。当然ながら問題で、そもそも彼は生きている。それを静雄も自覚しているのだが思考は行動以上に制御が出来ない。それは他の輩も同じで、そんな思考回路だから患者がいる時の岸谷家は食人種立入禁止になっている。非合法とはいえ医者である新羅は最愛の妖精に害がない限りで患者を見殺しにはしない。
「起こさないでね、やっと休んでるところだから」
 今回の患者は酷い貧血にも拘わらず、周囲に心配をかけまいと何事もないように振舞っていたのだがついさっき倒れたらしい。
「輸血した方が良いんじゃねえか?」
此処は病院でもある。その準備も設備もある筈で、なくともすぐに用意出来る筈だ。
「嫌がって針を折られたんだ」
「注射嫌いの駄々っ子かよ」
「そうじゃないんだけどね」
 とても暴れられる調子ではないように見える本人は、輸血という言葉に反応してか目を開く。
「……僕、寝てましたか?」
「気絶してたよ」
医者の容赦ない一言にもそうですか、とだけ返し、上体を起こす。血のように赤い錠剤を鞄へしまい込んだところで少年は静雄の存在に気づいたようだ。挨拶をしようと立ち上がり、しかし貧血に負けて身体が傾く。咄嗟に掴んだ場所は後ろ首付近の服で、そのまま引き上げたために少年は小動物が首根っこを摘まれたような恰好になるが、彼は息が詰りながらも礼を言う。宙吊りになり体重がかけられて重く感じられる筈なのだが静雄の膂力のせいか、少年が痩せ細っているせいか結局、その足が床に着くことはなかった。
「なあ、兄ちゃん、ちょっと前に眼鏡の嬢ちゃんと路地裏にいたよな」
 見れば見る程に不味そうな外見だったが、記憶にある少女の表情は馳走を振舞われた時のそれのように思え、食うつもりはないにしても気になったので訊いてみる。少年は目を瞬かせた。はぐらかすのではないようだが反応が乏しすぎて思惑が全く読めない。
作品名:紅梅色の多幸な現 作家名:NiLi