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触れる場所

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触れる場所





シャムロックを送っていく車の中は静かだった。
ラジオから流れる音楽は軽快なロックで、タリズマンは少し音を小さくする。

「自分で帰れるよ」
「昨日急かしたのは俺だし、いきなり呼び付けてきた上層部も上層部だ。隊長として責任もって送り届けよう。シャムロックが逃げ出さないようにね」

休暇中でさえこれだ。「逃げないよ」と言いながらもシャムロックも承諾した。

朝食を取っていた時の話だ。突然シャムロックの携帯が鳴り、今すぐ来いという何とも横暴な通達が飛び込んできたのは。
昨日できなかったことをしようと、実は思っていたシャムロックの小さな願いはこうして打ち砕かれたのである、木っ端微塵に。

彼が乗ってきた車を今はタリズマンが運転している。
帰りはどうするのかと尋ねると「アバランチと酒でも飲んで帰るかな」とのこと。

「僕は誘われた事が無いぞ」

誘った事はいくらでもあるけど。
抗議すると「そうだったか?」とタリズマンは本気で首を傾げていた。
全く。この男は。

「まあ時間はいくらでもあるから、いつか君から誘ってくれる事を祈るよ」
「・・・誘っても良いのか?」

まるで意外そうな返事にシャムロックはもちろんだと返事をした。タリズマンは複雑そうな顔をする。

「シャムロックは・・・もっと他に、」

何か呟きかけてそこで止めてしまう。以前もそうだった。何か思う事があるのにそれを躊躇っている様子だ。

「続きを言ってごらん」

驚かないから。
シャムロックはゆっくりと告げた。
絶対に驚かないから言って欲しい。
するとタリズマンは赤信号だったのだろうか、交差点の停止線前で止まると、少し考えるようにしてから答えた。

「シャムロックはもっと他に大事なものがあるだろう? そこまで俺に構わなくて良い」
「大事なもの? なんのことだい?」

聞き返すとタリズマンは困り果てた顔になった。

「ああ、えーと。・・・弱ったな」
「言いにくい事なのかい? 僕のことらしいけど」
「そういう事にしておいてくれ」
「何だ、ハッキリしないな。そんな風では追っかけてくる女の子に嫌われるぞ」
「追っかけね。時間が経てば飽きるさ」

“英雄”なんてそんなものだ。
タリズマンは冷めた視線を遠くに向けながらも、目の前の信号が青に変わったので車を発進させた。

「そういえば彼女は?」

恋人ぐらいいるんだろう?
シャムロックの質問に、タリズマンは肩を竦めるばかり。

「付き合った人間ならいるが、士官学校にいた時ぐらいかな。後はずっと・・・アレと一緒だ」

そう言ってフロントガラスから空を見上げている。
青い空の下、飛行機雲が一直線に伸びていた。その先には1機の戦闘機。哨戒中なのだろうか。

遠くを見つめるタリズマンの目に、シャムロックはいつも不安になった。

彼はどこを見ているのだろうか。

心はずっとあの空にあって、降りてくる事はないのだろうか。誰の下にも戻らないのだろうか・・・彼はずっと愛機と共に飛び続けているのかもしれないと。

「な、どうしたんだ?」

驚くタリズマンの声にシャムロックは漸く気付く。運転中の彼の腕を掴んでいた事に。危ないとすぐに手を離した。

「でも、きみは掴んでいないと、どこかに飛んで行ってしまいそうだ」
「パイロットは全員そう言われてるんじゃないか?」

可笑しそうに答えるのだが、どうにもタリズマンの場合他の人間とは違う気がした。
いかで言葉通りパイロットたちが空が好きだとはいえ、ちゃんと地に足がついている。地上に戻れば各々大切にしている者たちがいて、コミュニティを形成している。
だがタリズマンはそれがない。

一旦家に戻れば―――――そうして彼の自宅でのことを思い出した。
彼はあの大きな家の中で、祖母の形見だという時計の針の音だけを聞いて過ごしている。それだけだ。・・・本当にそれだけなのだ。
同じく家族と家を失ったシャムロックには、それがどれ程危険な事かを身をもって知っている。

「僕の家に来ないか?」

タリズマンが大切にしているあの家から離れる筈もないと解かってはいたが、気がつけばシャムロックはそう提案していた。

「うん? 今から?」
「そうじゃない。タリズマン・・・きみは独りでいるべきじゃない」
「あぶれ者同士、肩身寄せ合うのか?」
「ふざけないでくれ。僕は本気で、」
「・・・申し出は有難いが、あの家を放ってはおけない」

予想していた通りの返答。
だが何も手放せという話ではないのだ。

「毎日でなくても良い。僕の家においで。きみは独りでいるべきじゃない。昨日きみの家に行って漸く解かったよ」

本当に辛い事は決して誰にも言わない事を。

「迷惑になる」
「ならない。ちゃんときみの仕事は考えてある」
「へぇ・・・、は、・・・・え!?」

仕事!?

なんだそれ。
驚くタリズマンを余所にシャムロックは続けた。

「リハビリのお陰で少しは歩けるようになったけど、家の中を車椅子で過ごすのは大変なんだ。引っ越しした時に皆に手伝ってもらったけど、不便で仕方がないんだよ」
「要するに手伝え、と」

家事やその他諸々を。

「そういうこと。理由つけた方が来やすいだろう?」
「・・・・・・・」

すっかり見抜かれている事に多少居心地の悪さを感じながらも、タリズマンは「しょうがないな」と呟いて笑っていた。
その笑顔がちゃんと地に足のついた柔らかな笑みだったので、シャムロックは胸を撫で下ろす。

「ちゃんときみの洗面用具も用意してあるから安心してくれ」
「ああ、すまな・・・え?」

先程からタリズマンは驚きっぱなしである。
思いがけない申し出ばかりだったのか明らかに動揺しているのだが、このぐらいの些細な事で驚いているタリズマンが可笑しくもあり、可愛らしくもあった。

空ではどのような突然の緊急事態も冷静に対処する男なのに、本当に空と地上では違いすぎる。

「基地から僕の家の方が近いし、疲れて戻れない時に泊っていくと良いよ」
「そこまで世話には、」
「僕がそうしたいんだ」

どうか抱え込まないで欲しい。
そう訴えると、タリズマンは寂しそうに微笑んで「好意だけ受け取っておく」と答えた。



※※※



「僕は振られたのかな」

基地内。
タリズマンに送られて上官より命令書を渡された後、シャムロックは久しぶりに会う同僚達と雑談をしていた。待機中の人間は喜んでシャムロックの元へやってくるのだが、すぐさま部下に呼び戻されて去って行ってしまう。どうやら新人が思うより入って来たようで忙しそうだ。

そんな中、アバランチが逃げるように休憩室へとやってきた。ちょっとかくまってくれと言いながら。何かしでかしたようだが、そこはあえて触れない。いつものことだから。

2人きりの休憩室で、シャムロックは思わず呟いてしまう。「僕は振られたのか」と。

「あん?」

気の抜けた声を出しながらもアバランチは持っていたドリンクを飲んで一息ついた後、「あいつはガード硬いぞ」と笑っていた。

「そうなのか? そんな風には思わなかった」
「俺には硬くないけどな」
作品名:触れる場所 作家名:やつか