僚機
僚機
明らかに油切れ。
ギィギィと音が鳴る車椅子に、見舞いに来た同僚達が面白そうに視線を向けてくる中、マーカス・ランパートは肩をすくめていた。
暇さえあればこうして見舞い来る彼ら。戦場で幾度も助けあった仲だ、友人以上の感情を持って接してくれるのは有難いのだが、日常生活を送るまでにやっと回復し、もうすぐ退院というところまでこぎつけたそのマーカスに、よりにもよって酒を見舞いに持参するとはどういう了見か。
「いいじゃねぇか、ちょっとぐらい。バレなきゃ良いんだよ」
こうして悪戯丸出しで言うのは決まっている。スカイキッド。
「“おっかねえママ”がいるってえのに、よく言えたもんだぜ」
そしてそのスカイキッドに突っ込むのはアバランチ。彼らの背後にいるのはAWACSに搭乗していた管制官ゴーストアイだ。早速雷を落とされているのだが、よく見慣れた光景にマーカスは思わず笑みを浮かべた。
「シャムロック、そういやタリズマンはどうしたんだ?」
その呼び名の方が慣れているらしい。
シャムロックとは空に上がっている時のTACネームだ。皆とは地上でももちろん付き合いはあるが、空での方が長い。
なので皆は本名で呼ぶよりTACネームで呼び合う方が慣れているのだ、だからマーカスのことも彼のTACネームで呼ぶ。タリズマンもそう。
ガルーダ隊1番機タリズマン。シャムロックの唯一無二の僚機。その彼がどこにもいない。
「タリズマンなら今頃任務で空にいる」
答えたのはゴーストアイだった。流石は管制官。パイロットたちの情報には詳しい。
だがそれ以上は何も語らないところを見ると情報公開に制限があるらしく、真面目な彼らしい事だとスカイキッドもアバランチも肩をすくめた。
「また任務かい?」
マーカスことシャムロックはゴーストアイに聞き返した。表現こそ柔らかいが、どこか非難めいている。
「仕方あるまい。彼はエメリアを救った立役者の一人だ。そこにいるだけで士気が上がる」
常に人手不足の軍隊にとっては充分な宣伝になるだろうとは人事部の強い要望らしい。特に先の戦争で疲弊した軍部にとって人員を集める吸引力となると、格好の“歩く宣伝”として各地を周らせているという訳だ。
今回もご多分にもれず、航空ショーやら何やらに駆り出されているのだろ。今のご時世、空にいるとはつまりそういうことだ。
「こうも立て続けに任務だらけじゃ倒れてしまうよ。そろそろ返して欲しいね」
僕の1番機を。
今度こそはっきりというものだから、アバランチとスカイキッドは笑った。ガルーダ隊の仲の良さは周知の事実だ。隊唯一無二のこの2機は言葉などかけあわなくても呼吸1つ乱れたことがない。先のエストバキア侵攻の際に、臨時・緊急編成されたチームだというのに。
天才的な飛行能力を持つタリズマンの実に変則的な動きを、シャムロックだけがついていくことができる。それは共に空を飛んだアバランチとスカイキッドも思い知った事だった。
だから、次にゴーストアイが発した言葉に全員が耳を疑ったのだ。
「いつ切りだそうかと迷っていたが、今が良いのかもしれない。シャムロック、君はガルーダ隊から外される。・・・元のチームに戻る事になった」
最初何を言われているのかゴーストアイ以外全員が理解できなかった。
「なんだって?」
唯一シャムロックだけが聞き返していたが、内容を理解納得しているとはとても思えない表情。
「もう一度言う。これは命令だ、マーカス・ランパート中尉。君は異動となった。ガルーダ隊2番機は新しい人間が選ばれる」
事実だけを淡々と述べるゴーストアイ。いつもの如く。
2度も言われ、シャムロックは明らかに動揺を示す。しかしすぐに眉を潜め抗議を始めた。普段はおっとりとして穏やかな男なのだが、不満を感じるとそれ相応に意思表示するのだ。・・・時として強固に。
「どういうことだ、初めて聞いたぞ」
「当然だ。今初めて言ったからな」
「理由を聞こうか?」
大方予想はついていたが、その予想通りの返答があった。
「リハビリのためにいつ復帰するかわからん君を待ち続ける事はできない。僚機の君を欠けばタリズマンは否が応なしに単独任務に当たる事となる。それがどれだけ危険であるか解かるだろう?」
「タリズマンに何をさせる気だ」
また危険な任務に就かせる気か?
ゴーストアイの言葉から読み取ったシャムロックは明らかに不愉快そうに睨む。だがそうした所でどうにもならないことぐらい全員わかっていた。
ゴーストアイは上層部の命令を伝えているだけだ。彼に怒りをぶつけるのはお門違い。だが、それでもシャムロックは納得がいかなかった。
ガルーダ隊1番機タリズマンの僚機。唯一無二の2番機。その座に在る事。
それが誇りであり、シャムロックの心を支えている存在そのものであったのだから。
<<家族同然だと言ってくれたのは嘘だったのか、シャムロック!>>
あの冷たい海で、コントロールのきかない操縦桿を握りしめながら様々な無線が飛び込んで来ていた。皆叫んでいた。仲間たちも、ゴーストアイも。それなのにタリズマンの声が、その声だけが強く大きく聞こえたのだ。
家族に会いたいが故に焦り、暴走し、そして失った時に、ずっと傍にいて支えてくれた彼の、あれ程までに悲しみに満ちた声を聞いたのは初めてだった。
泣かないでくれと―――――そう思うと同時に手は無意識に動き、墜落寸前の機体からベイルアウトした。後は皆が知る所となる。
救出され1人で動けるようになるまで、タリズマンはシャムロックに何度も会いに来た。
怪我の痛みに耐えられたのも、リハビリの辛さにも耐えられたのも、まだ空隙のある胸の苦しさに耐えられたのも、彼がいたからだ。
だが彼は“英雄”。
すぐに軍部に呼び戻されて、それ以来会っていない。
偶に届くメールからは忙しい毎日の様子が伺えるのだが、文面の殆どはシャムロックを労わる言葉ばかりだった。
まだ共に飛ぶ事が出来なくてもせめて手助けができはしないかと、漸く退院の許可が下りて傍に行けると思った、その矢先にこの命令。
一瞬の間にシャムロックの胸には怒りと絶望が沸き上がる。
すぐに治らない足と、命令を課した人間達に。
「おいゴーストアイ。お前それを聞いてはいそうですかって何喰わぬ顔でここに来たってのか!?」
スカイキッドが早速抗議した。ゴーストアイに。
「やめないか。ゴーストアイは命令に従っただけだ」
アバランチはそう諌めながらも、理不尽な上層部に怒りを覚えた顔を隠そうとはしない。
ゴーストアイは真っすぐにシャムロックを見ていた。何も言わずに。シャムロックは真っ向から睨み返していたのだが、フと何かに気付いたのか何事か考える素振りを見せた。
「なるほど。僕の1番機を守れるのは僕だけだと証明してみせれば良い訳か?」
「・・・あの男は空では敵なしかもしれんが、地上に降りると不器用さながらだ」
そうだと言わんばかりにゴーストアイは頷く。
上層と上手く駆け引きのできない政治力の無さに仲間が手助けしてやるしかないと続けて、やっとスカイキッドは彼が本当は何を伝えにきたのかということを知った。